あの日に見たものをどう表現しようか。伝わるのかどうか、わからない。それでも、言葉にしてみようと思う。
2018年5月のある日。とても緊張していた。ルグリが目の前でもう一度踊る。去年の9月にそれを目撃してから半年以上たつ。あの時に目撃した喩えようもないものを再び見ることがほんとうにできるのだろうか。時間はどんどん過ぎてゆき、彼の上にも降り積もっている。
今回踊るのは、ジョン・ノイマイヤーが振り付けた『シルヴィア』の再会と別れのパ・ド・ドゥ。2005年、パリ・オペラ座のエトワールだったころに、このバレエにうってつけのオーレリ・デュポンを相手に踊ったときの映像が残されている。見るたびに「これ以上のものがある?」と言いたくなるほど完璧だ。それからはや10数年。ウィーン国立バレエ団の芸術監督が今のメインの肩書きであり、ダンサーとしてはセミリタイア状態だ。昨年9月にエトワールのレティシア・プジョルの引退公演で、リクエストに応え古巣オペラ座で再演したとは伝え聞いてはいた。そんな大事な場で踊れたのだからと言い聞かせてはみたけれども、不安だった。あの映像に記録されているルグリと同じものを望むことは無茶だとはわかっている。しかし、繰り返し見たあのパ・ド・ドゥに陰りを見ることになってしまったらどうしようか。
劇場までの道すがら、年を重ねても踊り続けることについて考えていた。例えば、アレッサンドラ・フェリ。近年英国ロイヤル・バレエ団の難解なパリパリの新作『ウルフ・ワークス』に客演し、ヴァージニア・ウルフと重ねられた人物を踊った。旬のダンサー達と同じ運動量と超絶技巧をこなした上で見せた圧倒的な存在感。そこにはダンサーとしてのマチュアネスがあるように思った。若いダンサーの動きが描く線とは違うものが見えた。ぴしりとした線ではない、時折にじむような柔らかな線。さして年の変わらないルグリは、何を見せてくれるのだろう。
幕が開き、熱望しつつ怖れていたパ・ド・ドゥを見終わった後、ただただ放心していた。あんなにこわがることなんてなかったのだ。年若いウィーン国立バレエ団のダンサーを相手に踊ったルグリの動きにはひとつの乱れもなく、二人一緒に同じ動きを踊る場面はその揃いっぷりにぞくぞくさせられる。ますます軽やかになり筋肉も重力も感じさせないが、存在感はいや増す一方。ただ回転するだけでも見る側の心を踊らせることができる。テクニックの質で説明がつくレベルのものではない。身体が音楽を奏でるとしたらこういうものだろうかというモーメントの連続だった。
二人で踊ることの素晴らしさをあらためて教えてくれる舞台でもあった。二本の絹のリボンが柔らかく絡み合い音もなくしっかりと組み結ばれてゆくようだった。何度見てもすんなり受け入れられなかったジョン・ノイマイヤーの饒舌なコリオグラフィー、風変わりな細部がはじめてごく自然なもの、必然のものとしてこちらに入ってきたのも驚きだった―。
なにやらわかったことを書き散らしてみた。が、後付け表向きの言葉だ。「放心」の説明にはなっていない。打ちのめされたのはこれまで見てきた舞踊についての言葉、劇評の言葉では語れないものがある瞬間に見えたからだ。
それを見た後で一番最初に浮かんだのは「開かれた身体」という言葉だった。自由な解釈が可能な、様々なものを読み取らせる身体、思いがけない程自在に動く風通しの良い身体という意味で使われる言葉かと思う。舞台の上で見たのはそれとは異なる意味の身体だった。全くのノーガードな身体—あらゆる意味付けから解放された身体だった。
舞台の上のルグリはいくつもの「私」を背負って踊っている。彼の演じる役柄—このパ・ド・ドゥを含む二幕もののバレエ『シルヴィア』の登場人物である、妖精シルヴィアを愛する羊飼いアミンタ。「ダンサーとはコリオグラファーのための自動機械、コリオグラフィーを忠実に再現するために献身するもの」と語っていたルグリらしい、ジョン・ノイマイヤーのコリオグラフィーを踊りきるツールとしてのダンサー。そして高名なダンスールとしてのルグリ本人。しかし、そういった重なり合う「私」はどこにもなかった。ぽかりと開いた無防備な「空」の身体。そこから、強いて言葉にするならば全てを包み込むような深い慈愛のようなものが溢れ、こちらに降り注いでいるように思った。演じたアミンタの心情表現といった人工的なものではない。一体、これはなんなのか。
昨年秋に目にしたものを説明する言葉が見つからず、ルグリの、その他の踊り手の映像を片っ端から見て、探してきたつもりだった。コリオグラファーが音楽から得たインスビレーションをコリオグラフィーに落としたものをダンサーがいかに解釈し踊るかで成立するものをバレエと定義するなら、音楽とコリオグラフィーとダンサーのこのコンビネーションを極めたものがルグリの踊りではないか。音楽に共振するその踊りを通じて改めて鳴り響く音楽を聴き、限界までつきつめて踊られたコリオグラフィーからコリオグラファーの脳裏に浮かんだヴィジョンを見、ダンサーとしての素晴らしい技量と感性が生む動きの美しさ、心地よさを味わう、この3つが重なりあう瞬間を実現してくれる、これこそがマニュエル・ルグリのすばらしさではないか、と。しかしそんな説明も今回の舞台で消し飛んでしまった。
そこには、「上手」という言葉はもちろん、あらゆる形容詞をはねつけるものがあった。ノイマイヤーのコリオグラフィーは徹底的に正確に踊られている が、「ノイマイヤーの作品」を意識することもなかった。マニュエル・ルグリというダンサーもそこにはいなかった。ただはっきりと感じられたのは、そんな無防備に開かれた身体にダイレクトにつながり、慈愛のようななんともいえないものに包まれたということだけだ。これが踊り続けてきたルグリのマチュアネスなのだろうか。
全ての演目が終わり若いダンサー達とともに登場したマニュエル・ルグリは、晴れやかな笑顔は変わらずとも重ねた時間を相応に感じさせる50代の男性に戻っていた。
ルグリがどこまで踊るかは全くわからない。ほんの小さなころからひたすらに踊ってきた人である。舞台から離れた生活を望んでもおかしくはない。しかし、ダンサーとしてこれまでとはまた違う高みにいる彼が、踊り続けることを選択することを願って止まない。開かれた身体はを観るものをどこへ連れていってくれるのだろうか。
2005年の舞台の映像
TOP PHOTO by Naoya Ikeda [CC BY-SA 3.0]
GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.
大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。