ほんとうに心落ち着ける暇も持てないような一月でした。
みなさんもご存知のように2015年が明けてわずか一週間後にパリとその近郊で多くの人命が奪われる惨劇が起き、その四日後にはその犠牲を悼むと同時に、その蛮行に怯まないとする声がフランスで大きなうねりとなりました。そうして日本人もまた、その犠牲者の列に連なることになったのでした。その間には、戦後初の都市型大震災となった阪神淡路大震災から二十年という、忘れられない節目も数えました。
つい先日立春を迎えましたが、2015年の冬は、記憶に深く刻まれる冬となることと思います。
さて、「愛が危ない」の3回目です。
前回バディゥは、恋に対する脅威として、ミーティックに代表されるような「安心」を売りものにする商業主義と、恋に性的な快楽をしか見ない Libertinage を挙げていました。その流れを受けて、聞き手が以下のようにこれまでの話を確認します。
– Il y aurait donc une sorte d’alliance entre une conception libertaire et une conception libérale de l’amour ?
Badieu : Je crois en effet que libéral et libertaire convergent vers l’idée que l’amour est un risque inutile. Et qu’on peut avoir d’un côté une espèce de conjugalité préparée qui se poursuivra dans la douceur de la consommation et de l’autre des arrangements sexuels plaisants et remplis de jouissance, en faisant l’économie de la passion. De ce point de vüe, je pense réellement que l’amour, dans le monde tel qu’il est, est pris danscette étreinte, dans cet encerclement, et qu’il est, à ce titre, menacé. Et je crois que c’est une tâche philosophique, parmi d’autres, de le défendre.
Ce qui suppose, probablement, comme le disait le poète Rimbaud, qu’il faille le réinventer aussi. Ça ne peut pas être une défensive par la simple conservation des choses. Le monde est en effet rempli de nouveautés et l’amour doit aussi être pris dans cette novation. Il faut réinventer le risque et l’aventure, contre la sécurité et le confort.
*une conception libérale de l’amour :上で指摘したように Meetic に代表される、恋にも介入する商業主義を踏まえています。時にフランス語のlibéral は、「お金がすべてだ」というような、市場価値を最優先する姿勢を表すことがあります。
*Et qu’on peut… : もちろん前文の Je crois…que…Et qu’on peut avoir とつながっています。
*des arrangements sexuels : ここは libertaire の恋の目指すところを表しています。
*dans cette étreinte, dans cet encerclement : それぞれ動詞 étreindre, encercler の名詞形ですね。前者は「締め付ける」ことですが、ここでは恋を「締め上げる」といった感じでしょうか。後者は「包囲する」ことです。
*Ce qui suppose…qu’il faille le réinventer…: Ce qui suppose, [c’est] qu’il faille…と考えて下さい。faille はある動詞の接続法現在形です。わかりましたか。
*dans cette novation. : novation はあまり見かけない言葉ですが、「新しさ」ほどの意味です。
– と言うことは、恋に関しては、自由奔放な考え方と自由主義的な考え方の間に、一種のつながりがあるということですか?
バディゥ:実際私はそう考えています。恋に関する自由主義と自由奔放主義は、ともに恋など不要なリスクだという考えに行き着くだろうと。そうすると私たちは一方では、お膳立てされた結婚をして快適な消費を続けるということになるか、他方ではまた、情熱を回避して、享楽に満ちた快適な性を用意周到に整えることでしょう。こうして見ると、しみじみ思うことは、今の世の中で恋はこんなふうに圧し潰されそうになっている、身動きが取れなくなっている。そういう意味で、その存在が脅かされている、ということです。その恋を護るのは、他でもない、哲学の仕事だと私は思います。必要なことは、おそらく、かつてランボーが言ったように、恋を再創造もしなければならないでしよう。それは物事を保存するような守りの姿勢ではうまくいかない。実際世界は新しいものに満ちています。恋もこうした新しい潮流の中で捉えられなければなりません。安心安全に抗して、危険と冒険を再創造しなければならないのです。
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いかがでしたか。「愛が危ない」、今回が最終回です。
つい先日新聞で、バレンタインデーが近いせいでしょう、現代日本の恋愛事情を示すアンケート結果が紹介されていました。その統計によると、昨今の若い人々は「草食化」を押し進めて、今や恋愛そのものを面倒と考え、忌避する、「絶食化」の傾向にあるとか。これはまたこれで、バディゥのような哲学者の考察対象となるような現象ですね。
今は試験やレポートで忙しい人も多いと思いますが、どうかここを元気に乗り切って、充実した春休みを迎えて下さい。また桜の頃にお目にかかりましょう。
おもちゃ箱をひっくり返したような多様な文章を通して、いっしょにフランス語を読む楽しさを味わって下さい。「フランス語読解教室II」というブログもやっています。
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