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パリで見たもの聞いたこと(2) 全てが perfect というわけにはいかない

1月2日。翌日は帰国という日にとうとうパリ・オペラ座バレエ団をガルニエ宮で観た。ジョン・ノイマイヤーの『椿姫』である。しかもオーケストラ・ピットの前から2列目、ほぼ真ん中。なんとも罰当たりな席での鑑賞とあいなった。この日しか観ることができず、かつチケットを手に入れるには余りにもタイミングが悪くほぼ完売。

お値段に怯みつつ仕方なしの選択だった。踊る人の息遣いまで聞こえてきそうな場所だ。せめて場に相応しい格好で、と衣装持参でのガルニエ宮初体験となった。

座席について正面を見るとぎょっとした。オペラ座名物の重厚な幕がない。むき出しの舞台には、第一幕の舞台がすっかり整えられ、ダンサーの登場を待つばかりになっている。もう舞台は始まっている?。動揺に加え、いよいよオペラ座バレエ団を生で観るかと思うとますます緊張してきた。開演前にホワイエでひっかけたシャンパンもじわじわきいてくる。一体どうなることやらー。

しかし時間になれば舞台は始まり、終わる。当たり前のことだが、全てが終わった後に出てきたのは「全てがperfectというわけにはいかない」という一言だった。

まさに、マルグリットを踊ったエトワール、アマンディーヌ・アルビッソンの一人舞台だった。どちらかというと小ぶりな体つき、デコルテをしっかり見せる黒のドレスも黒髪とあいまってよく映える。吸いも甘いも知り尽くした年増ではなく、面白おかしく人生を過ごしてきて気がつけばここまできてしまいました、とでもいうようない可愛い浮かれ女の感じがよく出ていてた。だからこそ立ち止まり思い悩むようになった姿とコントラストが際立つ。終盤ひとり死に向かう様は、はかなさも漂いいっそう哀切だった。軽やかな恋の喜びから激しい葛藤までを踊ることを通じて演じきった、体当たりの熱演。カーテンコールで見せた晴れやかな笑顔は、ヒロインの人生を生きたという充足感に満ちていた。

アルマンはプルミエール・ダンスールのオードリック・べザール。初めて観るダンサーだ。それほど筋肉質ではないが背丈があって、不器用な男らしさが印象に残る。多用される難しいリフトもそつなくこなしていていて、技量の面でも十分だ。主役として要求されたものにきっちり答えていたと思う。しかし、中から吹き出てくるものが感じられなかった。少々荒くとものめりこむ激しさが伴えば、それで結構さまになる役だと思うのだが。個人的には「スター誕生」とは行かなかった 。

残念だったのは、ヒロインが劇中で観る舞台の役柄として登場し、現実と幻想の両方でヒロインの人生と交差するマノン・レスコーとデグリューの存在感が薄かったこと。プルミエール・ダンスールの二人の踊りは確かにきれいではあった。しかしそれ以上のものは聞こえてこなかった。身をもち崩す乙女と一緒に落ちてゆく恋人の姿にマルグリットは今の自分を重ね合わせ、幻想の中で二人と一緒に踊る。マノンとマルグリットが二重写しになり心を通わせる、このバレエの見せ場の一つともいうべきところなのだけれど、コリオグラフィが意図していた現実と幻想の境を超えて響きあうものを見せるところまではいかなかった。

名前のある役を演じたプルミエール・ダンスールも、舞踏会の場面を彩ったコール・ド・バレエも華やかで上品な踊りをそれぞれに見せてくれた。きらびやかな衣装をふわりとひらめかせ、きびきびと踊っている。力のあるダンサーがそれぞれがきちんと務めているのがよくわかる。しかし、それ以上にこちらに迫ってくることはなかった。美しいけれど平板で淡彩。これが全体の印象だろうか。

むしろ踊らない人が影と深みを舞台に与えていた。特に印象に残ったのはマルグリットにいいようにあしらわれる公爵を演じたローラン・ノヴィだ。若くはあるがアルマンほどの見栄えもなく、おとなしい。マルグリットへの想いはそれなりにあるらしい。何とか振り向かせようと一生懸命だが、マルグリットは突然現れたアルマンにさらわれてしまう。彼女が肺病だとわかってからも子爵の心は揺れ動く。肺病怖い、でもマルグリットはかわいそうだ。ひどいい奴にもなりきれず、手を差し伸べるナイトにもなれない。若さと弱さ、愚かしさを繊細に演じており、こうしたリアルな存在感がこの舞台をきれいな絵物語ではない、地に足がついたものにしてくれていたと思う。翻って言えば、他のダンサーからは人間臭さが出ていなかったとも言えよう。踊ることの向こうに人を見ているノイマイヤーの作品だから尚のこと、振られた役のキャラクターをつかみ明解に見せる努力があってもよかったのではないか。アルビッソンに次いで大きな拍手を彼に送ってしまった。

ガルニエ宮まで行って特等席で見物したくせにこんな言葉しかでてこないかと言われそうだが、いい意味での「肩透かし」が経験できたと思う。この日を迎えるまでは、パリ・オペラ座バレエ団の舞台に圧倒される時がくるのだという期待でぱんぱんになっていた。しかし、実際に劇場に入ってみれば違うものが見えてくる。

まずここはパリでも有数の観光地であり、オペラ座バレエ団は観光資源の一つでもあるということ。旅行の記念にバレエを観にきた人も想像以上にたくさんいるのだ。今回の公演でも、バレエとは縁がなさそうな外国から来たおじさん達が最前列に陣取り、途中でごそごそもぞもぞしていた。併設のショップ(『絢爛たるグランドセーヌ』のフランス語版が売られてました)も、普通の劇場のそれと比べて旅の土産物の占める割合が高い。日本でも放送されたオペラ座バレエ学校のドキュメンタリーを見て、成長した小鼠達の姿を舞台に探す人もいたことと思う(確かにコール・ド・バレエの中に知った顔を見つけました)。日本で漠然と感じていた、ひたすら高みを目指す特別な人々からなる特別な集団、とはちょっと様相が違うのだ。

そして改めて思い知ったのは、オペラ座バレエ団は現在を生き、常に変わり続けている集団であるということ。数百年の歴史があっても、それがバレエ団の評価を揺るぎないものにしてくれるわけではない。伝統と栄光の現れ方はその時その時で違ってくるものではないか。ルーブル美術館に常設展示された永遠の名画のような「絶対」を求めることがそもそも間違いなのだ。堂々たる劇場に守られつつも絶えず変化し続けていることこそが、オペラ座バレエ団の魅力なのだと思う。引退する人もあれば新顔が登場し、団員ひとりひとりも進化を続けている。全てが上手く運び、眠っていたものが花開き、想像を超える完璧な舞台が実現する日が突然やってくるのだろう。そんな幸せな夜に巡り会う日を待ちながらおおらかに構えて見守り続ける地元の観客が、バレエ団を支えてきたのだろう。

これがオペラ座バレエ団か!とひれ伏すまでにならなかったは、こちらの勉強不足もあるかと思う。問われてもオペラ座バレエ団とはこういうものと説明できないのだから。だが、案外オペラ座バレエ団そのものも、これこそone and onlyと誇れるものをずっと探しているのではないか

名門バレエ団であっても、自らの存在意義を問い直すことを迫られることがある。今まさにそうした状態に置かれてしまっているのがニューヨーク・シティ・バレエだ。ME TOO運動が糾弾してきた類の行いがばれてプリンシパル・ダンサー3名が首になり、創設者バランシン亡き後その後継者として長年バレエ団を率いてきた芸術監督も退任を余儀なくされた(世の中が変わり、積もりに積もった「身から出た錆」が見過ごせなくなったからだと囁かれている)。バランシンの芸術の砦として名声を守ってきたニューヨーク・シティ・バレエが今後どう歩んでゆくのか、団全体が考えている真っ最中だ。

オペラ座バレエ団も前向きな意味での仕切り直しを意識的にしようとしているようである。今年、2019年は創設350年目の節目の年になる。個人的には、また一つ目新しいレパートリーを増やすより、オペラ座バレエ団が初演した過去の作品群を徹底的に磨き上げ再演してほしい。例えば、ヌレエフによる一連の古典作品の改訂版。コリオグラフィが無駄にひらひらしているなどと揶揄されることも結構あるようだが、完璧に踊られたときの輝きと音楽との一体感、説得力は圧倒的だ。病こうこうのバレエ好きも、旅の思い出作りに劇場を訪れた人も、観客の誰もが心からの拍手を送りたくなるような、充実した舞台を総力を上げて作れないものか。これが実現できるのは、ヌレエフのために献身することを惜しまなかったオペラ座バレエ団だけではないかと思う。今年が何度目になるかわからない黄金時代の幕開けだった、と後で振り返る日が来ることを願ってやまない。



posted date: 2019/Mar/14 / category: バカンス・旅行演劇・バレエ

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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