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トリュフォー没後30年特集②―J=P・レオー、あるいは引き裂かれた人生―

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トリュフォー映画と言えば、俳優ジャン=ピエール・レオーのことがすぐに思い出される。自伝的シリーズでトリュフォーの分身ともいえる主人公アントワーヌ・ドワネルを演じたこの俳優を見たことがないフランス映画ファンはいないはずだ。しかし、彼に対する反応は様々であろう。強烈にドワネルの人生に肩入れしてレオーを愛する人もいれば、ドワネルの優柔不断さをレオーのそれと同一視して、どうしても好きになれないという感想を抱く人もいる。確かにレオー自身の生の在り方も複雑で、苦労の連続であったことが様々な証言から明らかになりつつある。

しかし、さまざまな考えがあっても、「ドワネルもの」がトリュフォー映画の中心部であったことに異論を唱える者はいないであろう。両親の愛に恵まれず、少年鑑別所に入れられるもののそこを脱走する、という話はトリュフォー自身が経験したものであり、デビュー作『大人は判ってくれない』(1959)で鮮やかに再現されている。それ以降、『逃げ去る恋』(1979)までの5作品で、実に20年間にわたり、トリュフォーは自己の少年時代・青年自身をこのドワネルという人物に仮託しながら、もう一度、自分自身の生を「フィルムの中で生き直そう」としたのである。そこには、彼自身の「在り得たかもしれないもう一つの生」が描き出されていたといっても過言ではない。

レオーはドワネルを演じることで映画界にその名を刻んだが、しかし、多くの点で困ることがあった。実際の彼がドワネルのような問題児ではないかと思い、映画会社が彼を別の作品に使うのを拒んだというのだ。だが、現実はむしろその逆で、レオーはドワネル以上にエキセントリックな性格であった為、様々な場面で問題を起こしたらしい。保護者同然であったトリュフォーはしばしばレオーの私生活上の問題の後始末をしなければならなかったようである。とはいえ、彼にとってレオーはまさに息子も同然であり、かつて恩師アンドレ・バザンが自分に与えてくれた愛情をレオーに返す、というような気持ちもトリュフォーにはあったのではないだろうか。

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しかし、レオーの人生が複雑になるのは、ゴダールとの関係があったからである。レオーはトリュフォーの作品のみならず、当時はトリュフォーの「盟友」であったゴダールの作品にも出演していた。『男性・女性』(1966)、『メイド・イン・USA』(1967)、『中国女』(1967)などの作品で、ゴダール作品の常連でもあったレオーだが、1968年の「5月革命」を契機にその運命は大きく変わる。映画の在り方をめぐって、トリュフォーとゴダールが決裂したのである。あくまで過激路線を突き進もうとするゴダールに対し、自分が信じる精度の高い映画を撮ろうとするトリュフォーとの間に、もはや妥協点が見いだせなくなっていた。

映画製作の内幕を見事の描き、世界的に高く評価されたトリュフォーの作品『アメリカの夜』(1973)にこんなシーンがあった。恋人に捨てられて落ち込む中途半端な役者アルフォンス(レオー)に対して、フェラン監督(トリュフォー)は以下のように語りかける。「君や私のような者は映画のなかにしか生きられない。私達は映画という夜行列車に乗っているようなものだ。」『アメリカの夜』の中では終盤を飾る感動的な会話のひとつなのだが、このシーンにゴダールは激怒する。彼にはこんな甘ったるい台詞は許せないし、こんな映画は何一つ映画の真実を捉えていないというのだ。以下、ゴダールの手紙。

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「昨日、きみの新作『アメリカの夜』を見たよ。きみは嘘つきだ。しかし、誰もそうは言わないだろうから。わたしははっきり、きみは嘘つきだと言ってやろう。これは「ファシスト」よばわりするような単なる悪口ではない。批評だ。批評精神の欠如への批評だ。(…)「映画は夜行列車に乗っているようなものだ」って?いったい誰がどんな列車の何等室に乗っているというんだ。運転しているのは誰なんだ。」(山田宏一『トリュフォーの手紙』、平凡社、2012年、324頁)

この部分はまだましな方で、この後、延々と罵詈雑言の数々が続く。挙句の果てに、自分の映画に金を出せと言って手紙を締めくくるのである。このゴダールの悪意丸出しの手紙に対して、トリュフォーは真摯に、しかしゴダール以上に長大で過激な批判の手紙をゴダールに対して送りつける。その手紙は、いかにかつてのトリュフォーが鋭利な批評家であったのかを彷彿とさせるほど見事に書かれており、有無を言わせぬ内容である。しかし、これを契機に二人は完全に決裂する。それと同時に、レオーもまた二人のあいだで引き裂かれるような形になってしまう。実際、レオーは二人のあいだを右往左往する立場を強いられたようである(実は上記の絶交書簡はレオーの手を通して行きかったのだという!)。

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この引き裂かれたレオーの在り方がハイライトになっているドキュメンタリー映画が、『二人のヌーヴェルヴァーグ―ゴダールとトリュフォー―』(2010)という作品である。浩瀚なトリュフォーの伝記(邦訳『フランソワ・トリュフォー』、原書房、2006)をセルジュ・トゥヴィアナと共同執筆した映画学者アントワーヌ・ド・ベックによる実証的な脚本であり、フランス映画史に関心がある者は見逃してはならない一本である。その映画のなかでも印象的に捉えられているトリュフォーとゴダールの冷却関係は、結局、1984年のトリュフォーの急逝の為、解決せぬまま突然終止符を打たれることになる。ゴダールは葬儀にも姿を見せることはなく、そこにはやつれはてたレオーの姿があるばかりだった…。

しかしながら、レオーの人生はそれだけでは済まない。彼はまた『出発』(J・スコリモフスキー、1967)、『ラストタンゴ・イン・パリ』(B・ベルトルッチ、1972)、『ママと娼婦』(J・ユスターシュ、1973)、『コントラクト・キラー』(A・カウリスマキ、1990)、『イルマ・ヴェップ』(O・アサイヤス、1996)など、映画史を彩る名だたる巨匠たちの数々の作品に出演し続けて来た俳優なのだ。これらの作品に触れることなく、ヨーロッパ映画の歴史を語ることは不可能だろう。人生を引き裂かれながらも、あるいはそれ故に、他の人間には表現できないほど強烈な姿をレオーはフィルムに刻み続けて来たのではないだろうか。そして、レオーは70歳になる今もまた(1944年生まれ)、映画に出続けているのだ。



posted date: 2014/Sep/28 / category: 映画

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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