飛行機の中、というのも思いがけない映画との出会いがある場所だ。あてがいぶちのラインナップから選び小さな画面で見た作品が当たり!だったりすることもある。期待していた本命の新作映画が見当たらず、肩透かしな気分のまま機内でピックアップした本作について書いてみたい。
9歳の女の子、マチルドはママンと2人パリのアパルトマンに住んでいる。別居しているパパとはときどきスカイプでおしゃべりする。周りの人からは変わっている子と言われ先生からも心配されるけれど、独りでいることが嫌いじゃない。勉強だってちゃんとする。カラフルなユニークちゃん、というより、自分がちゃんとあって、自分の感性と美意識を大事にしている女の子なだけだ(きれいに飾ったマチルドの部屋を一目見ればわかる)。かしこくて一生懸命な、まさにおとぎ話の主人公をリュス・ロドリゲスが好演している(小鼻がちょっと膨らむ風なのがかわいらしい)。
マチルドが素敵な私の部屋を持つ女の子になったのは、感性豊かなママンのおかげだ。ママンはマチルドよりもっとずっと変わっている。例えば、ある日突然ウェディングドレスをデパートで買いもとめ(そうする理由はちゃんとあるのだ)、試着したまま家に帰ってくる。白い裾を雨に濡れた街路で汚しながら。他の子のママンと違って、マチルドの面倒を見るよりマチルドに世話を焼いてもらうこともそれなりにある。だからマチルドは自分で夜ご飯を食べて自分で起きて学校に行くことができる子になった。それでも、ママンの事がマチルドはとにかく大好きだ。
唐突にママンがプレゼントしてくれた小さいフクロウがマチルドとだけおしゃべりできることがわかり(かわいい外見に似合わず陽気なおっさんキャラだったりする)、マチルドの感じ方や考え方をわかってくれる友達になってくれたおかげで、マチルドの世界はぐんと彩りを増してゆく。その一方で、ただでさえ不安定なママンの心の調子はゼツボー的に悪くなってゆく。マチルドが一生懸命準備したことも全く悪気のないママンのお陰でおじゃんになり、マチルド自身も危険な目にあう。ママンとマチルドの静かで豊かな世界は崩れてゆく。
ここまでくると、なぜしゃべるフクロウも登場するおとぎ話仕立てなのかがわかる。そのままを映画にすればこぼれ落ちてしまうものがあるからだ。世間さまから見れば、迷惑ばかりかける母と耐える娘である。リアルを追求しながら「社会の中の2人」を描けば、マチルドの将来とか生活費とかママンの病の理由の詮索とか、いろいろとついてきて大事なことががぼやけてしまう。現実を締め出してこそ初めて見えてくるものもある。
一つはママンの存在感。どうしてマチルドがママンのことを好きなのか。この問いに映画はきちんと答えている。親だから、だけではなく魅力的な人だからだ。他人の目にはトラブルでしかなくても。事実、本作の監督でもあるノエミ・ルヴォヴスキが演じた、静かな微笑を絶やさないママンの心ここにあらずな表情やたたずまいはなんともいえない透明感があって美しい(前作での「元気なカミーユ」が演技だったこともよくわかる)。
そして、ママンが苦悩する人でもあることもしっかりと捉えている。自分を置き去りにしてどんどん飛び去る思考に振り回され、追い詰められてゆく苦しみ。やらかしてしまったことを知った後の絶望感。大事な人たちと思うように接することのできないもどかしさといったものをを常に抱えていることを。ママンのような存在は大抵の場合「主人公を脅かすやっかいな問題」として平面的に描かれがちだが、この映画は違う。これまで見てきた「メンタルを病んだ人の演技」にはないものを感じた 。観察映画『精神』に登場した人たちに見たものー自分の内面で沸き立つものと戦う人の静けさーにより近いものとでも言おうか。
もう一つは、マチルドとママンの関係だ。社会が掲げるあるべき母娘の姿とはかけ離れているかもしれない。しかしマチルドとママンはそうやって一緒に1日1日を積み上げ、次の日を迎えてきた。他人には問題行動とその結果の繰り返しのように見えても、2人にしかわからない世界があるのだ。
マチルドは、ママンの心が絶えずどこかにさまよっておりいつか自分から離れていってしまうのではないかと勘付いている。だから一生懸命ママンによりそう。ママンはママンで自分を求める大事なマチルドの声に応えたいと思っていて、がんばろうとする。でもうまくいかずに、変なことになってしまう。まるで悪い魔法にかけられてしまったみたいに。こんなにもそばにいるのに繋がらない、二人のなんとも言えない微妙でせつない関係が交わし合う視線、触れ合う体からきちんと描かれている。観ている側にはたまらないのだけれども。
そしてママンはある決断を下す。ママンにかけられた「魔法」が解け、ママンとマチルドが再び母と娘として巡り会うことができるのか、何も考えずに互いをしっかり抱きしめることができるのか。それはぜひ映画をご覧になって確かめていただきたい。
話し相手のフクロウ(映画『愛と哀しみの果て』でメリル・ストリープがペットにしていたのと同じ種類だろうか)も脇役としていい味を出していた。 愛嬌なしのデッドパンなタイプの動物ゆえ、好き勝手なおしゃべりもすっとはまる 。父親役のマチュー・アマルリックの静かな存在感も印象に残った。
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GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.
大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
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