前回の末尾で、包括書法は欧州諸国全般の動向だと書きましたが、それにはれっきとした理由があります。年表を見てみましょう。
2008年 欧州評議会で、言語内セクシズムの除去の勧告が採択される
2013年1月 フランスの首相の独立諮問機関 HCE(男女平等高等評議会)が発足
2014年4月2日 フランスで「現実的男女平等法」の制定
2015年11月~ HCE が『性ステレオタイプのない公共コミュニケーションのために:実践ガイド』を配布
2008年に、欧州評議会が、「言語におけるセクシズムの除去と、男女間の平等原理を反映した言語の促進」を目指す勧告を採択しました。これが、近年、欧州で新たに現れた包括書法の原点だと言えそうです。
フランスでは、これに準ずる形で、HCE(男女平等高等評議会)の創設や「現実的男女平等法」の制定がおこなわれ、この方針が国から地方に下りていった後に、『実践ガイド』が刊行されました。
前回扱った広告会社の『包括書法マニュアル』は、HCE の『実践ガイド』に基づいていると紹介しましたが、実際には両者はかなり異なります。
前者が、PDF で20頁のシンプルなライティング・マニュアルであったとするなら、後者は、PDF で60頁と分厚く、もう少し志が高いものです。そのタイトルが示すとおり、性ステレオタイプを撲滅して、「いっそう包括的で平等なコミュニケーション(communication plus inclusive et égalitaire)」を目標としています。つまり、その内容は、書法だけでなく、当然、口頭での意思疎通、そして女性をめぐるマナー、さらにはポスターなどでの男女の表象のあり方やジェンダーバランスまで含めて再検討をおこない、そうした姿勢の定着まで視野に収めているのです。
『実践ガイド』の提示する十項目の勧めを列挙しておきます。
1.あらゆるセクシズム表現を除去すること
2.肩書は人物の性に一致させること(女性には肩書の女性形を用いること)
3.男女両方に向けたメッセージのなかでは女性形と男性形を使うこと
4.女性形と男性形を列挙するときはアルファベット順でおこなうこと
5.女性たちや男性たちの身元をフルネームや役職で提示すること
6.女性にだけ私生活の質問をしないこと
7.la femme ではなく des femmes と、droits de l’homme ではなく droits humains と言うこと
8.女性たちや男性たちの表象を多様化すること
9.女性と男性の人数のバランスに注意すること
10.〔こうした作法の〕プロフェッショナルを育成してこのガイドを配布すること
あまり系統だった並びとは言えません。以下では、おおまかに二つに分類して、連載の今回は「性ステレオタイプ撲滅への取り組み」を扱います。前回のような包括書法に関する内容は、次回の「女性の存在の可視化」で扱うことにします。
『実践ガイド』では、性ステレオタイプに対して、おおよそ三つの角度から取り組んでいます。
第一に、公共の場での言動についての注意喚起です。
例えば、フランス社会には、旧来の結婚観や家庭観に根差した表現がさまざまに存在します。『実践ガイド』では、次のような言動を避けるように提案しています。
(1)マドモワゼル(mademoiselle)や、家長(chef de famille)のほか、ファミリーネームを nom patronymiqueと呼ぶことや、既婚女性の旧姓を nom de jeune fille と呼ぶこと。
(2)職場で、男性をフルネームや役職で呼びながら、女性をファーストネームで呼ぶこと。
(3)女性主任や女性課長に対してだけ、家事のやりくりなどについて尋ねること。
第二に、画像による男女の表象についての注意喚起です。
ここは、視覚資料が豊富で『実践ガイド』のなかでも読みごたえのあるところです。
男性たちや女性たちを表現する場合、性ステレオタイプを回避して、多様性を持たせることを推奨しています。つまりそれは、さまざまな年齢・出自・職場・宗教、いろいろな心身の能力の持ち主に向けて情報を発信することです。
以下では、性ステレオタイプな表現方法が列挙されています。
(1)色使い
女性たちに対してピンクや優しい色を、男性たちには青や暗い色を使うこと
(2)活動
女性を母親的な活動に、男性を管理職や技術職に、ハイテクやサイエンス絡みの仕事か、フィジカルや手先の能力を使う仕事に結びつけて描くこと
(3)服装
男性を実用的な服装にして、女性を露出度の高い格好や描かれている活動にふさわしくない服装にすること
(4)姿勢
女性を男性に添えて、官能的もしくは受け身や従順な姿勢で、男性を自信に満ちた支配的な姿勢で描くこと
(5)位置関係
男性を手前に、女性を後ろや端っこに配置すること
(6)環境
男性を屋外や職場に、女性を屋内や家庭にいるものとして描くこと
(7)人間関係
力関係を描くこと(協力関係をなるべく描くことが推奨される)
注意すべきは、これらを絶対にやってはいけないということではありません。描かれる現実がたまたまステレオタイプな状態だということもありえます。問題は、ステレオタイプな表現をシステマチックにやるのがまずいということです。ここでのシステマチックとは、深く考えずに機械的に同じやり方を続けることです。
『実践ガイド』では、悪い例と良い例を対比していくつか画像を比較しているので、実際に目を通すことをお勧めします。基本的に、省庁、学校、スポーツの業界団体など、公共機関の募集告知やイベント告知のポスターが対象となっています。
第三に、ジェンダーバランスについての注意喚起です。
(1)画像・映像のジェンダーバランス
登場する人物のジェンダーバランスを調整すること。
添えられている画像は、財務大臣たちと中央銀行総裁たちとの会合の写真で、悪い例とは書かれていませんが、男性ばかりで女性がわずかに隅っこに見えるばかりです。
(2)コミュニケーションの主題のジェンダーバランス
男性たちと女性たち双方が経験に照らして書くことのできる多様な主題を提示するよう努めること。
(3)講演イベントと時間配分のジェンダーバランス
男女の数を計算し、女性と男性の発言時間を計算すること、また女性の専門家が見つからない場合は、女性の専門家を案内するウェブサイトにアクセスすること。
(4)通り・建物・施設・会場の名称のジェンダーバランス
人名を使った通りの名前のうち6%しか女性の名前が使われていないが、女性のクリエイターや偉人を扱った名著が多数存在するので、これらを参照すること。
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以上のように、包括書法についての欧州全般の歩みを確認したあと、HCE の『実践ガイド』のうち、性ステレオタイプ撲滅に取り組んだ項目を見てきました。
日本でも、政治家の発言や公共機関のイラストが炎上する際には、上記のような性ステレオタイプが露骨に現れていたりします。その意味で、日本国内の議論を進める際にも参考になるはずです(例えば、日本で刊行されているフランス語の教科書にも、執筆者の性別にかかわらず、性ステレオタイプが散見されます)。
次回は、HCE の『実践ガイド』のうち、包括書法にかかわる内容を紹介する予定です。
・HCE(男女平等高等評議会)の『性ステレオタイプのない公共コミュニケーションのために:実践ガイド』(リンク先PDF)
https://www.haut-conseil-egalite.gouv.fr/IMG/pdf/guide_pour_une_communication_publique_sans_stereotype_de_sexe_vf_2016_11_02.compressed.pdf
・広告会社 Mots-Clés の『包括書法マニュアル』(リンク先 PDF)
https://www.univ-tlse3.fr/medias/fichier/manuel-decriture_1482308453426-pdf
・包括書法にかかわる欧州評議会の勧告(リンク先 PDF 特に A-6)
https://www.euromed-justice.eu/fr/system/files/20090428170834_CoE.CM_.Rec_2007_17_F.pdf
・現実的男女平等法
https://www.legifrance.gouv.fr/loda/id/JORFTEXT000029330832/
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