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ドゥニ・ヴィルヌーヴは電気羊の夢を見たか?―『ブレードランナー2049』について―

text by / category : 映画

近年、映画業界ではフランス系カナダ人が熱い。その筆頭とも言うべきドゥニ・ヴィルヌーヴが、SF映画の金字塔として名高い『ブレードランナー』の続編を監督するというニュースが流れたとき、いかに今を時めくヴィルヌーヴとはいえ、そんなことが可能なのかと誰もが思ったに違いない。 だが、『ブレードランナー2049』は大方の予想を裏切り、一定程度の水準を維持したとは言えよう。

1982年にリドリー・スコットが監督した『ブレードランナー』の原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(朝倉久志訳、ハヤカワ文庫、1977年)。ディックの原作はSFの設定を借りたセリ・ノワール(探偵小説)であり、彼の多くの作品がそうであるように、すべての展開が迅速に進む為、読者が深い感情を寄せるような暇もないまま終わってしまう淡々とした小説だった。その「軽快なノワール」の部分に大幅に加味された叙情性(リックとレイチェルの恋)、そして、シド・ミードの美術とヴァンゲリスの音楽が相俟って、何度観ても魅力の尽きぬ傑作が完成する(この作品に関しては、加藤幹朗『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』筑摩書房、2004年の詳細な解説が役に立つ)。

2019年を舞台にした前作に対し、今回はその30年後の2049年が舞台。作品そのものは35年後の映画化となる。リックを演じたハリソン・フォードは前作では40歳だったが、本作では75歳。まず、ハリソンが出ているだけで前作ファンが泣いてしまうのは当然かもしれない(それにしても、1970年代でも2010年代でも現役バリバリのハリソン・フォードとは、一体何という俳優なのだ!)。しかし、彼が現れるのは後半の1時間ほどであり、そこには確かに前作との繫がりを窺わせる興味深いシーンが多々あるのだが、メインとなるのはむしろ今回の主人公Kが活躍する前半部分であろう。

主人公のK(ライアン・ゴスリング)がブレードランナーであり、彼がネクサス型のレプリカントを始末するという設定は前作と同様だが、何よりも違うのは彼自身もレプリカントであるということだ。観客は「レプリカントがレプリカントを倒す」、つまりは「ロボット同士の戦い」を見るということになる為、そこに感情移入するのはどうしても難しい。さらにまた、Kと相思相愛の関係にある恋人ジョイ(アナ・デ・アルマス)はホログラムの「商品」であり、実体としては存在していない。主要登場人物がこのように実体を欠いた存在であるという設定は珍しく、その意味では「希薄」な作品である。

しかし、この「希薄」さが今回の『ブレードランナー2049』の特徴であろう。ここには前作のようなリックとレイチェルの情熱的な愛もなければ、名優ルトガー・ハウアーが圧倒的な強度で演じ切った「レプリカントの最後」のような強烈な場面は全くない。前作が闇の中で蠢く未来の人類・非人類の「生命力」を沸々と感じさせる作品だとしたら、今作ではそのような「ややこしいもの」はきれいさっぱり洗い流されているように見える。

ヴィルヌーヴ自身は「前作が「黒のブレードランナー」だとしたら、これは「白のブレードランナー」だ」と語っていたが、それは単に色彩の点のみならず、映画の本質的な部分に関わる発言だと言って良いだろう。つまり、様々な部分が多くの意味作用を生み出し、多層化・重層化された作品であったの前作に対し、今作は「レプリカントの謎(物語中では「奇跡」と呼ばれる)」の解明に一直線に進んでいくため、極めてシンプルな構造になっている。

その為、ハリソン・フォードが登場して「謎」が一気に解決する後半部分は、物語のテンポは良く、映画としては確かに楽しめるかもしれないが、あの『ブレードランナー』の続編としてはいささか楽観的過ぎる展開だったかもしれない。レイチェル(ショーン・ヤング)の登場には前作のファンならば間違いなく狂喜してしまうけれども、ややサーヴィス過剰と言えなくもない。

しかし、最大の驚きは、にもかかわらず、163分というこの映画の上映時間が、全く長く感じられなかったことだった。それは、ヴィルヌーヴがこの『ブレードランナー2049』という作品の世界を完全に統御し、自家薬籠中のものにした結果、すべての出来事をごく「自然なもの」として提示していたからではないだろうか。「驚くべき世界」であるにも拘らず「当たり前の世界」のように2049年の未来を作り上げてみせたヴィルヌーヴには、やはり一定の評価をしてみて良いと思う。凡人にはこれは出来ない。

そもそも『ブレードランナー』のような傑作の続編を作ること自体が無理な話なのだ。そのようなどう考えても不利な状況で、一定の整合性を構築し、前作が持っていた雰囲気を壊すことなく、映画としての「味」を確かに感じさせる作品を生み出したことは、むしろ驚嘆すべきことかもしれない。大傑作ではないが、興味深い作品であるとは言えると思う。

 

Photp By Warner Bros. / Sony Pictures –
http://www.bladerunner2049movie.com/ (パブリック・ドメイン),
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63274813



posted date: 2017/Nov/27 / category: 映画

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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