2019年秋、パリ・オペラ座バレエ団のエトワールとして君臨した稀代のバレリーナ、アニエス・ルテステュが日本に来日し、公演を行った。今回の公演は札幌(9月26日)、宮城・多賀城(9月28日)、岐阜(10月6日)の三都市に限定された貴重なものであり、日本各地の熱心なバレエ・ファンが詰めかけるという事態となった。今回はその多賀城公演をリポートしよう。
アニエス・ルテステュと言えば、1997年から2013年までオペラ座のエトワールを務め、数々の名舞台を披露したことで知られる。1971年生まれの彼女は、シルヴィ・ギエム(1963-)やマリー=クロード・ピエトロガラ(1965-)のような派手に活躍するバレリーナよりは世代的にもやや若く、注目され始めたのも彼女たちよりもだいぶ遅かったように思われる。事実、ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマンが監督した話題の映画『パリ・オペラ座のすべて』(2009)では、アニエスは8名の女性エトワールたちの一人でしかなく、映画の中でも必ずしも中心的な位置を占めているとは言えない(映画が撮影されたのは2007年)。
だが、アニエスの素晴らしさは、自らが携わる衣装デザインとバレエの演技を完璧なまでに構成し、統御するという総合的なプロデュース能力にあるということを、今回はまざまざと知らされることとなった。実際、筆者(不知火検校)が初めてアニエスの姿を目の当たりにしたのは2006年9月のパリ・オペラ座だったが、そのときはまだ彼女の本当の実力を理解していなかった。『椿姫』でタイトル・ロールを任されていたアニエスは、踊りも素晴らしく、作品への理解度も比類のないもので、舞台としては申し分のないものだったのだが、夢中にさせられることはなかった(もっとも、一緒に鑑賞した妻は絶賛していたので、この時は筆者自身の鑑賞眼が鈍っていた可能性も高い…)。
しかしながら、「変貌する美」と題された今回の日本公演のプログラムでは、アニエスの底力を見せつけられた。非の打ちどころのない舞台、とはまさにこれである。フランス語での実際のタイトルは「変貌するdo(s)」である。つまり、一方ではバレリーナのdos「背中、身体」を意味すると同時に、他方では、様々なdo「ハ」の音、つまり「ハ調」の音楽や「ハ音」で始まる音楽を組み合わせる、という実に洒落た構成の演目なのである。そして、その舞台衣装はすべてアニエスが担当しているというのだ。こうして、ガルッピ、ヤナーチェク、ショパン、ドビュッシー、そしてマルク=オリヴィエ・デュパンの『天井桟敷の人々』といった音楽に乗せて、自在に踊りまくるアニエスの姿はまさに天衣無縫であり、「美しい」という呟きが空しく響くほど、鮮やかさと艶やかさが溢れている。こんな舞台はそう易々と見ることは出来ないであろう。
古典に思い入れが強く、古典だけを踊り続けるバレリーナも入れば、窮屈な古典から足を洗い、ひたすらコンテンポラリー・ダンスの世界にはまって行くバレリーナもいる。だが、アニエスにとって、古典もコンテンポラリーも違いはない。彼女にとって重要なのは「踊ること」そのものであり、それがどのような出自のものであろうと彼女はおかまいなしなのだ。「踊り」の本質を掴み、それを十全なものとして舞台に解き放つということ。アニエスが目指しているのはただそれだけなのだ。そして、それゆえに、観客は彼女の踊りに夢中になってしまうのだ。
彼女の全貌を把握するには、ドキュメンタリー映画『至高のエトワール―パリ・オペラ座に生きて』(2014)を見るのがもっとも手っ取り早い。これは現在『パリ・オペラ座のミューズ、アニエス・ルテステュ』と改題されてDVD化されている。これを見れば、彼女がいかに多くのバレリーナや演出家に尊敬される存在であるのかがよく分かるだろう(他にも『アニエス・ルテステュ―美のエトワール』というDVDも出ているが、こちらは未見)。彼女自身による自伝も最近翻訳されたようだが、やはり踊りそのものを見てもらいたいと思う。バレエというものが何なのかを分からせてくれるバレリーナ、それがアニエス・ルテステュなのだ。
普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中