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産まれたての映画が持つ輝き―『リュミエール!』公開中―

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映画が誕生してすでに120年。映画技術はますます発達する一方、上映技術も3D、4D、IMAXなどますます多種多様化している。そのような中、始原の映画の姿を映し出す一本の映画が公開されている。『リュミエール!』と題されたその作品は、「映画の父」とも呼んでも良いリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフで撮影された作品108本で構成されている。

我々はリュミエール兄弟によって作られた作品をほぼ無意識的に見て来たと言って良い。『工場の出口』や『ラ・シオタ駅への列車の到着』などについては映画史を語るドキュメンタリーではほぼ間違いなく紹介されるし、『水をかけられた散水夫』などは何度そのパロディーを見せられたかというぐらいであろう(有名なところでは、若きトリュフォーが長篇デビュー前に撮った短篇『あこがれ』の中で、その忠実な再現シーンが映画に対するオマージュであるかのように現れる)。

だが、これだけの作品を一挙に見られる機会は、筆者の知る限り、近年では聞いたことはない。20年、30年以上前ならば、無声映画の上映会などはかなり頻繁に都内でも開かれていたけれども、最近では国立近代美術館フィルムセンターの特集上映にでも行かない限り、このような作品を見ることはほぼ不可能であろう。その意味では、『リュミエール!』を見ることは、映画史の重要な部分を知る貴重な機会であることは間違いない。映画ファンにとっては垂涎の企画と言って良いだろう。

非常に驚いたのは、リュミエールとそのカメラマンたちが撮った作品の撮影場所が、フランスのみならず世界各地であったことだ。近隣のイギリスはもちろんのこと、トルコやエジプト、日本までがこの初期映画の舞台になっているという事実に、今回、この映画を見ることで初めて気づかされた。これらの映像を見た当時の人たちの驚きは相当なものだったのではないか。映画というものを見ること自体が初めての人たちが、自分が行ったこともなく、写真ですら見たこともないような国の人々の姿を動く映像で見せられるのであるから。

1400本以上はあるという作品の中から選ばれた108本だけあって、どれも興味深いものばかりだ。もちろん、撮影技術などないに等しい時代の作品だから、クロースアップもなければ、パンフォーカスもない。ほとんどの作品が固定カメラで遠方にいる人物を写し出すという映像であるから、映像そのものに興奮させられるということはなかなか難しいだろう。しかし、そのような画面にわずかにトラヴェリングらしきものが現れるとき、映像が一挙に映画的な色彩を帯びる瞬間を我々はまさしく感じることになる。

つまり、ここに集められた映像は、まさに産まれたばかりの映画が最初の一歩を踏み出そうとしている瞬間なのだ(それは、この映画の中で映し出された幼い子供たちのよちよち歩きの映像と瓜二つのように思える)。映画はまだ自分が何者なのかを知らない。自分がまだどこへ向かっているのかもしれない。ただ、自分の可能性だけを探し求めようとしながら、フィルムが回っているだけなのだ。映画のその後の歩みを知る者には、この萌芽状態の初々しさは眩しく感じられてならない。

そして、驚くべきことは、ここにはその後の映画を予見させるものが詰まっているように感じられる点だ。それは、キートンやチャップリンのドタバタ喜劇の先駆けというだけではない。ロッセリーニの荒々しい映像も、ブレッソンの静謐な映像も、ゴダールの過激な映像もあり、また、ムルナウやウェルズの暗闇のみならず、溝口健二やタルコフスキーの光までもがその片鱗のようなものを覗かせているのだ。「始まりには全てがある」というが、まさにリュミエールの作品には映画のあらゆる要素の原石が含まれているということを見るものは感じるだろう。

派手な映画に飽き飽きしている人は、『リュミエール!』を見て、映画の過去と現在、そして未来に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

作品情報

『リュミエール!』
監督・脚本・編集:ティエリー・フレモー
プロデューサー:ベルトラン・タヴェルニエ
音楽:サン・サーンス
後援:在日フランス大使館、アンスティテュ・フランセ日本
配給:ギャガGAGA
(C) 2017 – Sorties d’usine productions – Institut Lumière, Lyon



posted date: 2017/Nov/06 / category: 映画

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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