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Lady Soul の死を悼む  “Call Me” Aretha Franklin (1970)

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来るべきときが来たとはいえ、アレサ・フランクリン危篤のニュースを目にしたときは動揺した。死のイメージとは対極の、エネルギーに溢れた歌をたくさん世に送り出した人であったから。

彼女の声に頭からつま先までビリビリさせられ、はげまされてきた者として、フランスからは離れるけれどもこの場を借りてその歌をひとつふたつ紹介させて頂きたい。ちなみに、アレサ・フランクリンの最初のライブアルバムは1968年のパリのオランピア劇場での公演を収録したものだ(”Aretha in Paris”)。はじける60年代の彼女の歌を聞くことができる。

真に傑出したタレントの持ち主であったからこそ、背負ったものも重かった。ソウル・ミュージックの代名詞、ブラック・カルチャーを代表する存在。ブラック・パワー、ウーマンズ・パワーを誰よりも世の中に強く訴えかけることのできるひと。世間から授けられた「称号」にふさわしい歌を、彼女は歌い続けた。みんなが期待したとおりに、いやそれ以上に。しかし、常にグレイトなクイーンであり続けることは決して楽ではなかったと思う。

訃報とともに明らかにされた彼女の過去は、音だけで接してきた者の想像をはるかに超えるものだった。小さい頃に両親が離婚、離れて暮らしていた母とは10才で死に別れる。アメリカ中にその名を轟かし公民権運動にも関わるなど宗教を超えた影響力を持つプリーチャーとなった父の下、ゴスペル・クワイヤのメンバーとして濃厚な宗教的熱狂を浴びて育つ。14才で最初の、16才で2番目の子供を出産、未婚の母となったことで優秀な学生だったけれども勉強を続けることを諦め、アメリカ中を父とともに歌って回る生活に入る。名声を得てからも、プライベートはDV等いろいろあったようだ。そのせいだろうか、むずかしい人だったという声も決して少なくない。ステージでの堂々とした強いイメージとはかけ離れた、引っ込み思案で謎めいた女性だったと語る人もいる。マイクの前に立つときだけ、自由で自在でいられたと。

ここでは、彼女が歌うことを純粋に楽しんでいると思われる曲を選んでみた。独学で学んだピアノを弾きこなし曲も書いたアレサが、偶然街角で見かけた若いカップルの会話をヒントに自作自演したのが”Call Me”。「愛してる。ついたら電話して」というそれだけの内容の歌なのだけれど、聞く側がぞくぞくしてしまうほどここまで盛り上がるのはアレサの歌の力だと思う。

たくさんのすばらしいレコーディングを残したアレサだが、本質はやはりライブの人。その気になれば、真夏の入道雲のようにずんずん沸き上がってとどまる所をしらないパフォーマンスを見せてくれた。

生のアレサの魅力に触れることのできるほんの一例として紹介するのは、カーティス・メイフィールドのペンによる、ゴスペルの影響も感じさせるもっちゃりファンキーなヒット曲、”Something He Can Feel”。ご機嫌なアレサは、テレビ局のスタジオに集められた雑多な観衆の気持をつかみ自分の歌の中に巻き込んでゆく。着るものにこだわる人だった彼女のチョイスによる大胆な衣装とも相まって、いい意味でもう誰にも止められない、という感じ。収録が終わった後の「いいもん見たわー」という観客の声が聞こえてきそうだ。






posted date: 2018/Sep/01 / category: 音楽
cyberbloom

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