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あなたの知らないホウカツの世界 第4回 わきまえない『実践ガイド』(後編)  

text by / category : フランス語学習

女性の存在の可視化(第2・3・4・7項目)

 『実践ガイド』の提案のうち、このセクションで扱う部分だけ再掲しておきます。

2.肩書は人物の性に一致させること(女性には肩書の女性形を用いること)
3.男女両方に向けたメッセージのなかでは女性形と男性形を使うこと
4.女性形と男性形を列挙するときはアルファベット順でおこなうこと
7.la femme ではなく des femmes と、droits de l’homme ではなく droits humains と言うこと

 フランス語には、通性語を除くと、少し以前まで、男性形でしか存在しなかった肩書や職業名があります(chef、ministre、professeur など)。『実践ガイド』では、こうした場合、女性の存在が見えなくさせられていると考えて、女性の存在の可視化のために、Madame le professeur ではなく Madame la professeure のように女性形を用いることを推奨しています。
 実は、90年代の保革共存政権下にリオネル・ジョスパン首相の依頼で、言語学者たちが肩書の女性形に関するガイドブックを刊行していて、この件に関する専門的な議論はおおよそ決着済みだったりします。

 『実践ガイド』では、それにくわえて、女性を含む相手に呼びかける場合、女性形を並置することを、そして並置の順序が男性優先にもレディーファーストにも陥らないよう、アルファベット順にすることを勧めています。HCE(男女平等高等評議会)の正式名称 Haut Conseil à l’Égalité entre les femmes et les hommes も、実はアルファベット順だったりします。

男性形優位のフランス語

 こうした勧めの背景には、フランス語の“男性形優位”と呼ばれる規則があります。100人の集団に女性が99人いても男性が1人混じっていれば、ils(彼ら)という代名詞を使い、形容詞も男性複数形を用いたりします。肩書でも、社会的地位の高い肩書は、女性形を使わず、女性も男性形で指し示すことが長らく慣行となっていました。
ここで『実践ガイド』では、コラムのような形で、次の歴史を紹介しています(22-23頁)。

1645年  アカデミー・フランセーズ創設
1647年  アカデミー会員のヴォージュラ(Claude Favre de Vaugelas)が「男性形は女性形より高貴である」と記述
1767年  文法学者ボゼ(Nicolas Beauzée)もヴォージュラを追認
1882年  第三共和政下で義務教育が導入される際に、男性形優位を採択

 17世紀以前は、すべての肩書には女性形がありましたが(marchande、abbesse、administeresse、doctoresse、autrice)、17世紀になってフランス語の規則が整備される際に、文法家や辞書学者が、男性形を優位とする規則を課し、それが19世紀の民主教育にも受け継がれた結果、古フランス語に存在した多くの女性形が消えてゆき、社会的地位の低い仕事の場合のみ女性形が残ることになったというわけです(そのほかに、ambassadrice で外交官夫人を指したように、役職を持つ男性の伴侶を指す名詞として残った場合もあります)。

 『実践ガイド』は、「フランス人権宣言」(1789年)のdroits de l’homme(人権)という言葉にも着目しています(38頁)。
 人権という言葉が含む homme の男性単数を地で行くように、この宣言は、実際には女性の権利を相当に排除したものでした。オランプ・ド・グージュの「女性の権利宣言」(1791年)はまさしくその点を問題視したものでしたし、1792年に女性たちは、フランス語の文法に言及しながら「あらゆる性は等しく高貴である」と主張しました(23頁脚注)。
 20世紀の戦後、「世界人権宣言」を起草する際、フランス語の droits de l’homme に基づいて、人権が man rights に決まりかけたところ、その場にいた唯一の女性であるエレノア・ルーズベルトが抵抗して、human rights に落ち着いたとも言われています。それにならって、『実践ガイド』では、homme で人間全体を表現するような換称法は避けられ、フランス語でも、人権と言うとき droits humains が推奨されています。

 そういうわけで、『実践ガイド』は、歴史を通じて私たちの言語使用にすっかり内面化された男女のヒエラルキーに基づくステレオタイプを、問い直そうとしているのです。
 なお、こうした歴史記述の多くは、フランス文学史家の Éliane Viennot の研究に基づくもので、ガイド内部でも文献案内で彼女の著作を挙げています。Viennot 以降の議論については、三省堂のコラム「どうして性数一致は男性形が優位なの?」を参照してください。この連載でも、機会があれば、あちらのコラムにコメントしたいと思います。

最近の問い?

 『実践ガイド』の第3項目「男女両方に向けたメッセージのなかでは女性形と男性形を使うこと」では、『包括書法マニュアル』と同じく、複数のオプションが提示されています。
(1)アルファベット順の列挙
(2)分かち表記(書面のみ)
(3)通性語の使用
 ただし男性冠詞と女性冠詞の両方を受ける通性語を使用しても、男女両方を示すには、un.e élève やun.e fonctionnaire のような分かち表記を必要とします。
(4)名詞の性は一定でも男女両方を含む「包摂的」な単語の使用
 具体例を出せば、une personne, le corps professoral, le public など。ガイドやマニュアルによっては、こちらも通性語に含められることがあります。

 そして、この第3項目の文脈で、ノンバイナリーな発想の萌芽を見てとることができます。スウェーデンで2015年に正式に採用された性中立代名詞 hen の紹介とともに、フランスではこれは「かなり最近の問い」だとして、コラムのような形で、以下の性中立代名詞を紹介しています(広告会社の『包括書法マニュアル』ではこの部分が割愛されています!)。
il / elle → iel や ille
ils / elles → iels や illes
celles / ceux → celleux や ceulles

 また、第7項目で「la femme ではなくdes femmes」と言うように勧めているところも重要です。単数定冠詞の la Femme(女性というもの)という表現は、単数定冠詞の l’Arabe(アラブ人というもの)や le Juif(ユダヤ人というもの)と同じくステレオタイプなイメージに相当する幻想や神話であると見なされて、現実の多様な女性たちを指し示す複数形の les femmes という表現が勧められています(des と les の違いはひとまず置いておきましょう)。さらに、こう付け加えられています。

 現実には、女性たちは、彼女らの人格・嗜好・肌の色・職業活動の複数性によって、それぞれ違っていて、社会が彼女らに押し付ける表象には収まりません。(37-38頁)

 この文言を好意的に受け取るなら、ここには、女性たちを現実に分断している「複合差別」や「交差性」に対する問題意識を垣間見ることができます。

 以上のように、HCEの『実践ガイド』は、しっかりとした歴史観とこまやかな配慮に裏打ちされた冊子です。
 ただし、性ステレオタイプ撲滅のための提言に重点が置かれていることもあって、分かち表記以外では、書法の具体的な提案が少なめだと言えそうです。また、性的マイノリティの人々への視点や、女性たち内部の分断への視点も、ほんの少し見られる程度です。
 その背景として、HCEがあくまで「男女平等」を主眼に据えた行政組織であることや、簡潔なガイドブックゆえの制約を考慮すべきかもしれません。
 公平性を期すために、フランス語圏の他の国々の方で、どのような包括書法が検討されているのかを見てゆく必要があるでしょう。

 ともあれ、包括書法の提起する議論は、フランス語圏の社会やフランス語の歴史、フェミニズムの歴史から、現代の欧州の国際政治や LGBTQI や今日の文学・芸術、さらにはフランス語教育のあり方まで、実に幅広い問題関心の入口となっていることに、そろそろ気づいていただけたかと思います。
 ホウカツの世界は、かくも広大にして奥深いのです。

 次回は、肩の力を抜いて、2017年のカルチャーを少し覗いてみましょう。

参考資料

・三省堂のコラム「どうして性数一致は男性形が優位なの?」
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/ghf22
・昨年刊行の『シモーヌ』誌のオランプ・ド・グージュ特集は、「女性の権利宣言」以外のテクストも新たに訳され、充実した内容です。
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-9103-4.htm
・ジョスパン首相の依頼によって作成された以下のガイドブックのタイトルが、ポール・エリュアールの詩 « Liberté »から取られているのは、みなさんもお気づきかと思います。Femme, j’écris ton nom… Guide d’aide à la féminisation des noms de métiers, titres, grades et fonctions, préfacé par Lionel Jospin, Paris, La Documentation française, 1999.(リンク先PDF)
https://www.vie-publique.fr/sites/default/files/rapport/pdf/994001174.pdf
・HCE(男女平等高等評議会)の『性ステレオタイプのない公共コミュニケーションのために:実践ガイド』(リンク先PDF)
https://www.haut-conseil-egalite.gouv.fr/IMG/pdf/guide_pour_une_communication_publique_sans_stereotype_de_sexe_vf_2016_11_02.compressed.pdf
・広告会社Mots-Clésの『包括書法マニュアル』(リンク先PDF)
https://www.univ-tlse3.fr/medias/fichier/manuel-decriture_1482308453426-pdf

☆Top photo by Photo by Erica Li on Unsplash



posted date: 2021/Mar/20 / category: フランス語学習
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