恒例の年末企画、第2弾は2018年のベスト映画です。フランス映画を中心に、アメリカ映画から日本やアジア圏の映画まで、幅広いセレクションになっています。ちなみに老舗仏映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』のベスト1はベルトラン・マンディコの ”Les Garçons Sauvages” (野生の少年)で、3位に入ったポール・トーマス・アンダーソンの「ファントム・スレッド」を下で2人の方が選んでくれています。 FBNのライターの他、ベスト音楽に引き続き、サツキ(Small Circle of Friends)さんにも選んでいただきました。
1. ボヘミアン・ラプソディ(ブライアン・シンガー監督)
今年最大のダークホース。ロック・バンド、クイーンの伝記映画などが面白いものになると一体誰が予想したでしょうか?フレディ・マーキュリーに扮したラミ・マレックの演技は神懸かり的であり、とりわけ1985年のライブエイド再現シーンは圧巻です。完全にフレディが憑依しているように感じられました。そして改めて耳にすることになった数々の音楽の素晴らしさ…。必見の傑作と言って良いでしょう。
2. 花筐(大林宜彦監督)
檀一雄の『花筐』の映画化。1938年生まれの大林宜彦がいまだに映画を撮っているという事実。それも40年前と全く変わらない作風であるという事実。その映画に窪塚俊介や常盤貴子や満島真之介らが完全にはまっているという事実。そして戦争に対する監督の激しい思い。加えて、「唐津くんち」の魔術的なまでの美しさ…。こんな映画が2018年にみられるとは思いませんでした。
3. ファントム・スレッド(ポール・トーマス・アンダーソン監督)
映画もここまで巧みだと「粗」を探してみたくなりますが、この監督の場合、それを見つけるのは容易ではありません。近年、ファッション業界を描く作品が多かったものの、この作品はそうしたものとは一線を画した緻密な作りになっています。この作品を最後に引退表明したダニエル・デイ=ルイスは圧倒的な存在感を放っており、最後までその繊細な演技に目を奪われざるを得ません。
4. グッバイ・ゴダール!(ミシェル・アザナヴィシウス監督)
ゴダールの2人目の妻だった女優・小説家アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説『それからの彼女』の映画化。演出の点では必ずしも優れている訳ではありませんが、「1960年代という時代」、そして「ゴダール」という捉え難いものを何とかして映像化しようという監督の切実な思いだけは伝わって来ました。とはいえ、ゴダールがここまで単純だったとはさすがに信じることは出来ませんが。
5. 2001年宇宙の旅 [50周年記念IMAX版](スタンリー・キューブリック監督)
50年振りに劇場公開された伝説的なSF映画。国立映画アーカイブ(旧国立近代美術館フィルムセンター)で上映された70ミリ版の上映は観られませんでしたが、IMAX版は観ることが出来ました。大画面に拡がる漆黒の宇宙に覆いかぶさるように流れるヨハン・シュトラウスの華麗な音楽を聴くと、この映画はやはり劇場で観なければならない作品なのだということを思い知らされました。
番外① 止められるか、俺たちを(白石和彌監督)
若松孝二の若かりし頃の破天荒な日々を助監督吉積(門脇麦)の目で描いた作品。当時の雰囲気が色濃く映し出された映像は極めて印象的です。役者に関しては、門脇の素晴らしさは改めて述べるまでもありませんが、若松を飄々と演じた井浦新には驚かされました。この俳優の潜在的な能力は並々ならぬものがあると思います。
番外② ベルトルッチ全作品
関連記事をご覧ください。https://www.frenchbloom.net/movie/5717/
その他、海外の作品ではジョン・ライト『ウインストン・チャーチル』、C・マッカリー『ミッション・インポッシブル:フォール・アウト』などが印象に残った他、アラン・ロブ=グリエの特集上映のような画期的な催しもありました。日本映画では樹木希林が出演した『万引き家族』(是枝裕和監督)、『日日是好日』(大森立嗣監督)はやはり忘れられません。また、石井岳龍が『パンク侍、斬られて候』で健在ぶりを示したことは慶賀すべきことでした。
紹介できなかった心残りの3本について少し。
『私が殺したリー・モーガン』
十代でデビュー、ハード・バップを牽引し33才で射たれて死んだトランぺッター、リー・モーガン。彼を殺した内縁の妻ヘレンが生き長らえ最晩年に残したインタビューから浮かび上がるのは三面記事に隠された人生の深淵だ。■13才で出産、17才で故郷南部を捨てNYへ辿り着いたヘレン。ジャズクラブが閉まる深夜に自宅を解放、料理と会話で来る人をもてなしていた。そこに現れたのがアート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズの花形だったリー・モーガン。ヘロインに首までつかりバンドも首。真冬なのに一枚きりのコートも質に入れたどん底の男にヘレンは手を差し伸べる。
薬から離れたモーガンはヘレンの後押しでジャズシーンに復帰する。元天才ジャズ少年と、同い年の息子がいるタフで賢い大人の女。世間がどう言おうと幸せだった二人の間に亀裂が入りはじめたのは、モーガンが新しい音を模索しスタイルを変えてゆこうとした時だった。引き金を引く前にヘレンが味わった悲しみと絶望をなんとか回避できなかったかと思わずにおれない。新しい形のアートへと変容する「生」のジャズの輝きも捉えたドキュメンタリー。
『ザ・ビッグハウス』
カレッジフットボールで人気を誇るミシガン大学ウルヴァリンズのホームにしてアメリカ最大のフットボール・スタジアム(収容人十万人超!)、通称「ザ・ビッグハウス」とその周辺をあらゆる角度から徹底観察したドキュメンタリー。そのドデカさはもちろん、所在都市の総人口に迫る数の人々が毎週末集い食べ金を落とし散ってゆく様とそれを支える舞台裏にも圧倒される。が最も感じ入ったのは、スタジアムを埋める十万人の一部となりGo Blue!とミシガン大を熱く応援することの楽しさキモチよさ(アメリカ文化の華、吹奏楽のマーチングもこの熱狂の果実だ)と、その熱狂に飲み込まれることのキモチ悪さの両方を体験できたこと。懐の深い映画だ。
『バルバラ セーヌの黒いバラ』
バルバラの映画が作られなかったのは極めてセンシティヴな過去の持ち主だからだろう。ナチスの迫害を、家の中の性的虐待を生き延びた女性。が、その人生を追えばバルバラを描けたと言えるのか?歌、舞台、写真、映像から一人一人が抱いたイメージの集大成としての「みんなのバルバラ」も存在する。バルバラの断片、イメージを集合させることでバルバラを捉えることはできないか?
M・アマルリックは「バルバラの伝記映画の撮影現場」という場を使い、バルバラの断片に溢れた世界を実現した。歌声以外ほぼバルバラという女優(J・バリバール!)と、バルバラの熱狂的ファンでセットの中の世界と現実との境が怪しくなっている監督の周辺には、バルバラがいたるところにいる。資料としてのバルバラ本人の映像に声。監督が書き、女優が口にする脚本の台詞。現場で再現されたバルバラの人生のいくつもの場面。
バルバラの歌もあちこちに、様々なスタイルで現れる。本番待ちのセット脇で、カメラの前で、女優のプライベートで。鼻歌まじりで、ピアノとともに、バンドと一緒に。歌詞を目で追いながら改めて聞くことで、その素晴らしさに圧倒された。歌こそがバルバラなのだ。この映画が最も上手く捉えたのも、歌から浮かぶバルバラかもしれない。散りばめられた細かいトリビアも楽しい(バルバラの知識なしで観るにはちとしんどいかも)。劇場のネオンサインを思わせるエンドロールの滴るような美しさをご覧あれ。
犬ヶ島(ウェス・アンダーソン)
それまでの作品では好きには好きだけどちょっと息苦しさが感じられた監督の世界観が、ストップモーションアニメという手段にぴったりとはまって完璧といっていいくらいに表現されたと思う。音の使い方もすばらしく文句なしの今年の1位。
2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)
1968年に公開された作品が、クリストファー・ノーラン監督監修のもと70mmニュープリント版となりIMAXシアターで2週間限定で上映されたものを鑑賞したが、制作から50年以上たっても古びることなく、大画面・大音量での視聴にじゅうぶん耐えうるどころか、CGといった技術がなくてもここまで極められたキューブリックの徹底した作り込みと美意識に圧倒された。
わたしは、ダニエル・ブレイク(ケン・ローチ)
引退宣言を撤回してケン・ローチがこの作品を発表したのは、社会制度の不合理さと、社会の底辺で貧しく生活する人々のなかにも福祉に甘んじることなく尊厳を持って生きている人がいるのだということを訴えたかったのだろう。だからといってこの作品は重苦しい雰囲気だけに包まれておらず、「たのしめる」映画であるのがすばらしい。
次点:婚約者の友人(フランソワ・オゾン)
オゾン作品は『二重螺旋の恋人』も観たのだが、抑制された映像のこちらの作品のほうが印象に残る。戦争が生んだ悲恋を単なるメロドラマで終わらせずに、含みを持たせた終わり方にするところがこの監督らしい。病的な美しさのピエール・ニネと物静かな中にも強さを感じさせるパウラ・ベーアのカップリングが絶妙。
1. マザー!
ダーレン・アロノフスキー監督のサイコスリラー作品。今年、日本では劇場公開が見送りとなってしまったが、おそらくここだろうと思われる該当箇所とは別に、後半の突き抜けた展開は、ほとんど宗教で、ほとんどビデオゲーム。これは賛否が分かれるのも納得。21世紀の映画界におけるハリウッドとブニュエルのしかるべき出会い。
2. 軽い男じゃないのよ
Netflix配信のフランス製SFコメディ。主人公の中年男性が、頭を打ったショックで、パラレルワールドに入り込むが、そこは、女が社会的な地位を独占し、男がムダ毛を処理して着飾っている世界だった。
#MeTooのムーブメントを単純に反映したかのように見えるが、実際には、セクシストの主人公があちらの世界でマスキュリニストの運動に加わってゆく展開に、フェミニストへのよくある誤解と皮肉を読み取れないわけではない。真面目に鑑賞するのであれば答え合わせが必須。
とはいえ本作の見どころは、男女の立場を逆転させた思考実験の妙とともに、とにかく男前のマリー=ソフィー・フェルダンと、可愛げ全開のヴァンサン・エルバズという秀逸なキャスティングだろう(エルバズが『おとなの事情』のフランス版リメイク『ザ・ゲーム~赤裸々な宴~』で女ったらしを演じているギャップを思えばなおさら)。https://www.netflix.com/title/80175421
3. 1987、ある真実の闘い
1987年の6月民主抗争という史実をベースにした韓国映画。と聞くと、どうしても地味で生真面目な作品を想定するが、いい意味で完全に裏切られた。人物たちが生き生きした群像劇である上に、民主化の敵として立ちはだかるキャラクターまで魅力的に描いてしまう第一級の娯楽映画だった。政治なんて何の興味もなかったのに、気づけば家族が巻き込まれて自分も動かざるをえない…そんな民主化の瞬間が、皮膚感覚で伝わってくるような熱い作品。フランスと韓国では感じられるけれども、日本でまず感じたことのない空気がここにはあった。
□今年はシネコンでも国内外の傑作に恵まれた豊作の年だったので、その中で埋もれがちな作品を挙げている。以下は若干の補足。
□『Roma』は、アルフォンソ・キュアロン監督の半自伝映画(Netflix配信)。名カメラマンのルベツキは不在だが、弱き者たちの一喜一憂を、史実を織り込みつつ描く手つきには、監督の様式美が行き届いていた。
□『Revenge!/リベンジ』は、40代のフランス人女性監督の初長編作で、『キル・ビル』と同じジャンルのB級アクションホラー。#MeToo運動の影響もあるかと思うが、そんな知性や繊細さとは無縁で、ツッコミどころが多いし、止血方法がみんなそろって独特すぎる。映像は意外とスタイリッシュなので今後の伸びしろに期待したい。
□『ライオンは今夜死ぬ』は、ジャン=ピエール・レオーと子役に頼りすぎてイマイチ。
□『最強のふたり』のオマール・シーがルパンを演じるドラマ版『アルセーヌ・ルパン』シリーズが2020年から公開予定という知らせを聞いて、今から落ち着かない。
2018年 映画(役者推し)ベスト3
今年も結構な数の映画を観ましたが、ほとんどが自宅でのDVD鑑賞。映画館に足を運ぶ回数はめっきり減ってしまいました。が、『ボヘミアン・ラプソディ』はやっぱり感動したし、『カメラを止めるな!』を評判通り楽しめたのも大スクリーンのおかげだと思うので、来年は何とか映画館での鑑賞を増やしたいところ。さてさてDVDで観たトム・フォードの『ノクターナル・アニマルズ』が予想以上に良かったりと、作品内容でベスト3を選ぶのはかなり難しいので、「個人的な役者萌え」だけで選んでみました。
第3位:『パーフェクトワールド』(岩田剛典)
今年度公開の人気漫画が原作のラブストーリー。いくらなんでも多すぎやしないか、漫画原作の映画!と突っ込みたくなりますが、需要があるから仕方ないのでしょうね。ただこの企画は気合が入っているし、小ぎれいな岩ちゃんを見たい人にちゃんと見せてくれる映画。それにしても彼は共演女優に恵まれています。『植物図鑑』では高畑充希、そして今作品ではあの杉咲花ちゃん。ともすればチープで薄っぺらくなりそうな作品が、彼女たちの演技力と鮮度のおかげで十分に成立しています。『去年の冬、君と別れ』もなかなか良かったけれども、女優陣の魅力に欠けていたと思う。とにかく岩田君は容姿の良さ以上にどこか憂いがあって情緒があり、人の目を惹きつける個性に溢れている。ただのミーハーなファンでお恥ずかしい限りですが、これからの役者業に期待大。
第2位:『ぼくたちの家族』(池松壮亮)
2014年の作品。今年Eテレで放送された池松君とフランソワ・オゾンの対談番組、興味深かったです。池松君は独特の色気があるし、フランス映画進出も決して夢ではないと思わせてくれました。元々は『愛の渦』に驚愕したのがきっかけで、ここ2年ほど彼の出演作を見漁っています。最近は貫禄も出てきて素敵だけれど、少し前のこの作品を挙げてみました。絶賛公開中の『来る!』でも快演していた妻夫木聡との共演で、非常に見やすいホームドラマ。彼らのスーパーナチュラルな演技が堪能できます。個人的には、池松君と市川実日子のシーンが好きでした。本当に何でもないひとコマなんだけれど、そういう所をきっちり演じられるのも彼の魅力。一生追い続けて行きたい役者さん。
第1位:『パーソナル・ショッパー』(クリステン・スチュワート)
何とか選べました、フランス映画!…が、主演のアメリカ人女優推しという申し訳ないベスト1です。しかも、作品内容は全く頂けない。オカルトとファッションというふたつの要素の取り合わせが謎。解釈を試みる気にもなれず、ただただ美しくて魅力的な主役のクリステンを堪能するのみ。ヌードでモードな服を身に付ける場面は見惚れました。オリヴィエ・アサヤス監督と組んだ前作で彼女はセザール賞助演女優賞を獲ったそうで、『トワイライト』シリーズしか知らなかったのは迂闊でした。彼女を見るためだけにもう一度観たい作品です。
ウィンストン・チャーチル / ヒトラーから世界を救った男 -Darkest Hour
(イギリス映画/ゲイリー・オールドマン/クリスティン・スコット・トーマス)
ゲイリー・オールドマンは私にとって最初っから鬼門的役者。彼を観た初の作品が「シド・アンド・ナンシー」と「プリック・アップ」。未だに何度観ても「砂」を飲み込んだよなザラリとした感触を思い出します。全くもって、いい感情でなくちょっとそのままひきづるような。
当時の自分の幼さと映像のゲイリーの凄みは、多少のトラウマになってもなお、結果それ以後彼の作品の虜になっていくのでした。ちょっと変な話。嫌になって観なくなったんじゃなくです。そのくらい、心にそっくり入り込むようなアクターです。
そこで、ウィンストン・チャーチル。残る実際の映像のチャーチルも映画鑑賞後見たけれど、様相に声、紛れもなくゲーリーはチャーチルでした。特殊メークを手がけた現代彫刻家でもある「辻一弘さん」の技術は、アカデミー賞のおまけまでつく素晴らしさの賜物でもあるんだけど…。チャーチルのあの有名な言葉「We shall never surrender」と叫ぶ声までも、ゲイリーの怪優ぶりが最後まで際立つ作品です。
内容はというと、第二次世界大戦中ナチス・ドイツに抵抗するチャーチルと講和を進める保守党との狭間にあって、フランス・ダンケルクの海岸までの27日間を描く。映像にも日にちが刻一刻と刻まれ、観るモノにも迫る決断を知らせる。最後まで駆け抜ける映像は監督ジョー・ライトにすっかり乗せられる作品でした。
イギリスの時代映画は、衣装にも興味津々でテイラーにロンドンの「ヘンリー・プール & Co」が使われています。ゲイリーのいえウィンストンの纏うチョークストライプのスーツは、映像からもよくわかるほどの痺れるフランネルで、その後チャーチルを調べていたら、まさにそれがチャーチルスタイルだった様子。ちなみに白洲次郎もヘンリー・プールを着用していたらしいことを知り、確かに何を着ていたって仕事はできるけれど、そこまで気が回る「余裕と端正」とは、ある意味集中にも通じる重要なファクター(エレメント)なんだなと思った次第です。身の回り、大事。それは高かろうが安かろうがです。
そういえば、先日亡くなった樹木希林さんのあまりのかっこよさにある人が率直に「なぜ、いつもそんなにかっこいいんですか?」と尋ねたところ「身の回りに、家に、かっこいいものしか置いていない」と言ったそう。世界を救うのは大きい問題だけれど、そんなことが実はソコにまで到達する道しるべなんじゃないのか?と、つくづく思う2018年最後の12月。
「ヒトラー」的なコトやモノはいらないよ。いらない。
ファントム・スレッド – Phantom Thread
(アメリカ映画/ダニエル・デイ=ルイス/ヴィッキー・クリープス)
瞬く美しいドレスと、端麗でエレガンスなダニエルが映画の幕を開け「男と女」を思わせるよな、ドライブシーンにうっかり目を取られていると大変です。舞台劇のような様相も、時代背景やライティングなども相まって、心のひだに潜り込んでくる物語。当初バレンシアガの伝記映画みたいなコト?と思っていたのもつかの間、心の奥底へゆっくりと案内されていくのでした。
インタビューでファントム・スレッドが形作られる過程をダニエルは「取捨選択」だったと語っています。取り分け「ポール・トーマス・アンダーソンとダニエル・デイ=ルイスがほぼ白紙(ポールが持って来た小説かららしいが)の状態で物語を作り、主題設定を展開し、ファッション界を舞台に決め(これが大変だった様子)、場面場面を進行するごとに修正し、変化させた」ことはまさにその言葉を体現し、映画作りの醍醐味を、ダニエル自身も監督と最後の作品で楽しんでいるように思えた作品。
にしても、ダニエル。先述したようにファッションという設定は随分の山だったようで。実際、ニューヨーク・シティ・バレエ団のコスチューム部門主任マーク・ハペルの元、一年を費やしドレス作りを学び、卒業制作は実際の妻レベッカにBALENCIAGAを再現したドレスを作りプレゼントするまでになったそう(バレンシアガ情報はココだったんだな)。よく聞く話でもあるけれど、役作りのため体系を変えるとか、何かを習得するとか。もうストイックなどと言う言葉を超えているよなと、服作りをしている自分を思うと少し恥ずかしい思いですが…。
衣装用のアトリエには移転前の「セントラル・セント・マーチンズ(ロンドン芸術大学。著名で素晴らしいアーティストをあまた輩出している大学)」が使われ、しかもドレス作りに関わったのはアレキサンダー・マックイーンとやジョン・ガリアーノの同級生たちだったらしいインサイドストーリーが痺れます。
だからなおのことダニエル・デイ=ルイスの引退作品などという、謳い文句に残念というよりやられた気分になるのです。
たくさんの好きな俳優はいるし興味尽きないアクターやアクトレスは今までもこれからもきっとまだ出てくるに違いないと思うけど(映画ファンとしては期待…)ダニエル・デイ=ルイスの代わりは生涯、いないんじゃないかな。彼のような稀有な俳優はもうたぶん。
その後「眺めのいい部屋」「存在の耐えられない軽さ」を見直したのはいうまでもなく….。
えっお話に内容?そんな野暮なことは言いません。ある評には「ホラー的」と評されてもいる様だけど、私にとっては全くもって「人間の本質的」とお答えいたします(私調べ)
顔たち、ところどころ – Visages Villages
(フランス映画/アニエス・ヴァルダ/ JR)
脚本はアニエスが書き、JRと作ったドキュメンタリー作品?というかロードムービー。
フランス人アーティスト「JR」の写真ブースは、東京ワタリウム美術館(2013年)の個展で「ポスターサイズのセルフポートレイトが撮影できる写真展」がとりわけ興味深く、その後渋谷ヒカリエ(2014年)でも開催されていました。
屋外の建物などに写真を貼る表現は、世界の差別や貧困、紛争の元、そこに生活する人々をクローズアップし今起きているコトを知らせる。しかも「撮った現地の人と一緒に壁に貼る」という彼の技法でもってダイレクトに作品としても、果てはジャーナリズムにも訴えかける行動作品の手法だなと彼のエネルギーに関心しきりでした。「世界はアートで変わっていく」JRの言葉は尊く美しいです。
一方、アニエス・ヴァルダ。ヌーヴェルヴァーグの祖母とも称されるジャック・ドゥミの妻でもある彼女。
今年アニエス・ヴァルダの個展『Bord de Mer』も、原宿のBLUM & POEで開催されていました。『顔たち、ところどころ』の公開前に開催された展示は、映画へと繋がるイントロダクションのような、東京では初の個展。
映像インスタレーション『Bord de Mer』は、思えばJRとはいつか必然的に出会っていたんだろうとも思わせる作品に「猫」をモチーフとした50年代から60年代のビンテージプリントも彼女の重要な作品群。そういえば猫がアニエスの肩に乗る写真はとってもチャーミング。
さて映画「顔たち、ところどころ」そんな二人が、写真ブース付きトラックでフランスの田舎町を巡る。いろんな人との対話は楽しさと驚きに変わり、其処此処の人々の心の助けとなり、出会いの大切さを描きます。それは映像が進むにつれ、お互いアニエスとJRの心のひだにまでも入り込む。
87歳のアニエスに33歳のJR。お互いがそれぞれにもつ感性のコラボレートは「共同作業」と一口では語れない、二人と出会った人々の人生と、そして観る私たちとを繋げる心地の良い年の差だったんじゃないのかな。設定も、筋書きも無いドキュメンタリーだからこその醍醐味です。
「みんなに笑顔を届ける無計画な二人旅。」このキャッチが大好き。そんな旅を私たちSmall Circle of Friendsも続けたいと思っています。
流れるのは、いつだって「平和」なんだね。
*Small Circle of Friends サツキ
ムトウサツキとアズマリキの二人組。1993年、united future organizationのレーベル”Brownswood(日本フォノグラム)”よりデビュー。以来、11枚のフル・アルバムをリリース。代表曲「波よせて」は20thを迎えました。最新は2017年10月25日、「STUDIO75」の4枚目のアルバム、『Over Your Shoulder』をリリース。
『万引き家族』(是枝和裕監督)
法の外にある存在は公権力の介入を受けるとひとたまりもない。しかし、公権力は「この思い出だけで刑期の5年など軽い」と信代(安藤サクラ)に言わしめた疑似家族の強靭な関係を全く理解できないし、彼らの質問は何も掬い取れずに空しく響くだけだ。それによって、私たちの建前だけの空っぽな社会を絶望的に映し出してみせる、是枝監督の演出が見事すぎる。一方で「万引き家族」であっても子供の存在は希望であり、未来であり、それが逆説的にそういう家族を解体させてしまった。安藤サクラのパツパツの身体とリリー・フランキーの垂れた尻のコントラストに言いようのない悲哀を感じたのは、歳のせいだろうか?
『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督)
クィーンは良くも悪くも記憶に残るバンドだった。活動時期も長く、70年代から80年代までスタイルの異なるヒット曲をまんべんなくちりばめていた。確かにあざとい映画である。先進国の人口ボリュームゾーンを狙ったマーケティングの産物でもあるのだろう。しかし、そういう冷めた目で傍観してもしょうがない、「乗らなきゃ損」と思わせる映画なのだ。記憶と感情のフックの多さで、芋づる式に青春時代をひきずりだされ、クィーンのキラキラしたヒット曲と自分の青春時代の断片が混然一体となってスクリーンから降り注ぐのである。フレディ・マーキュリーは1991年にエイズで亡くなったが、エイズに感染したアーティストたちの死がこの時期に集中している。それは1996年以降、エイズは薬によって抑え込める病気になったからだ。そしてエイズの悲劇性の質も大きく変わったのである。
当サイト の管理人。大学でフランス語を教えています。
FRENCH BLOOM NET を始めたのは2004年。映画、音楽、教育、生活、etc・・・ 様々なジャンルでフランス情報を発信しています。
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