フランスを代表する美術館の一つとして知られるオルセー美術館では2024年の春から夏にかけ、「印象派150年」を記念する展覧会「1874年パリ、印象派を創造する」を開催している(2024年3月26日~7月14日)。 不知火検校は5月23日に同美術館を訪問しその展覧会を鑑賞して来た。以下はそのレポートである。
さて、「印象派150年」とはどういう意味なのか。これは、モネやルノワールといったこの流派を代表する画家たちが集い、自分たちだけの作品を大量に展示し、アカデミーに対する挑戦状を叩き付けた歴史的な展覧会(後に第一回印象派展と呼ばれる)が開催された1874年4月15日から150年が経過した、という意味である。
「いまさら印象派でもないだろう」と高を括って美術館を訪れてみたのだが、これが予想以上の水準に達しており、驚かされた。単に印象派の作品を陳列するだけかと思いきや、まったくそうではない。この展覧会では可能な限り第一回印象派展の実態を再現するため、世界各国の著名美術館から作品が借り出されている。現在、印象派の作品がこれだけ世界各地に散らばっているという事実にまずは驚かされる。
そして、今回の展覧会でさらに驚かされるのは、こうした第一回印象派展の作品と対比するかのように、1874年のサロンに出品されたアカデミー公認の作品(そこには今では全く忘れ去られた作品が数多くある)もまとめて展示されている点である。これにより、いかに印象派の画家たちの作品がアカデミーの規範から逸脱する破格の絵画であり、それがもたらした衝撃が並大抵のものではなかったということを私たちが明瞭に分かるようになっているのだ。
1874年のサロンと言えば、巨匠エドワール・マネが3枚の油彩画と1枚の水彩画を出品した結果、そのうちの3枚が審査委員によって拒否されたことで知られている。そして、その事実に激怒した詩人マラルメが書いた批評「1874年の絵画審査委員会とマネ氏」は、先駆的にマネの作品を評価したこの詩人の鋭い審美眼と彼自身の美学を提示したものとして美術研究者には夙に知られている。
今回の展覧会では、まさにその状況を再現するかのように、『オペラ座の仮面舞踏会』(落選、ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵)、『鉄道』(入選、同ギャラリー所蔵)が並べて陳列されている。現在ではどちらも傑作として評価されているあまりにも有名な作品だが、「なぜ片方が落とされ、片方が認められたのか?」、「当時の評価基準が一体どこにあったのか?」などについて、観客に様々な思いを促すような絶妙な仕掛けが施されている。
そして当然ながら、この「印象派」の名称のきっかけとなったモネの『印象、日の出』もマルモッタン美術館から借り出されて、展覧会の中心部に展示されている。この作品がなければ(あるいはこの作品を評したルイ・ルロワの批評記事がなかったならば)、「印象派」という名称は恐らくまた別のものになっていたであろうから、この措置は当然であろう。
また、第一回印象派展に出品された作品には番号が付いているのだが、中にはそこにpossibleと付されているものが数多くあった。「作品は恐らく展示されたであろうが、定かではない」という意味であろうか。実際、1874年という時代を考えれば、展覧会会場を詳細に撮影した写真が残っているわけはないので、会場にどのように展示されていたのか、正確なことは分からない。批評で取り上げられている作品は確実に展示されたであろうが、そうではない作品は本当に展示されたのかどうかは永久に分からないということもあろう。
それほど150年という時間は長い。これを日本と比較してみれば、1874年という年は大政奉還した年(1867年)から7年しか過ぎていないわけだから、ほぼ近代日本の歴史の流れそのものと同じ長さを持っているということになる。そして確かなことは、フランスにおいて、この年を境にアカデミーというものの権威が大いに揺らぎ、芸術というものが「官」によって主導されて来たものから「民」による自発的な運動へと移行して行くこととなった、ということであろう。
かつてガエタン・ピコンは『1863年、近代絵画の誕生』1863, Naissance de la peinture moderne (1874)というエッセイを書いた。1863年は「第一回印象派展」に先立つ「落選点」にマネの『草上の昼食』が出品され、同時に『オランピア』が描かれた年である。この年が美術史上、画期的な年であることは間違いない。しかし今回の展覧会は、真に官と民の立場が逆転する1874年こそが「印象派の誕生」の年であると同時に、美術市場の画期であるとする考えに支えられている。
いずれにせよ、今回の展覧会は「印象派」という美術史上の事件が何であったのかを改めて考えさせる優れた機会になっていることは間違いない。
普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中