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銀幕にWatermarkを探す 『ファントム・スレッド』を斜め読む楽しみ

映画『ファントム・スレッド』が公開されるとすぐ、いそいそと映画館へ出かけた。監督のポール・トーマス・アンダーソンもご贔屓だし、主演のダニエル・デイ・ルイスもその演技を見届けたい数少ない俳優の一人。が、ここまで心待ちにしたのは、伝説のクチュリエ、クリストバル・バレンシアガを垣間見せてくれるという前評判を読んだからだ。

主人公はモード界の帝王と讃えられる英国人デザイナー、レイノルズ・ウッドコック。時は1950年代。彼の「城」であるロンドンのアトリエには世界中から金と時間を持て余した女達、成金のヘアレスから貴族階級のマダム、某国の王女様といった方々が押し寄せる。ミュージアム・ピースの域に達した工芸品とでもいうべき彼のドレス―デザイナー自ら針を持ち仕立てた夢のような一着—を自分のものにするために。彼の生活はほぼ100%仕事のために捧げられている。上品な美男ながら華やかな顧客達とは距離を置き、浮いた噂ひとつない。ひたすらデザインし、創作に打ち込む人生に彼が本当に満足しているかは誰にもわからない。

このキャラクターは、脚本を手がけたアンダーソン監督が一から造り上げたものではない。場所をはじめ細かな設定は変えてはいるけれど、そこから透けて見えるのは、1930年代にパリ、ジョルジュV通りにブティックをオープンしてから1968年に突然引退するまでモード界に君臨したクリストバル・バレンシアガだ。今やカジュアルなコットンのバッグのロゴとしてしか認知されていないけれど、モード界を去るまでバレンシアガは「絶対的」な存在だった。

新しいシルエットを提案した等、モード史を眺めてバレンシアガの功績を箇条書きすることはたやすい。しかし、それは「退位」後にまとめられた栄光の残り香に過ぎない。人々をひざまづかせたのは、彼の服の圧倒的な存在感に他ならない。

服は着る人があってこそ輝くもの、美術館に展示されたドレス達は名品といえど何やら寂しげで、影の薄さを感じさせる。が、バレンシアガのドレスは違う。顔のないトルソに着せかけられた状態でもそれはただ、美しい。

しかも、バレンシアガの服を着た人はもう他のメゾンの服が着れなくなる、と言われるほど着心地がいいのである。空気のように身体を包み、鏡に映せば体型の七難をきれいに消してあなたを美しい人に変える。

当然のことながらお値段も立派だ。手の込んだドレスを一着オーダーすれば、当時の平均的な男性の年収に匹敵する額が請求された。しかし、そんな請求書を眉一つ動かさず受け取れる身分の選ばれた大人の女達が、絶えることなくメゾンを訪れた。また、欧米の高級百貨店は、2倍の金額を払って服のデザインを買い、モード誌の読者である顧客にぐっとお求めやすいコピー商品を販売した。社交界から都会の片隅までその名が知れ渡った、パリ・モードの代名詞—バレンシアガ。しかしデザイナー本人は、その名声にも関わらずその姿をメディアの前に曝すことはほとんどなかった。

正式なインタビューの依頼に応えたのは引退後の一度きり。エキゾチックな美しい容姿に恵まれたにも関わらず写真に取られるのも、マスコミに取り巻かれるのも嫌い。心を許した少数の人々としか付き合わず(法外な金を落とす「太い」お客様でも親しく接するとは限らない)、生涯独身を通す。「バレンシアガは実在しない」というデマがまことしやかに囁かれた程、謎めいた人物だった。

両腕ともに利き腕という驚異的なドレスメーキングの才能にも恵まれ、デザインを描くだけでなく腕利きの仕立て職人やお針子達に混じって白衣姿で針を持ち続けた。寡黙で、己に厳しい人だった。拍手喝采で終わったコレクションの後、スタジオでお披露目したばかりの作品を引き裂いていたという逸話も残っている。それまでの人生を振り返って、「犬の生活だった」と後年語っているが、その表現には自嘲を超えた重さがある。

映画は、そうしたバレンシアガの仕事の現場を、メゾンのインテリアや顧客のために用意された椅子に至るまで「ウッドコックのブティック」として再現している。モノクロ写真でしか知らない伝説の場所、そして固唾をのむ顧客達の沈黙が支配したというサロンでのコレクションの発表―デザイナーが選び抜いた無表情のハウスモデル達が、番号札を掲げて室内を一回りするだけの簡素きわまりないもの―も見せてくれた(覗き穴から客の様子を伺うデザイナーの姿も含めて)。伝え聞いて妄想してはみたものの、実際にスクリーンで見たそれは胸を躍らせるものがあった。ダニエル・デイ・ルイスも、バレンシアガが漂わせていただろう厳しさと情熱を体現して見せてくれた。(バレンシアガの上客だった、満たされない人生を送ったアメリカのビリオネアの女性もしっかり登場していた)。バレンシアガのものとは違うけれども、ドレスの美しさも堪能できた。

しかし、監督自ら語っているように、バレンシアガはあくまでインスピレーションを授けてくれた素材でしかない。レイノルズ・ウッドコックとクリストバル・バレンシアガは似て非なる存在だ。その違いを通して眺めると、また興味深い。

ウッドコックの美への献身は、ごくプライベートな欠落感が原動力になっている。美しいものに魅了されていて、それを我が手で創り出すことに執着はしているものの、どれだけ仕事をしても欠落感は深まるばかり。塞がることのない穴をどうにかしようというあがきが、デザイナーとしてのウッドコックを突き動かしていたように見える。

バレンシアガは、生活してゆくために針を持った。スペイン、バスク地方の漁村に生まれ、12才で船乗りだった父を亡くし、お針子として兄妹を養う母を助ける立場にあった。雇われの身から起業しついにパリで成功してからも、スペインに残る妹達とその家族がバレンシアガ・ブランドに携わり立派に生活できるよう取りはからった。数多い従業員のことを考え、税金に頭を悩ませる経営者でもあった。

一方で、美しい服を作ることは幼いころからの望みだった。避暑のためにバレンシアガの村を訪れるカサ・トレス侯爵夫人のドレスの補修を母がしていたため、最新のパリ・モードのドレスに接していたせいもある。12才のバレンシアガはある日、高貴で洗練された美しさで名高い奥様の前に進み出る。「パリでお作りになったそのドレスと同じものを作ってみせます。」出入りのお針子の息子からの唐突な申し出に驚きつつも、侯爵夫人は必要な材料と道具を与えてみた。そして、立派に仕立てられたドレスを手に入れたのだ。侯爵夫人の口添えもあって、バレンシアガは都会に出て仕立て職人の見習いになる。美を探求することを許されたもの、アーティストであることの誇りが、彼を奮い立たせ続けたのかもしれない。

ウッドコックはついに欠落感を埋めてくれる、彼の追い求める美とはほど遠い女性と巡り会い、「幸せ」になる。しかし、欠落感が埋まり彼を縛ってきたものから解放されたことで、デザイナーとしてのウッドコックは緩やかに、確実に凋落してゆく(沢田研二の名曲の一節「男と女が漂いながら/落ちてゆくのも幸せだよと」が思い出されて仕方なかった)。この落ちてゆくめくるめく陶酔感が、この映画の本当の狙いであり美味なところだ。

バレンシアガは、引退後隠者のような生活を送り、ほどなく他界する。世間で言うところのわかりやすい幸せとは縁のない人だったかもしれない。しかし彼はウッドコックのような欠落感を味わうことはなかった。まず、心から愛したパートナーがいた。フランスとロシアの血を引くウラジオ・ダタンヴィルだ。貴族の出でバレンシアガが志した洗練された美を体現する人でもあり、スペイン時代からパリで名声を得るまで数十年の日々を一緒に過ごした。バレンシアガのデザインをより素晴らしいものにする帽子のデザイナーとして、ビジネスパートナーとして、バレンシアガを支えるとともに、思うような袖が作れないと煩悶するバレンシアガの苦しみ、クリエイターとしての才能と情熱を理解し慰めてくれる人だった。49才の若さでダタンヴィルが他界した時、バレンシアガは本気でメゾンを閉めることを考えたという。

また、愛する人を失ってからの人生も、光が射さないわけではなかった。息子のような年齢の若いデザイナー、ユベール・ド・ジバンシーとの出会いは少なからぬ意味を持ったと思われる。弟子ではなく商売敵であるにも関わらず、バレンシアガは自分のことを心から尊敬するジバンシーを見守り、手の内を披露し、仕事について親しく対話することを楽しんだ。美しいものの探求とそれを実現する技について語るに足る相手を得たことは、バレンシアガのデザイナーとしての晩年を潤いのあるものにしたに違いない。そのデザインはますます冴え渡った。当時発表された装飾的な要素を削ぎ落としたシンプリシティを極めたドレスは、時の移ろいをものともしない強い美しさを放っている。そして1968年、バレンシアガはメゾンを閉める。人生を彼の服で彩ってきた忠実な顧客達を心から信頼するジバンシーに託して。

人生いろいろ、である。どちらがいいということを言い出すだけ野暮だとは思う。しかし、厳しい道を歩んだバレンシアガが晩年に作り得た作品は、彼の献身に応えて天から投げられた花束のようなものではないか、と思うのだ。

この映画は音楽も素晴らしく、ドレスが放つうっとり感に見合う音が用意されている。トレイラーを見るよりまずこの音楽に接して頂ければ、映画の雰囲気がしっかり伝わると思う。
https://youtu.be/bT_XjcdgT6g

故郷ゲタリアにあるクリストバル・バレンシアガ美術館の所蔵品の映像。圧巻です。
https://youtu.be/VGrwn24aN_A



posted date: 2018/Jul/03 / category: 映画ファッション・モード

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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