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私たちのカール -フランス版 Vogue のカール・ラガーフェルド追悼を読む-

突然の一報が流れた後、各種メディアは一斉にカール・ラガーフェルドの死を伝え、追悼記事を載せた。新聞・雑誌にインターネットといろいろ見てみたけれど、「皇帝」と渾名されたファッション界最大のスターを悼むにはずいぶんと寂しい内容で、正直拍子抜けした。簡単にまとめるにはあまりに大きな存在であること、直前までバリバリ働いた現役のままの死であったこと、常時出演中といえるほど抜きんでたメディアへの露出が影響していたのかもしれない。

(昨年他界したジバンシーの追悼記事が「読ませた」のは、歴史の一コマとして仕舞い込まれていたジバンシーのデザインを書き手も読者も共に発見し、過去の人とされていたジバンシーのクリエイションをまっさらな気持ちで楽しむことができたからだろう。)

フランスのモード誌もそれぞれのカラーを反映させた追悼を行った。Numero はラガーフェルドに捧げる小冊子を作った。テキストはほんの少し、シャドーサングラスにポニーテールのおなじみのアイコンとしてのカール・ラガーフェルドのポートレート(ラガーフェルド本人によるものも含む)だけで構成されている。ウルトラモダンではあるがあまりに無機質で、個人的にはあまりいただけなかった。Marie Claire は、御大との交友のあるなしを問わず幅広い年齢層の女性文化人にお気に入りの彼のデザイン(シャネルだけでなく H&M とのコラボも可)を選んでもらい、自分との関わりを語ってもらう形でカール・ラガーフェルドを讃えた。

正統派の追悼を行ったのは、フランス版 Vogue だ。まず持ってきたのはラガーフェルドのドキュメンタリーを制作したロイック・プリジャンによる長文の書き下ろしエッセイ。60年代から付き合いのあるフェンディ家の三代目、シルヴィア・ベントゥリー二・フェンディが語る思い出も交えつつ、世間を煙に巻きながら息を引き取る直前までファッションの世界を全力疾走したラガーフェルドの姿を活写、ジャンニ・ヴェルサーチとの意外な関係も明かしてくれる。

そして、続く頁はこれまでフランス版 Vogue に登場したカール・ラガーフェルドに関する記事、写真で埋めつくした。切り抜き風にあしらわれた注目の若手デザイナー、ラガーフェルドの紹介文と本人の写真、ラガーフェルドがVogueのために撮ったファッション・フォトグラフィー、編集部が選ぶ旬の一着として歴代の名うてのファッション・フォトグラファーが撮影した、シャネル以前の雇われデザイナー時代のものも含めたラガーフェルドによるワードローブの写真。

見開きいっぱいに隙間なくあしらわれた何十枚もの写真にはとにかく圧倒される。そのデザインの多彩さにも、ラガーフェルドが半世紀にもわたりいかにさまざまな見目かたちの女たちを美しく飾ってきたかという事実にも。ジーン・シュリンプトンからスーパーモデル達、リリー=ローズ・デップまでがそこにいる。

ラガーフェルドのワードローブが使われた表紙もまとめて掲載されている。 カバーガールとなったモデルの顔ぶれ、見出しのタイポグラフィの変遷を眺めていると年月の重さを感じる一方、これだけの長い間表紙を張れる”IT”な一着をコンスタントに発表し続けた彼のエネルギーがいかにとてつもないものだったか驚かずにはいられない。

この追悼全体から浮かび上がるのは、本当に美しいもの、感嘆させてくれるものをファッションの世界で手に手をとって追求してきたラガーフェルドと Vogue の歴代の編集者達とのいい関係だ。舞台裏ではビジネス上の判断、選択というのもあったかもしれない。しかし時とともに思惑やら計算とやらが流れ去り、後に残った古雑誌にはデザイナーと編集者達の間に通った純粋な思いだけが残った。

アイコンと化す前のラガーフェルドの写真が多く使われているのも印象深い。茶目っ気のある表情豊かな目を隠すことなく微笑むカール・ラガーフェルドを、多くの読者は新鮮な気持ちで見たのではないか。「私のブルガ」と称したサングラスの後ろに隠れてしまうずっと前から、彼と親しく接してきた Vogue ならではの選択なのだと思う。実際、ラガーフェルドは雑誌作りの仲間でもあった。70年代、ラガーフェルドは雑誌そのものにも関わり、文芸評論の覆面ライターとして寄稿している。

私たちはずっとあなたを見てきた。私たちはこんなあなたの一面も知っている。長い付き合いの友人を送る、企画を超えたパーソナルな手触りがここにはある。

雑誌ならではのこうした追悼は、受けとる方としてもありがたい。たくさんある写真を一枚一枚をじっくり見、行きつ戻りつしながら自分のペースで追悼に参加することができる。ネット上ではそうはいかない。立ち止まることは許されない。いかに多くの選り抜きの写真が掲載されていたとしてもしたとしても、スワイプし前に進まなければならない。ラガーフェルドを悼むどころか彼の人生そのものをスワイプし消費してしまったような、そんな後ろめたさを感じることはない。

「気がついたら長いこと雑誌を買っていない」という声もちらほら聞く。ファッション関係の雑誌はとりわけ旗色が悪そうだ。ラガーフェルド追悼が掲載された号のフランス版 Vogue も例外ではなく、それがなければ正直手に取らなかった。しかしこういう企画に出会うと、雑誌というメディアの懐の深さを感じずにはいられない。

Vogue の追悼ページには、カール・ラガーフェルドの語録も掲載されている。これまでメディアではセンセーショナルな面白毒舌ばかりが取り上げられてきたが、ここではカール・ラガーフェルドがどんな人物かを端的に示すものが集められている。一部を紹介したい。

自分にはタブーがない。タブーなんてことを言いたがるのは気の弱いブルジョワどもだ。1968年の頃は、「やってはダメ」と言うこと自体がやっちゃいけないことだった。いまや何に対しても規制がある。ポリティカル・コレクトネスはフランス精神を窒息させる。

ちょっとした逸話になっているけれど、私にダイエットを決意させたのはディオール・オムのためにエディ・スリマンがデザインした服だった。こんな風に、何か心動かされるものに出会えば、そのためには何だってやってのけるね。

ラガーフェルド様、なんてぞっとする。私の知り合いは私のことをカールとしか呼ばない。運転手だってそうさ。ラガーフェルド様なんて呼ばれるのはぞっとするし気が滅入る。珍重すべき骨董品であるかのように話しかけられるのはごめんだ。ほとんど滑稽もいいところだし、せっかくの関係が凍り付いてしまう。尊敬の印なんて必要としない。私自身が自分のことを大した人間だと思っているのだから。

全く、人に尊敬の念を抱きはじめたら、ヤキが回っている証拠。敬意とやらはクリエイティヴィティをダメにするんだ。

特に愛想のいい人間に見えることにこだわってはいない。

馬鹿みたいに、デザイン画は自分で描かないと気が済まないんだ。私はアーティスティック・ディレクターだとかいうラッパー・クチュリエではない。仕立ての技術的な細部までちゃんと考えてある。だから思い描いたデザインを絵にしたら、それについて議論する余地なんかない。全ては考え抜いてあるのだから。

下着、肌着、ダマールとかいうもの、どれも嫌いだ。パンツは別だがね。北の人間だから、寒いと感じたことはない。

小さい頃に、早起きできない人間は人生で何もなし得ないと教えられた。だからこの歳になっても、ベッドでぐずぐずしていると罪悪感に襲われるね。

仕事を最優先にしているとは思わない、だって自分が本当にやりたいことがこの仕事だからね。やらなければならないことなんてないのさ。私という人間はじつに裏表がない。おもしろいと思えるのはファッションの仕事だけなんだ。モードと写真と本、その他のことについてはどうだっていいんだ。

人が何を欲しがっているかやたらと気になり出したら、それは物事を正しく捉えられなくなっているということだ。他人のたわごとに耳を傾けるぐらいなら自ら選んだ間違った道を行くほうがましだ。

自分のしていることに悦びを感じることは全くない。オーガズムを感じない二ンフォマニアみたいなものだ。生きるには不快だけれど、創作の場においては極めて健全でいられる。

自分の人生を振り返ったことはない。全くね。近視眼的な人間なものだから。これまでの日々はとにかくあっと言う間に過ぎ去った、そういう感覚しかない。私の人生は、例えるならセザールの圧迫彫刻みたいなものだろうか。いくつかの思い出を呼び起こす時、自分自身を欺いていないかどうか自分に問いかけるほどだ。

爪をひっこめてしまったわけじゃない。椅子を引いて尻餅をつかせてやろうという人間が私には、もうあまり残ってないだけさ。だから意に反して、私は親切なんだ。

人を着ているもので判断したりしない。誰もそんな能力なんてないんだから。ファッションデザイナーだからわかると思うのは馬鹿げた慣習だ。

人生一度も選挙に行ったことがない。

ヒエラルキーというものが理解できない。ただただ本当に馬鹿げている。人を見下して、ばかばかしい。

ドラッグ、アルコール、煙草、どれとも無縁だ。ずっと品行方正を貫いてきた、何のご褒美ももらえないけれどね。そういったものに関わろうとはしなかった、傍観者のままだった。

死というのは考えるに値することではない。毎晩眠りに落ちるのとかわりない。ただしもう二度と目覚めることはないというだけさ。残される人にとっては耐え難いものかもしれないけれど、私の場合はどうかわからないな…。病気になるのは恐ろしいが、死はこわくはない。実に安らかなものであろうことは、賭けてもいい。

*Special thanks to Ms. Noisette






posted date: 2019/Jul/26 / category: ファッション・モード

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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