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FRENCH BLOOM NET 年末企画(2) 2020年のベスト映画

text by / category : 映画

恒例の年末企画、第2弾は2020年のベスト映画です。フランス映画を中心に、欧米の映画から日本やアジア圏の映画まで、幅広いセレクションになっています。今年はコロナのせいでなかなか映画館に足を運べなかったので、今年発売のDVDも含まれています。今回はNHKフランス講座(旅するためのフランス語)出演中のジスラン・ムートンさんも参加してくれました!

ジスラン・ムートン(アンスティチュ・フランセ沖縄)

『パパは奮闘中』(Nos batailles)
Comme film que je souhaiterais vraiment recommander cette année, il y a « Nos batailles » (パパは奮闘中) avec Romain Duris que nous devions projeter à l’institut français en mars 2020 lors du mois de la francophonie et qui a malheureusement été déprogrammé en raison de la crise sanitaire. L’histoire de ce père qui se retrouve seul du jour au lendemain à se battre pour continuer à vivre du mieux qu’il peut avec ses enfants m’a beaucoup rappelé un autre film avec Romain Duris : « Casse-tête chinois », dans un style complètement différent mais avec une trame de fond similaire et une fin teintée d’espoir.
映画としては、今年本当にオススメなのは、ロマン・デュリス主演の「パパは奮闘中」« Nos batailles »。2020年3月のフランコフォニー週間に「アンスティテュ・フランセ」で上映する予定だったんだけど、衛生上の理由で残念ながら中止になっちゃった。一夜にしてシングルになったパパが、残された子供たちとできる限りちゃんとした生活を続けて行くために奮闘するお話なんだけど、ロマン・デュリス主演の別の映画「ニューヨークの巴里夫」« Casse-tête chinois » のことを真っ先に思い出したよ。スタイルは全然違うんだけど、似たような筋で、希望を抱かせる終わり方なんだ。

Ghislain Mouton
Responsable pédagogique et administratif Institut français du Japon – Okinawa

不知火検校

『テネットTENET 』(クリトファー・ノーラン監督)
この映画を観ると、ノーランの過去の作品『インセプション』(2010)、『インターステラー』(2014)、『ダンケルク』(2017)のような大作までもが「習作」に思えるほどです。ノーランが「時間」というものにこだわる映画作家であるというのは、これまでも盛んに言われて来たことですが、ここまで偏執狂的にこだわるとは思いませんでした。「時間の逆行」などという内容になると、細部の理論的整合性に関してどうしても物議を醸すことになります。しかし、コロナ禍という未曽有の逆境のなかで、これほどの規模の大きい作品を堂々と公開するノーランの才気には、やはり驚嘆せざるを得ません。
リチャード・ジュエル(クリント・イーストウッド監督)
前作の『運び屋』(2018)では物語の運びに若干の弛緩が感じられ、「さすがの巨匠イーストウッドも年老いたか?」と不安になりました。しかし、今作『リチャード・ジュエル』はそれが杞憂であったことを明かしています。冤罪に晒される男を主人公にしたこの作品は、情報過多の現代では誰が陥っても不思議ではない恐怖の状況を見事に描き出しており、この映画監督の面目躍如となる傑作に仕上がっています。この「停滞する」ということを全く知らない恐るべき創作意欲は一体、どこから湧いて来るのでしょうか?次回作では90歳で主演も務めるとのこと。全く、イーストウッドこそ「映画界、最大の奇跡」に他なりません。
『海辺の映画館―キネマの玉手箱』(大林宜彦監督)
大林宜彦が遂に亡くなりました。享年82歳。前作『花筐/HANAGATAMI』(2017)が遺作になると誰もが思っていたところへ、この作品が届けられたことに誰もが驚いたのではないでしょうか?しかし、新作を見て納得しました。『花筐』が古典的なまでの完成度を示す静謐な作品であったのに対し、『海辺の映画館』は崩壊寸前の無茶苦茶な展開と言えます。しかし、このハチャメチャ振りこそが大林の本領であり、むしろ彼は原点(もちろん、『HOUSEハウス』(1977)の世界です!)に立ち返ったと言って良いでしょう。しかし、ここには前作以上に戦争に対する呪詛に近い想いが込められており、その想いは大林が未来に残した真摯なメッセージであることは間違いありません。成海璃子が素晴らしい演技をしています。
『スパイの妻』(黒沢清監督)
大林が戦争に対して呪詛を投げかけるとしたら、黒沢清は戦争に対してあくまで「映画」そのものの力で対抗しようとします。この映画に賭けられているのは、イメージそのものです。「イメージ」によって、国家が機密とする犯罪を知ってしまった主人公(高橋一生)が、「イメージ」によって、「国家」(東出正大)を騙し、味方である妻(蒼井優)までをも手玉に取る、という物語です。まさにゴダール(という「イメージの権化」)によって映画を発見した黒沢清ならではの展開であり、こうした作品に銀獅子賞を授与したヴェネチィア映画祭は、「映画というものの力」をまだ本気で信じているのだと思います。
『風の谷のナウシカ』他、宮崎駿作品の再上映
コロナ禍で観客が遠退く中、映画業界は宮崎駿の旧作を上映するという奇策に打って出ました。『もののけ姫』(1997)、『千と千尋の神隠し』(2001)の再上映はもちろん僥倖でしたが、それ以上に『風の谷ナウシカ』(1984)を劇場で再び観られる機会が訪れようとは全く予想しておらず、不意を突かれたような思いがしました。製作されてから36年。現実世界とはまるで別物と思っていたナウシカの世界が、益々「現実世界の鏡」であるかのように変貌していることに改めて驚かされました(世界を滅ぼす最終兵器、猛毒のためにマスクなしでは生きられない場所、巨大化した虫、権力へのあくなき執着、などなど)。宮崎のようなごく稀な人間だけが、このような予言的な世界を映像化できるのでしょう。

タチバナ

『燃ゆる女の肖像』
年間ベストという企画に毎回乗り気で参加していて何だが、実はこの手の企画の欠陥の一つは、年末公開の映画がなかなかランクインしにくいところ。そう思って意識的にチェックして間に合ったのが本作。フランスの人文科学に親しんでいる者にとって、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの挿話はそれこそ耳タコで、『エッセ・クリティック』のバルトや『文学空間』のブランショが好んで論じていたものだ。文学の修士号をもつセリーヌ・シアマ監督はおそらくそうしたトピックに精通している。本作が素晴らしいのは、この神話を、ジェンダーやら視線の相互性やらの見地から徹底的に問い直して、ストーリーに落とし込んでいるところ。それでいて18世紀の無名の女性画家たちの生きざまに思いを馳せた時代物でもあるのだ。題名で「燃ゆる」と訳された”en feu”は、「愛の炎」と同時に、女を苛む男社会の「地獄の業火」という意味でも理解すべきだろう。とにかく、映像美や作家性で味わう作品だと思ったら見当違いで、終盤の作り込まれた展開はただただ素晴らしく、某映画の蒼井優のごとく「お見事!」と叫んで倒れそうになる。主題歌の歌詞はニーチェの詩のラテン語翻案のようで、超人思想を思わせるフレーズが、女性たちをエンパワーすべく滑り込んで来る辺りも洒落ていて、『ガールフッド』(『Bande de filles』の英題)を撮った監督のシスターフッド映画とまとめるだけでは言葉足らずだろう(舞台がブルターニュなのも意味深)。ちなみに、本作のパンフレットは情報量が少なくてがっかりしたのだけど、とりわけ本作が、テーマの点でもいくつかのシーンの点でも『君の名前で僕を呼んで』へのアンサーになっていることには、せめて触れてほしかったかな。本作の監督シアマが脚本を手がけた3Dアニメ『ぼくの名前はズッキーニ』も配信サイトでレンタル可能なのでオススメ。
https://youtu.be/56y2GWHMaoU
『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』
今年は、『シラノ』祭りだった。『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』という映画のほか、舞台公演も、宝塚星組、NTL、シアターXと続いたし、翻訳も3つは入手可能。そうなると仲間内で「どのシラノが好きか」談義にもなるが、私が最後にドヤ顔で推すのが本作だ。基本情報に戻ると、本作は、架空の閑静な田舎町で展開される中国系移民二世のアメリカ人女子高生が主人公のLGB的な学園物なのだが、主人公の父親は鉄道エンジニアとして町にやってきて英語ができないので駅の信号手に回され、妻の死後は引きこもって古い映画ばかり見ている現在、娘の主人公が仕事を引き受けている。彼女は、亡き母を想いつつも、無類の読書好きで、(本作の題名の由来でもある)プラトンの『饗宴』やらサルトルの『出口なし』やら読み耽っていてたところ、その知性を買われて、ある日、同級生の男性にラブレターの代筆を頼まれる(携帯の普及したこのご時世に!)。もともと『シラノ』の主人公たちも、年齢を計算するとシラノがだいたい21歳で青年隊所属、ロクサーヌはハイティーンくらいなので、実は学園物への翻案もそう不自然ではない。本作の魅力は、ほかにいくつかあって、父親役を扮するアクション俳優コリン・チョウが、『ベルリン天使の詩』のフランス語のセリフを娘に聞かせたりする見どころのある“映画論映画”としても楽しいし、そして何より、台湾系アメリカ人の監督が憑依したかのように、主人公が、プラトンからロスタンを介してサルトルまで、偏見まみれの過去の名著の数々から、自分のアイデンティティを肯定するロジックを最短で導き出す姿を観ていると、やっぱり読書っていいなぁと痛感する。
https://youtu.be/ALAewF-Qfso
『もう終わりにしよう。』
ひさびさのチャーリー・カウフマン作品。ある意味で、ネタバレがもっともはばかられる類の映画だろう。というのも、ネタバレ反対派の美学者によれば、能動的鑑賞とは、当初は注意を払っていなかった細部を呼び戻しながら自分なりの見立てを再構成することだとすると、重要な細部を指摘したり解釈を提示したりするネタバレは、能動的鑑賞を阻害するからだ。漫然と見ていてはさっぱりわからない本作の楽しみはまさにそこにある。雪道に停めた車のなかでジェイクとジェシーが会話するシーンが本作の多くを占め、序盤ではジェイクの実家に行くほか、さまざまな起伏がある。というより終盤に向かうほど不思議な展開を見せる。それでいて、全体の一貫性はかすかに感じ取れる絶妙な構成。『マルコヴィッチの穴』や『脳内ニューヨーク』を思わせる箇所もあって、本作全体が、脳内雪景色さながらなのだが、細部から漏れ出るカウフマン特有の悲哀がどうにも心にしみる。有名なミュージカルのスピンオフとして、『コブラ会』や『ラチェット』のように楽しむこともできるが、本作の醍醐味は、そこだけではないはず。
https://youtu.be/PTo0VC1vvtM
【付記】
コロナ禍にもかかわらず今年も豊作だった。『パラサイト』や『ミッドサマー』、『彼らは生きていた』や『1917』が上半期では話題をさらった一方で、『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』がついに封切りとなり、『ハスラーズ』のようなシスターフッド映画の良作、邦画では、ドキュメンタリーの野心作『さよならテレビ』、劇映画の傑作『37セカンズ』も公開された。ほかにも『エクストリーム・ジョブ』『タイラー・レイク』『テネット』『スパイの妻』などなど。『市民ケーン』の脚本家の執筆動機に焦点を当てて『市民ケーン』風に撮影されたフィンチャーの『マンク』も記憶に新しい。saebou 辺りがいち早くコメントしていて不思議ではない(けれどその形跡が見当たらない)リサ・クライン原作の『オフィーリア 奪われた王国』も配信中。ただしこれらの話題作はあえてここで取り上げるまでもないかもしれない。ベルモンド傑作選はかなり観たが、山中貞雄4Kリマスターを逃したのが痛恨。さらに今年は、リモート映画の試みがいくつもなされた。日本で今年公開されたフランス郊外が舞台の『レ・ミゼラブル』を撮った監督ラジ・リも参加するオムニバス『HOMEMADE』が Netflix で配信され、同様に、日本でもオムニバス『緊急事態宣言』がアマゾンプライムで配信された。YouTube では蛭子ユウキの『Donut Hole』や高橋洋の『彼方より』が見られるが、後者の不気味さには意表をつかれるはず。

exquise

『真実』(是枝裕和)
是枝監督の作品は秀作揃いだとは思いつつ、手放しで好きとはいえなかったのだが、この作品はすんなりと楽しめた。俳優の母と脚本家の娘、というどちらも「作り話により本当のことを見せる」世界に生きる二人の愛憎入り混じる攻防が、シリアスになりすぎずサラリと嫌味なく描かれている。その二人をカトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュという、彼女ら以外に考えられないキャストが演じたのも最高だ。特にドヌーヴの存在感がすばらしく、自分のことしか考えず、女優であることを何よりも優先するイヤな女なのに、ときにチャーミングで可愛らしくて憎めず、本人もこんな感じなんだろうかと思ってしまう。おそらく監督は彼女を念頭にこの役を書いたのだろうが、本当にドヌーヴが引き受けてくれてよかった。
『未来を乗り換えた男』(クリスティアン・ペッツォルト)
ファシストの迫害から逃げる人々の物語で、原作は40年代に書かれたそうだが、舞台を現代に置き換えながら、それぞれの登場人物の服装や持ち物がまちまちでいつの時代の話なのか混乱させる設定になっている。彼らの背景や関係もほとんど語られず、見る側は台詞の端々から推測するしかない。しかしそれがこの映画の不思議な魅力となっていて、このような状況はいつでも起こりうるのだと思わせる。エンドロールに流れるトーキング・ヘッズにも意表をつかれた。監督にはこれからも期待したいです。
『幸福なラザロ』(アリーチェ・ロルヴァケル)
素直で欲がなく人を疑うことを知らないラザロ。しかし根っからの善人である彼を、周囲の人々は利用するだけ利用し、馬鹿にし、裏切り、挙げ句の果てには悪人扱いする。私たちは無垢で美しく善なるものを日ごろ讃えているけれど、現実ではそのようなものには人間の社会での居場所がないということなのだろうか。こんな切ない結論が導かれたものの、ラザロのナイーヴなたたずまい、その純粋でうつくしい瞳はずっと見ていたくなるものだ。だから私はこの映画をこれから何度も観たくなるだろう。
『ジョジョラビット』(タイカ・ワイティティ)
明るい映像と登場人物のキャラクターがちょっとドイツっぽくない(おまけにみんな英語しゃべってるし)感じがしたが、戦争という重い内容をコミカルでユーモラスかつ同時に深く考えさせてくれる秀作だった。お母さんを演じたチャーミングなスカーレット・ヨハンソンを筆頭に、子役も含めてすべてのキャストがすばらしかった。特にやな感じの役が多いサム・ロックウェルが今回いい味を出していて、最後ロックスターになるところでは泣きました。監督演じるアドルフ君がかわいすぎるのはちょっとアカンのちゃうと思いましたけど笑。ビートルズやボウイの名曲がこういう内容の映画に使われるのも意外でとても新鮮だった。
『リチャード・ジュエル』(クリント・イーストウッド)
クリント・イーストウッドの過去の作品を数本放映していたのでまとめて見たが、作品を重ねるにつれて作風がどんどんニュートラルになっていくのがわかった。冤罪事件を扱ったこの作品も、あいかわらず淡々と事件の経過を描いており、それだけにひとりの一般市民が権力とマスコミによりあっという間に英雄から犯罪者へと仕立て上げられる様子が容赦なく語られる。それほど期待せず見始めたのがだんだん見入ってしまい、2時間11分という長さも感じなかった。それほど期待しなかった理由の一つに主人公が地味だ、ということがあったのだが、それがどうしてリチャード役のポール・ウォーター・ハウザーが非常にすばらしかった。この作品でも弁護士役のサム・ロックウェルが『ジョジョ』とは違ういい味わいで、2人の出会いを描いた冒頭のシーンがとてもよい。

noisette こと、武内英公子

『ハッピー・バースデイ』 Fête de famille
日本の配給会社によるフランス映画の宣伝PVやキャッチフレーズっていつも首をかしげざるを得ないものが多いのだが(ちゃんと観たらこうなるはずがないし、現にフランスでのレヴューはこんなこと書いてないし…小難しいことを言うと売れないからだろうか?)、この映画を観たあと「きっと家族に会いたくなる」なんて素直に言えるはずがない…むしろ、格差社会が家族間にも分断をもたらし、かつて包摂的だった家族はフランスでももう機能していないことが、相変わらず美しく牧歌的な自然に囲まれた夏の田舎の瀟洒な邸宅の光景と対比的に描かれている…のだと思うのだが。(日本では2021年1月8日公開、オンライン試写会で観たので、以下ネタバレ注意です。)カトリーヌ・ドヌーブが演じるアンドレアは、大家族の中心的存在。映画では家族のメンバーが集まる彼女の70歳の誕生パーティの1日を追う。長兄は実業家でその妻は医者、いわゆる勝ち組だ。映画監督気取りの売れない&食えない次兄は、母の誕生パーティの様子を映画に撮って一発当てようと目論んでいるが、どうも才能はなさそう。そこに自分の娘を母に押し付けて、アメリカで3年も消息不明だった長女クレールが転がり込んでくる。彼女は精神を病んでいて、家族との久しぶりの再会を涙ながらに喜んだかと思うと、みんなで食卓を囲んでいる真っ最中に突然自分がいかに金に困っているか、なのに誰も助けてくれないと叫び出す。実はこの邸宅は財産相続の関係で、この頭のイカれた長女のものでもあるのだが、この邸宅を売って自分に自分の取り分をよこせと喚き散らす。挙げ句の果てに、アメリカの彼氏から盗んで持ってきたらしい宝石類がなくなったと大騒ぎして、あろうことか自分の娘が連れてきた黒人の彼氏に、黒人のお前が盗んだんだろうと怒鳴り散らす。古き良き時代を体現しているアンドレアは、かつてだったらこの問題だらけの家族をまとめ上げる力があったのだろう。ところが、このブルジョワ的な邸宅は、実は彼女のものじゃないし、長女から買い戻す金もない。誰も手がつけられなくなったクレールを病院送りにすることに家族で決めるラスト・シーン。フランス社会がもはや異質なものを包摂する力もないのだということが示唆されているように思えてならない。
『私の知らないわたしの素顔』 Celle que vous croyez
SNSあるあるな話である。Facebook 上で若い女の子になりすまし、フランソワ・シビル演じるアレックスを翻弄する、ジュリエット・ビノシュ演じる美しい大学教授クレール。彼女に首ったけになって何とか会おうとするアレックスを振り切って、最後まで会わずに逃げ切るが、彼が自殺したと聞かされ、ショックでカウンセラーに通っている。実は若く魅力的な姪っ子に夫を寝取られたトラウマで、彼女になりすましたのだと明かされるラスト・シーンがちょっぴり切ない。しかしさすがにフランス人でも(ビノシュでも)50代の女性が20代の男の子を騙した挙句、正体を明かすのは憚られるようだ。ただ思春期の子供が2人いても、恋心を忘れないのはあっぱれといおうか、見習いたいもの。映画でこういうネタが成立するのも、日本人女性に比べ、フランス人女性が親の介護や子供の受験などから、ずっと解放されているからだと思う。同年代の友人のフランス人女性が、「子供は親が好きで産んだのだから介護をする必要はないんだ」と言い切っていたことが思い出された。もちろんそれも社会的インフラがあってのことだが。
『グレタ』 Greta
映画の日本公開が2019年末、DVD発売が2020年9月だった、ユペール様主演のサイコ・スリラー『グレタ 』。一言で言えば「バッグを拾っただけなのに」。しかも親切に家まで届けてあげたのに。こういう映画がヒットすると、ますます他人に親切にする人がいなくなりそう。イザベル・ユペール演じるグレタは、フランス人のふりをしたハンガリー人という設定で、彼女の演技力があるからこそ、単なる孤独でキモいサイコパスでなく、優雅な殺人鬼という印象も加わるのだが、ほぼ英語しか話してなくて、ちょっと複雑。やっぱり彼女には、あの憂いのある声でフランス語を話してもらいたい。

黒カナリア

『窮鼠はチーズの夢を見る』
今年はコロナの一年なのはもちろん個人的にはBL元年となった。コロナ禍でオンライン授業を強いられ慣れるまではもう本当にストレスフルだったのだけれど、それをなんとか乗り切れたのはBLコミックのおかげだった。最近はまっちゃってーと親友に話すと、あなた昔からそうだったよ、と言われて初めてあ、そういや私、英語学概論の時間中に元祖BL「風と樹の詩」読んで泣いたよなーと。初めて全巻揃えて買った漫画は「日出るところの天子」だったし。そもそも腐女子だったのね。そんなBLコミックの傑作「窮鼠はチーズの夢を見る」と「俎上の鯉は二度跳ねる」をまとめてつづったのが関ジャニの大倉忠義と、成瀬凌の主演で話題をさらった本作。原作の、男が男に恋をする、ひりひりして、不安と恍惚を行きかえりするその辛くて甘いさまを実写化できるのかなあと思っていたのだけれど、思いのほか繊細に仕上がっていた。大倉忠義は前からうまいというか器用な人だと思っていたけれど、「流され侍」と評される、女にもてるが言い寄られるとすぐに流されて関係を持ってしまうといういい加減な男、大伴を、原作よりも更につかみどころのない不気味さまでも秘めた深みを感じさせる存在に。そしてとにかく大伴に長年片思いをしてきた今ヶ瀬を演じる成瀬凌が魅力的。共演の女優陣を押しのけてまさに「ヒロイン」と言っていい、大伴を見る濡れた瞳の愛らしさと、もしかして愛されてるのでは?と期待するときに見せる怖れを伴う憧れの表情。男同士なんてと拒否していた大伴がほだされていくのもわかる圧巻のかわいさだった。原作よりも更に一踏み込んだエンディングも余韻を残して、うなずける良作。
https://www.phantom-film.com/kyuso/
『スパイの妻』
今の時代にこういう作品を撮って、しかもハラハラドキドキのサスペンスフルに仕上げたところが素晴らしい。戦争という名のもとに個人の幸せや優しさなどという思いは踏みにじられる。「妻に見えないんじゃないの?」と先の親友は言っていたが、蒼井優はあくまで前半は無邪気な少女のような若妻が、夫が巻き込まれた国を揺るがす機密を知った後の、誰を犠牲にしても夫のたくらみをかなえようする、そしてあくまでも離れないでいようとする強い女への変貌を、熱を込めた演技でみせていた。ただ夫を演じた高橋一生の、個人の自由を重んずる理想主義者でありつつ、やり手の貿易商らしく、冷静にことを進める淡々とした中に凄みを感じさせる、優れた受けの演技があってこその蒼井優の熱演かなとも感じた。妻を欺いても彼女を守りぬいて、だましぬいて旅立った夫。こんな思いをする人たちがすぐ近くにいるのではと思わせる、そんな時代になってますよね。今。
https://wos.bitters.co.jp/
『囀る鳥は羽ばたかないーThe clouds gather』
先に書いたように個人的BL元年で、数十年ぶりでコミックにはまり、こんな傑作に出会えてコロナ禍のストレスも何もかもすっ飛んだといっていいが、原作愛を語るのは本題からそれるので映画の話を。しぶしぶ…繊細かつ骨太なコミックを実写化するには原作のファンが全員納得する配役は不可能なので、アニメ化というのは正しい。ただ原作のヨネダコウのあの繊細な線をアニメにできるのかという不安は残りつつも、血管まで浮き出た太ももや、背中の格好良さの描写など、きちんと主役の「矢代」をあくまでも「男」として丁寧に描いていて、そこがよかった。美貌のやくざ矢代は、子供のころから義理の父に性的虐待を受け続けた結果、マゾで男に犯されないと性的に満足を得られないように。その矢代のもとに元警官だが、血のつながらない妹が父親に犯されるのを見て父親を半殺しにして刑務所に入り、父に対する嫌悪と妹への罪の意識から不能になった百目鬼が用心棒としてやってくる。やくざや警官からオカマ、雌、淫乱と蔑まれながら実は純粋で、誰よりも男としての矜持を隠し持つ矢代に気づいた百目鬼は、カシラは「強くて優しくて綺麗」と愚直に従うようになる。淫乱と不能という一見相反する二人だが、どちらも大事な人を守るために自らの人生を犠牲にしたという共通点があり、どちらも生きたいと思わずに生きている。その二人がお互いひそかに思いあうことで、少しづつ再生しはじめる。百目鬼は矢代に惹かれて不能が治り、矢代は不能と思い込んでいた百目鬼の変化に戸惑い、淫乱に隠してきた自分の本心を持て余す。このいわば「傷だらけの純情」の二人の再生する様を縦糸にやくざの抗争を描いた原作(今現在6巻刊行)の二巻目の途中(最初の山場)くらいまでを描いたのが本作なのだが、とにかくR15で堂々と男同士のセックスシーンを描き、まだ原作も終わらないうちからアニメ映画を作ったという勇気ある決断に拍手を送りたい。ドラマCDと同じ配役の声優陣の演技も素晴らしい。ことに矢代を演じた新垣樽助はまさに「息遣いの魔術師」で、無言に本音を忍ばせる難しい矢代の役を、繊細な息づかいと気持ちの揺れを隠した吐息で表現し、文字通りキャラクターに命を吹き込んだ。ファンとしては動くキャラクターを見られる至福の時をくれた本作に感謝。次作が楽しみで仕方ない一本。
https://saezuru.com/

@cyberbloom

『冬時間のパリ』 オリヴィエ・アサイヤス
原題は doubles vies である。舞台はパリかもしれないが、「冬時間」に対する言及などどこにもない。複数形になっていることは、double vie =二重生活が複数あることが示唆されている。二重生活とは、結婚しているにもかかわらず愛人を持ち、本妻と愛人とのあいだの二重生活をしていること。さらに冒頭から、ヴァーチャルとリアル、デジタルとアナログのあいだの新しい二重性について議論が延々と続く。ヴァンサン・マケーニュ演じる小説家の作品をめぐって「小説は虚構か現実か」という古い議論もそれに重なるが、SNSの時代に小説家は読者と同じ目線で批判され、叩かれ、もはや特権的な場所にはいない。しかし、この映画は「なんやかんや言っても、結局はリアルでしょ」と、小説家の夫婦のあいだで最後に起こったことを通して力強く言い切っている。それでこそフランス映画だ。 
『男と女 人生最良の日々』 クロード・ルルーシュ
「男と女」から53年、アヌーク・エメ、ジャンルイ・トランティニャンら、主要キャストが再集結した。思いがけず良かった。撮影の時点でトランティニャン89歳、エメが87歳という事実がすでに奇跡だ。夢(=映画)か、現実かという揺らぎは、高齢者の日常である。単にはぐらかしているのか、本当にボケているのか、これも高齢者とのコミュニケーションにおいて日常茶飯事だ。半世紀という歳月を経た映画のストーリーと、俳優たちの人生、そして私たちの人生(『男と女』とほぼ同じ年に生まれ、介護問題に直面する自分!)が否応なしに重ねあわせられる。こんな映画ほかにあっただろうか。パリを高速で疾走するラストシーンはパリを愛する人なら誰もが共有できる光景で、人生の最期の走馬灯のように切ない。『男と女』はエメの物憂げなまなざしだけで映画として成立していたが、彼女の「目力」は今も健在だった。
『パラサイト 半地下の家族』 ポン・ジュノ
リスク社会論のウリッヒ・ベックが「ブーメラン効果」について論じている。それは、自分には関係がないと思っていたところから思わぬ危害がはねかえってくること。911のように、第三世界の貧困など全くの他人事と思っていたら、テロリストが飛行機をハイジャックして高層ビルに突っ込んでくる構図が最たるものだろう。しかし近年、国内格差が著しく広がった先進国の富裕層にとっても貧困は身近なものになり、否応なしに視界に入ってくる。見たくないものを強引に遮断し、高い塀を巡らせた「ゲーテッド・コミュニティ」に住むという選択もあるだろう。それでも身の回りの世話をしてくれる人間を雇い、家に招き入れる必要がある。介護士や家政婦や運転手のような対面的なサービス業はアウトソーシングできない。それゆえ、彼らが刺客として家に入りこむかもしれないのだ。ほぼ同時期に公開されたホアキン・フェニックス主演の「ジョーカー」の主人公は自分のなけなしのアイデンティティを確認しようとすればするほど不幸のどん底に叩き落され、自分の身体に暴力的に刻み込まれたものが発作的に、痙攣的に噴出するという救いようのない映画だった。一方「パラサイト」は下層を生きる人々の悲哀と怨嗟だけでなく、システムの上にただうまく乗っかっているだけの富裕層の人々には絶対的に欠けている、家族の結束力と人間力を描きつつ、最後まで展開を予想させない極上のエンターテイメント作品だった。



posted date: 2020/Dec/26 / category: 映画
cyberbloom

当サイト の管理人。大学でフランス語を教えています。
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