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マリー・ジャコーあるいは女性指揮者の時代 ――不知火検校のヨーロッパ訪問2024(その2)

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かつてオーケストラの指揮者といえば、男性の独占的な職業であった。これは否定できない事実であろう。歴史に刻まれた名だたる指揮者たち、フルトベングラー、クレンペラー、ベーム、ミュンシュ、カラヤン、クライバーらがすべて男性であることに私達がまったく疑問を抱かない時代が長く続いていたのだから。

しかし、そうした情勢はここ20年ほどの間に確実に変わってきたように思える。数々の国際指揮者コンクールで女性指揮者が最高位を獲得し、世界の主要オーケストラの音楽監督のポストを彼女たちが担い始めているのである。もはや指揮者は男性の職業とはまったく言えない状況になっている。

そんなことを確信したのは、2024年5月24日のシャンゼリゼ劇場(パリ)でドレスデン国立歌劇場管弦楽団(シュターカペレ・ドレスデン)の演奏会を聴いたからだ。

もちろん、現在も指揮者の世界は男性指揮者が覇権を握っている。ドイツを代表する歴史あるこのオーケストラの演奏会も、当初予定されていたのは同楽団の音楽監督クリスティアン・ティーレマンであった。彼に代表されるように、著名な男性指揮者による演奏を目当てに聴きに来る聴衆は多い筈だ。

しかし、ティーレマンは病気のために降板。その代役として抜擢されたのは、現在、指揮者として破竹の勢いで活躍しているフランス人女性、マリー・ジャコー(Marie Jacquot)であった。1990年生まれということは、弱冠34歳。指揮者の世界では「駆け出し」と見なされてもおかしくない年齢である。だが、彼女のキャリアはその年齢を遥かに超越している。

幼い頃から馴染んでいたトロンボーンをコンセルヴァトワールで学んでいた彼女は早くからドイツ語圏に拠点を移し、オーストリアのウィーン音楽・演劇大学で指揮を学び、その後はドイツのワイマール・フランツ・リスト音楽大学へと進学する。

プロの指揮者としては、バイエルン州立歌劇場で名指揮者キリル・ペトレンコのアシスタントとしてスタート。その後、ライン・ドイツ・オペラの第一指揮者を経て、2023/2024のシーズンからウィーン交響楽団の首席客演指揮者、現在はデンマーク王立管弦楽団の首席指揮者。そして、2026/2027のシーズンからはケルンWDR交響楽団の首席指揮者に就任することが発表されたところである。

ケルンWDR交響楽団と言えば、クリストフ・フォン・ドホナーニやガリー・ベルティーニ、若杉弘のような巨匠が代々首席指揮者を務めてきた名門であり、そのポストを34歳のフランス人女性が担うことになったのだから、世界中のクラシック音楽関係者は驚いたであろう。

シャンゼリゼ劇場の演奏会も、「果たしてティーレマンの代役を彼女が務めることが出来るのか?」と、誰もが半信半疑の気持ちで聴きに来たに違いない。しかも、メインの曲目はブラームスの「交響曲第4番」。ドイツ・ロマン主義音楽を代表する傑作中の傑作で、耳の肥えた聴衆も多かったに違いない。

しかし、そうした様々な思いは演奏会が進むにつれてすべて杞憂であることが徐々に明らかとなった。

オーケトラを完全に統御したジャコーの指揮棒は自由自在であり、踊るような彼女の動きに合わせ、演奏家たちは各々最高度の技量を発揮し続ける。とりわけ管楽器奏者のソロ演奏の部分は、この曲への演奏者たちの執念を感じさせるような驚異的な名演となった。

ドイツ音楽の「本丸中の本丸」と呼んでもおかしくないほどの空前絶後の名曲。そして、500年の伝統を持つオーケストラ。この2つにまったく臆することなく、見事な演奏会を実現させたジャコーの力量は紛れもなく「本物」と言うしかないであろう。

ジャコーのような才能に溢れた女性指揮者は、いま続々と登場し始めている。例えば、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の首席指揮者に就任したヨアナ・マルヴィッツも1986年生まれだ。彼女たちが世界のオーケストラを席巻する日はもう目の前に来ている、いや、もうすでに到来していると言っていいのかもしれない。

□TOP PHOTO BY Larisa Birta(Unsplash)



posted date: 2024/Jun/08 / category: 音楽

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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