2018年11月26日、イタリアを代表する映画監督ベルナルド・ベルトルッチが亡くなった。享年77歳。数年前から車椅子生活だったが、2013年にはヴェネツィア映画祭の審査員長を務めるなど健在ぶりをアピールしていただけに、ファンの落胆は大きいだろう。もはや彼の新作を観る機会は永遠に失われた。しかし、 早熟の才能を開花させ、若くして問題作を世に送り届け、晩年に至るまで活躍したベルトルッチが残した作品群は、いまなお再見するに値する傑作ばかりだ。その死を追悼しつつ、独断と偏見で順位を付けながら、彼の映画を改めて振り返ってみよう。
第10位 『パートナー(ベルトルッチの分身)』(1968)
日本では長らく劇場公開されることがなかったベルトルッチ若かりし頃の作品。数年前にようやく公開された際、その理由が分かった。確かにこれは滅茶苦茶だ!一応原作はドストエフスキー。だが、ストーリーはあるのかないのか、という程度で、まさに「68年の映画」と言える。しかし、ピエール・クレマンティの自由さ、ステファニア・サンドレッリの美しさに加え、光と影の怪しさ、色彩と音響の冒険に呆れさせられながら、なぜか最後まで見させされてしまう実に不可思議な映画である。
第9位 『魅せられて』(1996)
恐らく、この映画はキャリア晩年のベルトルッチが撮った最高傑作であろう。淀川長治が『キネマ旬報』に書いた鮮やかなエッセイが思い出される。そのエッセイもまた淀川が書いた最も美しい文章の一つだ。ベルトルッチは女主人公に寄り添うのが上手い。この作品もまさにリブ・タイラーの為に作られたようなものだ。恋に奥手の少女が、トスカーナの美しい大地で様々な人との出会いによって大人の世界に目覚めていくという「つかの間の夢」のようなお話。ジェレミー・アイアンズが相変わらず良い味を出している。
第8位 『暗殺のオペラ』(1970)
この作品はベルトルッチの作品中、最も夢幻的で幻想的な映像に溢れたものになっている。
原作はボルヘスの『裏切り者と英雄のテーマ』。英雄として祀られた父の死の真相を知るために過去を探ろうとした主人公が、亡霊のように彷徨い出して来た記憶の断片によって、意外な事実へと突き当たるという物語。だが、そのような物語の展開以上に観る者の脳裏に残るのは朧げな映像の数々だろう。それに浸れない者は、この映画の世界からは排除される他ない。
第7位 『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)
言わずと知れた、スキャンダルに溢れた映画。日本ではいまだに完全な形では観ることが出来ないのではないか。最近になってもその撮影倫理が議論の俎上に上るなど、まさに永遠の問題作と言える。しかし、そのような問題点を孕みつつも、この映画の映像が保持する美しさは疑い得ないのではないか。この作品には1970年代のパリのアパルトマン、街路、ダンスホールとそこに集う人々だけが持ち得た「愁い」のようなものが間違いなく刻み込まれている。これほど完璧に統御された映像を前にすれば、マーロン・ブランドもマリア・シュナイダーも、結局はその只中を彷徨うことだけしか出来なかったのではないだろうか。
第6位 『ラストエンペラー』(1987)
ベルトルッチ映画最大のヒット作。米国アカデミー賞9部門を受賞するなど、ベルトルッチの国際的評価を決定づけた作品。これはいわゆる大作映画であり、商業映画とみなされても仕方がない。だが、ベルトルッチは清朝最後の皇帝溥儀の生涯を単なる歴史物語にはしなかった。溥儀(ジョン・ローン)は何も自分で実行することがない。常に誰かに操られ、誰かの意志の元に行動する。その意味では、彼もまた時間のなかを彷徨うだけのいつもながらのベルトルッチ的存在だ。だが、ベルトルッチはそれを「悲劇」と捉えることがない。なぜなら、漂う時間の波の中でもがき続けているのは、溥儀だけでなく、甘粕(坂本龍一)も、ジョンストン(ピーター・オトゥール)もまた同じだからだ。ここに示されたのは人の運命などではなく、そんなものは決して定まらないということなのだ。『ラストエンペラー』は、歴史上の人物の実存的で偶然的な在り方に迫った稀有な作品だと言えるだろう。
次回は5位から1位を発表!
TOP PHOTO BY Sarah Ackerman from New York, USA [CC BY 2.0 ], via Wikimedia Commons
普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中