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3人のアンヌを愛した男――ジャン=リュック・ゴダール追悼

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映画監督ゴダールが91歳でその生涯に幕を閉じたと聞いても、悲しむ者はそれほどいないのではないか。なぜなら、既にゴダールの作品の多くは映画史の確固とした一部となっており、その人生のあらゆる行動が伝説化しているからだ。

雑誌『カイエ・デュ・シネマ』で若き日に彼と行動を共にした批評家、そしてその後は映画監督として名を馳せた4人の盟友、ロメール、トリュフォー、シャブロル、リヴェットはもうとうに鬼籍に入っていることを思えば、ゴダールの死はむしろ遅すぎたと言える。

代表作として知られる『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』。作品が仮にこの二作だけだったとしても、この映画監督の才能が傑出したものであることは誰の目にも明らかであろう。しかし、ゴダールは膨大な数の作品を世に送り出した監督である。その生涯を閉じた現在こそ、多くの映画研究者の手によって、その真の評価が為されて行く契機となるだろう。

さて、その一般的なイメージ――孤高の天才――とは異なり、ゴダールは女によって、それもAnne(アンヌ、あるいはアンナ)と名乗る3人の女に生涯を動かされた男であった。その3人とは、アンナ・カリーナ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、そして、アンヌ=マリ・ミエヴィルである。この3人のミューズに促され、ゴダールはその才能を見事に開花させて行ったのである。

「1人目のアンヌ」、アンナ・カリーナ(1940-2019)。このデンマーク生まれの女優と出会わなかったならば、ゴダールは存在しなかったと言っても良いだろう。この監督の初期作品、『小さな兵隊』(1960)、『女は女である』(1961)、『女と男のいる歩道』(1962)、『はなればなれに』(1964)、『アルファヴィル』(1965)といった作品群は、カリーナなしではあり得ない企画だったのではないか。こうしてゴダールは自分の世界をカリーナと共に始動させる。

しかし、そうした作品群も『気狂いピエロ』(1965)が放つ圧倒的な閃光の前にはその煌めきが失われざるを得ない。この作品に潜むジャン=ポール・ベルモンドの稀有な存在感と、カリーナ=ゴダールが現出させた世界の驚異的な《強度》に一瞬でも触れた者は、そこから逃れ去ることは決してできないであろう。いずれにせよ、ゴダールは映画史に燦然と輝く傑作をこの作品で自分のものにしたのだ。

カリーナとのコンビを解消したゴダールが次に愛した「2人目のアンヌ」、アンヌ・ヴィアゼムスキー(1947-2017)。ロシア貴族の血を引き、フランソワ・モーリヤックの孫娘でもあるこのアンヌと共に、ゴダールは「政治の季節」に突入する。67年に撮られた『中国女』、『ウイークエンド』はまだしも、「ジガ・ヴァルトフ集団」名義で発表する『東風』(1969)、『ウラジミールとローザ』(1970)、『イタリアにおける闘争』(1971)などは、もう観客などは「眼中にない」という形態になって来る。

『万事快調』(1972)までゴダールに付き従ったヴィアゼムスキーは、しかし、彼の行動と思想を全く理解していなかった。その後、小説家として一定の評価を受けることになるヴィアゼムスキーは、最晩年にゴダールとの日々を自伝として発表するが(邦訳は『彼女のひたむきな12カ月』、『それからの彼女』)、そこではゴダールにとにかく振り回されるだけのヴィアゼムスキーの姿が印象に残る。ヴィアゼムスキーはゴダールの傍にいるには余りにもロマンチックな女性であったようだ。

その『万事快調』でゴダールは「3人目のアンヌ」(正確にはアンヌ=マリだが)、アンヌ=マリ・ミエヴィル(1945-)と出会う。このスイス生まれの知性溢れる女性の中に、ゴダールは自分と最も近い感性を認めたようだ。その後、1976年から2002年まで30年近くに亘って10本ほどの作品をゴダールが彼女と共同監督したことを考えると、ミエヴィルに対するゴダールの信頼は生涯続いたと言って間違いないだろう。

このミエヴィルと共にスイスに拠点を移したゴダールは、『勝手に逃げろ/人生』(1980)で商業映画に復帰。『パッション』(1982)、『カルメンという名の女』(1983)を連続して発表し、その後、40年近く続く「第二の黄金時代」がここに開始される。『映画史』(1988-1998)という極めて重要な仕事の一つがこの時期に為されていることも考えれば、ゴダールという芸術家の最も安定した時代はまさにミエヴィルによってもたらされたことは間違いない。

芸術家の多くが「愛する異性に霊感を受けて作品を発表する」ということは、歴史上、常にあったことであり、恐らくこれからもあることだろう。しかし、ゴダールほど全くタイプの異なる同伴者と共に充実した作品群を世に送り出した芸術家は意外に少ないのではないか。一見、「孤高の芸術家」のように見られがちなゴダールだが、その傍には極めて魅力的な3人の女性がいたことを私たちは忘れることはないだろう。

その意味で、私はアンナ・カリーナとアンヌ・ヴィアゼムスキーを称えたい。そして、アンヌ=マリ・ミエヴィルに対してはただ崇敬の念しか感じない。この「映画史上の暴走機関車」を統御し、その最良の仕事を生み出すことに貢献する一方、自らも『マリアの本』のような美しい作品を世に問うたのだから。3人のアンヌと共に、ゴダールの作品はこれからも私たちの批評の対象として永遠に残り続けるだろう。

Gary Stevens – Jean-Luc Godard at Berkeley, 1968 Uploaded by Od1n, CC 表示 2.0, 

 



posted date: 2022/Sep/26 / category: 映画

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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