Bonne Année pour tous ! みなさんあけましておめでとうございます。昨年は小難しいフランス語の文章の読解につきあっていただいて、ありがとうございました。
昨今は容易く「話せる」ことばかりがもてはやされますが、外国語の文章をできるだけ正確に読むということは、なかなかに難しいことです。でも、その難しい行為を時間をかけて丁寧に行うことによって、その言葉を生きて、紡いだ人の思考のエッセンス、性向、息づかいに、何万キロの距離を隔てて、何十年の時を跨いで、今ここで触れることが出来るのです。またその文章を追う行為によって、それらのものを肉体化できると、ぼくはそう実感しています。外国語を読むという実践は、単なる頭の体操ではなく、他者の紡いだ言葉を遠い時空を越えて、この身体に埋め込む行為だと、ぼくは思います。だって、それには慣れない文字を目で追い、音読し、指を使って、分厚い辞書の薄いページを繊細に繰らなければならないわけですから。それに、ぼくは、気に入った文章は反古にする紙に何度も書き写して覚えるということまで、時に実践しています。そうすると、その文章がペンを握った手を通してほうとうに「身になる」のです。みなさんも、一度試してみませんか。
さて、アラン・バディゥ「愛が危ない」の2回目です。前回この哲学者はミーテッイクという、いわば出会い系サイトがとりもつ恋は、米軍が言うところの「死者ゼロの戦争」を思わせるという、ちょっと突飛な連想を述べていました。そのつながりが、ここで明らかになりはじめます。
La guerre «zéro mort», l’amour «zéro risque >>,pas de hasard, pas de rencontre, je vois là, avec les moyens d’une propagande générale, une première menace sur l’amour, que j’appellerai la menace sécuritaire. Après tout, ce n’est pas loin d’être un mariage arrangé. Il ne l’est pas au nom de l’ordre familial par des parents despotiques, mais au nom du sécuritaire personnel, par un arrangement préalable qui évite tout hasard, toute rencontre, et finalement toute poésie existentielle, au nom de la catégorie fondamentale de l’absence de risques. Et puis, la deuxième menace qui pèse sur l’amour, c’est de lui dénier toute importance. La contrepartie de cette menace sécuritaire consiste à dire que l’amour n’est qu’une variante de l’hédonisme généralisé, une variante des figures de la jouissance. Il s’agit ainsi d’éviter toute épreuve immédiate, toute expérience authentique et profonde de l’altérité dont l’amour est tissé. Ajoutons tout de même que le risque étant jamais éliminé pour de bon, la propagande de Meetic, comme celle des canons impériales, consiste à dire que le risque sera pour les autres. Si vous êtes, vous, bien préparé pour l’amour, selon les canons du sécuritaire moderne, vous saurez, vous, envoyer promener l’autre, qui n’est pas conforme à votre confort. S’il souffre, c’est son affaire, n’est-ce pas? Il n’est pas dans la modernité. De la même manière que << zéro mort >>, c’est pour les militaires occidentaux. Les bombes qu’ils déversent tuent quantité de gens qui ont le tort de vivre dessous. Mais ce sont des Afghans, des Palestiniens… Ils ne sont pas modernes non plus.
*j’appellerai… :ここの時制に注意して下さい。何形かわかりますか。そう、単純未来形です。ここは未来の予期ではなく、話者の意志を表しています。
*Il ne l’est pas au nom de…, mais au nom du sécuritaire personnel: l’(le)は中性代名詞です。何を指しているかわかりますか。そう、arrangé です。またne… pas, mais、英語構文の not…but にあたるつながりにも注意して下さい。
*c’est de lui dénier… : lui は何の代名詞かわかりますか。試訳を参考にして下さい。
* La contrepartie… consiste à dire que… : consister à + inf. というよく使われる表現ですが、ここでは、愛に対する第一の脅威と対照的にも思える第二の脅威は、 que 以下と主張するということです。
*Il s’agit ainsi d’éviter… : il s’agit de + inf. という表現は、前文の説明をしていますよという合図です。ここではこの第二の脅威が、愛に対する脅威となる所以を説いています。つまり、それによって l’altérité dont l’amour est tissé 恋の本質を織りなす他者性の経験が回避されてしまうからなのです。
* le risque étant jamais éliminé : étant は何の現在分詞でしたか。
* le risque sera pour les autres : ここの単純未来形も単なる未来の予測ではありません。
* envoyer promener : 追い払う、たたき出す。試訳ではすこし強いニュアンスで訳出しました。
「死者ゼロ」の戦争と、偶然も出会いもない「リスクゼロ」の恋。私はそこに、全体的なプロパガンダの手段とともに、愛に対する第一の脅威を見ています。私はそれを「安心安全を求めるあまりの脅威」と呼びたい。結局、それはお膳立てされた結婚とそう違わないものでしょう。でも、それは家族の要請のもと専制的な親によってお膳立てされるわけではありません。あくまで個人の安全を求めるという名目で、リスクゼロという基本的なカテゴリーのもと、あらゆる偶然を、出会いを、そしてついには、生きることにまつわるすべての詩的なものを遠ざけてしまう、事前の調整によるものなのです。つぎに、愛に襲いかかる二番目の脅威とは、愛にどんな意義も認めないことです。「安心安全を求めるあまりの脅威」と対照的なその脅威は、愛など、一般化された快楽主義、享楽の表現のひとつのヴァリアントに過ぎないと主張します。つまり、あらゆる直接的な試練、愛がそれによって織りなされている、他者性の真実の深い経験を回避することを第一とします。けれどもつぎのことを付け加えておきましょう。本当はリスクは決して回避されたわけではなく、ミーティックのプロパガンダも、帝国主義が目標とするのも、つまりは、リスクは他者に対するものであるはずだ、ということなのです。たとえば、あなたが、あなたがですよ、現代的なセキュリティーモデルに従って、恋に対する準備ができていたとすると、あなたの趣味に合わない相手は返品することだったできるわけです。それで相手が苦しんでも、それは相手のことでしょう?その人は現代的でなかっただけの話です。同じように、「死者ゼロ」というのも、それは欧米側の兵士の話です。兵士たちが降り注いだ爆弾で多くの人が殺されます。でもそれはアフガン人であり、パレスチナ人なのです。彼らもまた現代的ではないということです。
いかがだったでしょうか。リスクゼロでパートナーを求める男女も、死者ゼロを標榜する軍隊も、ともに他者の痛みを顧みない。バディウはそのことを批判していたのです。
厳しい寒さのお正月となりました。まだしばらく凍える日々が続くでしょうが、みなさんどうかお元気でフランス語の勉強を続けて下さい。また如月の、そう遠くない日にお目にかかりましょう。
おもちゃ箱をひっくり返したような多様な文章を通して、いっしょにフランス語を読む楽しさを味わって下さい。「フランス語読解教室II」というブログもやっています。
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