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アヌーク・エーメあるいは永遠のアイコン ――不知火検校のヨーロッパ訪問2024(その3)

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フランソワーズ・アルディの逝去の報からさほど時を経ることなく、今度は女優アヌーク・エーメの訃報が入ってきた。 60年代の音楽と映画を他とは比較にならないほど輝かしいものにした二人が相次いで鬼籍に入ったことで、「フランス60年代」が確実に現実世界から切り離され、過去のもの(=歴史)となったことが如実に感じられる。

ただ、エーメはアルディよりも10歳ほど年長であり、1950年代から活躍を開始していた女優であったことを忘れてはならない。彼女の名を一躍有名にしたのはジャック・ベッケル監督『モンパルナスの灯』(1958)であろう。モディリアーニをジェラール・フィリップが演じ、その直後に画家とほぼ同年で亡くなったために衝撃的な作品として記憶されることになったこの作品で、エーメは画家の妻を演じている。ただ、この頃のエーメはまだあどけなく、本来の魅力を発揮していないように思える。

彼女の魅力を最初に引き出した監督こそがフェデリコ・フェリーニである。2024年6月現在、パリの複数の映画館ではマルチェロ・マストロヤンニの生誕100年を記念する回顧上映が行われているため、フェリーニを代表する作品『甘い生活』(1960)と『8 1/2』(1963)によって、私たちはエーメの姿を毎日のように見ることができる状態であった。特に後者で演じた苦悩する監督グイド(マストロヤンニ)の妻の役は、知的で神秘的なエーメの印象を決定づけることになったのではないか。

そして、彼女が生涯にわたって関わることになる作品『男と女』(1966)がやってくる。クロード・ルルーシュが監督したこの作品は、流麗な映像と洒落た音楽、ロマンチックな物語という点からして、当時の映画界を席巻していたヌーヴェル・ヴァーグの路線を大きく逸脱し、それゆえに大きな注目を集め、世界的なヒット作となる。しかし、この映画の主演がジャン=ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメでなかったならば、この映画がこれほどの成功を収めることはなかっただろう。

それほどこの二人は映画の中の「男」と「女」に完全に同化していた。通常、役者は一つの作品に嵌められることを嫌い、続編への出演はできるかぎり避けるものである。しかし、この作品に限ってはトランティニャンもエーメも作品と登場人物をまるで自分自身の分身であるかのように愛し続けた。二人は1986年の続編を経て、2018年には最初の作品から52年を経た後の姿を演じることになる。それは、単に商業的な理由だけでは説明がつかないだろう。

しかし、天才的な俳優であったトランティニャンは『男と女』以外にも多数の代表作がある一方、エーメの方はこの作品のイメージがあまりにも強すぎ、その後は作品に恵まれなかったように感じる。ただ、そのことはエーメにとって必ずしもマイナスにはならないだろう。『男と女』ただ一作だけでも、エーメは映画史上に屹立する永遠のアイコンであり続けることは確実なのだから。

1990年代以降もエーメはいくつかの作品に出演しているが、とりわけロバート・アルトマン監督の『プレタポルテ』(1994)はその中でも重要な作品であろう。マルチェロ・マストロヤンニやソフィア・ローレン、ローレン・バコールといった映画史上の大スターたちに一歩も引けを取らない存在感を示し、「アヌーク・エーメ健在なり」という印象を見る者すべてに与えたと言ってよい。

確かにアヌーク・エーメもまた、その「存在感」だけで映画を自分のものにしてしまうほどの稀有な女優の一人であった。20世紀に活躍した多くの役者たちが次々に物故していく中、現在も映画界は多くの作品を製作し、多くの役者がデビューを果たしている。若い役者たちの演技の技術は確かに高いかもしれない。しかし、エーメのような「存在感」を発揮できる役者は、いま徐々に少なくなって来ているのではないか。

□TOP PHOTO : 国際情報社 – 『映画情報』1966年11月号。発行所:国際情報社。”Movie Pictorial (Eiga Joho)”, November 1966 issue., 



posted date: 2024/Jun/21 / category: 映画

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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