フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

日本野球界はなぜ閉鎖的なのか①―東京五輪でプロアマ一丸となった最強チームは組めるのか?

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先日、ブログ主さんからこんな記事を紹介されました。長年にわたってフランスの球界に貢献したことを称えるために、吉田義男さんの名を冠した大会が当地で開催されることになったのだとか(吉田義男さんとフランス野球界の関係は以前このブログでも紹介しておりますので、興味のある方はそちらの記事もご覧ください)。

東京五輪で野球復活なるか?

ところで、記事中にこうした国際貢献を通じて、野球がオリンピックにおいて実施競技に復活することが期待されるとあります。野球が「国技」ともいえ、2020年に東京五輪が開催される日本にとってこの話題は気になるところですが、では日本野球界はどのような取り組みをしているのか?と問われると、「微妙」としか答えられません。最近では、日本野球機構(=NPB=いわゆるプロ野球界。以下NPBと略称)のコミッショナーが日本オリンピック委員会(JOC)に出向いて、オリンピックと野球の話題について意見交換したという記事を目にしましたが、すくなくともぼくが見たかぎりでの目立った動きはこれくらいしかなく、野球の五輪競技への復活を願う運動が大きく盛り上がっているようには思えません。もちろん日本の野球ファンのほとんどは、国際大会で日本代表チームが活躍する姿を目にしたいと思っているでしょう。それは間違いないはずです。

ところが、じつのところ日本の野球界はプロアマ一丸となって「野球日本代表」を送り出せる環境にあるとはいいがたいのが現状です。また、さきに紹介したNPBのコミッショナーも野球を愛しているでしょうから心の底から「野球日本代表」の活躍を目にしたいと思っているでしょうが、同時にそれをなかなか実現できないもどかしさに苛まれていると推察します。その理由はなんなのか? 以下考えてみます。

読売新聞vs朝日新聞?

この見出しを見ただけでピンときた方は、この問題のエッセンスをすでに理解できたんじゃないかと思います。なんで新聞社が野球と関係あるんだと不思議に思った方でも、「読売巨人軍」と「高校野球」という二つのキーワードを提示すれば、メディアと野球はじつは深い関係にあるとご理解いただけるのではないかと思います。

日本には、プロ球団から草野球チームまでたくさんの野球チームがあり、一年中、どこかの地域でかならず野球の大会が開催されています。ところが意外に思われるかもしれませんが、国を代表して対外的に日本の野球界を代表する組織というのが日本にはありません(正確にいえば、それっぽい団体はあるにはあるんですが、日本に複数ある野球団体の利益を調整する機関といったほうがよく、権限も非常に制限されています)。「じゃあ、さっきのNPBってなんなの?」といえば、あれは巨人や阪神といったプロ野球12球団で構成された連盟組織で、実力的には間違いなく日本球界を代表しているといっても過言ではないでしょう。ところが、この組織が日本の野球界全体のことを考えているかといえば、それは微妙です。むしろ考えたくても、それができないというのが答えでしょう。

というのも、「最強の野球日本代表」を結成するならNPBの協力がどうしても必要になります。NPBにとっても日本の野球が盛り上がることは自らの利益にも直結しますから、その意味では「日本代表」に選手を送り出すことはやぶさかではないでしょう。ところが、彼らはプロ野球球団=スポーツ興行団体ですから「貴重な商品=選手」が自分たちの管轄外で扱われることに敏感になります。具体的にいえば、ある年の3月から10月までの間に開催される国際大会への選手の派遣にはかなり及び腰になるでしょう。その時期にプロ野球のペナントレースがおこなわれるからです。さらには、野球もまた怪我がつきもののスポーツですから、高額な年俸を支払っている有力選手に国際大会で怪我でもされたら、だれがその補償をしてくれるのかという疑念を各球団は抱くことになります(怪我の問題は選手個人にとっても無視できない要素です。ペナントレース中の怪我であればある程度所属球団が面倒をみてくれるでしょうが、国際大会で故障したときには、いったいだれに頼ればいいのかと不安になり思い切ったプレーができなくなるかもしれません)。さきほどぼくが「(NPBが日本の野球界全体のことを)考えたくても、それができない」と書いたのはこういった事情を指しています。

このことはサッカー界と比較すればより理解が進みます。サッカー界の場合、日本サッカー協会(JFA)が日本におけるすべてのサッカー競技団体を統括しています。もちろん、プロサッカー=サッカー興行団体つまりJリーグもJFAの管轄下にあります。Jリーグ各球団とて、代表チームに選手を派遣するにあたって野球界とおなじような悩みとまったく無縁ではないのですが、もしも選手派遣を拒んだりすればJFAからペナルティーを科せられるでしょうし、むしろ代表チームに所属選手を送り込むことがチームの知名度、人気を高めてくれると肯定的にとらえる向きさえあります。このようにサッカー界の場合、プロであるJリーグとそれ以外のアマチュア団体をJFAがまとめて統轄しているために、国内の特定サッカー団体の思惑とははなれたところで、つねにサッカー界全体の利益に奉仕できるという体制が整っています。

ところが野球界の場合、そもそも多数の野球団体が林立している状態で、野球界全体が一致団結して野球界全体の利益を考えることがむつかしい環境にあります。それどころか、プロからアマチュアにいたるまで日本の野球の大会やリーグ戦はメディアと深い関係にあり、そしてそれらが互いに「棲み分け」をしているのが現状です。

具体的には

・プロ野球ペナントレース(読売巨人軍=読売新聞。中日ドラゴンズ=中日新聞。プロ野球における巨人軍の影響力は年々低下しているといわれていますが、球界全体に与えるその影響力はまだまだ無視できません。2004年のプロ野球再編問題も読売グループの渡邊恒雄氏の意向が大きく影響したといわれます。そして、両新聞社がプロ野球球団をもつのは新聞の販売促進の側面があるのは間違いないでしょう)

・春夏の高校野球(春の選抜高校野球=毎日新聞主催。夏の全国高校野球選手権大会=朝日新聞主催。読売新聞、中日新聞とおなじく、朝日新聞も毎日新聞も甲子園大会を主催することによって、販売促進&自社広告マスコットの効果を得ているはずです)

・社会人野球都市対抗戦(毎日新聞主催)

・サンスポ杯(サンケイスポーツ(産経新聞))。ご存知でない方もおおいと思いますが、草野球チームの参加する全国屈指の大会です)

本来であれば(野球界全体を考えるなら)、プロ野球界、社会人野球界、学生野球界といった各層の団体が一致団結して日本の野球のことを考える組織が望ましいはずです。ところが、それを実現するにはいくつかの乗り越えるべき壁があります。それは各野球団体の閉鎖性です。後述するように、歴史的経緯を踏まえるとこの閉鎖性には納得できる側面もあるので、安易に批判するのは的外れになりかねません。けれども、日本野球界の各層でこうした閉鎖的な棲み分けがあることを指摘しておくことは重要なことだと思います。

プロ野球界の閉鎖性

まず、プロ側の閉鎖性についてです。

プロ野球球団の12のポストというのは、それこそ現行球団親会社の利権そのものです。ですから日本におけるプロ球団の数は何チームが理想なのかはわかりませんが、すくなくとも新規参入が事実上不可能になっています(NPBの実質的な意思決定機関であるオーナー会議の承認が必要ですが、「市場シェア」が分散することになりかねないので、彼らは新規参入にこぞって反対します)。これもサッカー界をみればわかるように、Jリーグは発足時の10チームから年々チーム数が増加していて、いまではトップリーグのJ1で下位リーグとの入れ替え戦もおこなわれるまでになっています。そしてこのことはなによりもまず、選手とサポーターにとってありがたい仕組みとなっています。日本各地に「オラが町のチーム」ができることにつながりますし、そしてそういった新規チームはおおむね運営予算がありませんから選手の給料はかなりの低水準であることはたしかです。それでも選手はプロとしてピッチに立てる。舞台に上がるチャンスが野球選手にくらべて圧倒的に恵まれているといってもいいでしょう。そして、さきほど触れた再編問題のように、プロ野球ではもっぱらオーナー側の都合で球団数が増減されたり、身売りされて本拠地が変更されるといったようなことがおこりますが、すくなくともサッカー界ではありえない話です。

高野連の不思議な憲章

ついでアマ側です。ここでは、アマチュア野球最大のイベントである高校野球をとりあげてみます。

日本の高校野球を統括しているのは「日本高等学校野球連盟(略称:高野連)」ですが、その高野連が自らの「憲章」の前文でどのように述べているかを確認してみましょう(引用元はこちらhttp://www.jhbf.or.jp/rule/charter/index.html):

「国民が等しく教育を受ける権利をもつことは憲法が保障するところであり、学生野球は、この権利を実現すべき   学校教育の一環として位置づけられる。この意味で、学生野球は経済的な対価を求めず、心と身体を鍛える場である。 (中略)

 本憲章は、昭和21(1946)年の制定以来、その時々の新しい諸問題に対応すべく6回の改正を経て来たが、その間、前文は一貫して制定時の姿を維持してきた。それは、この前文が、

「学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの学生野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず悲運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強靭な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない」

と、全く正しい思想を表明するものであったことに負うものである。

しかし今日の学生野球がこうした精神の次元を超えた性質の諸問題に直面していることは明らかであり、今回憲章の全面的見直しが求められた所以もここにある。このような状況に対処するには、これまでの前文の理念を引き継ぎつつも、上述のように、学生野球の枠組みを学生の「教育を受ける権利」の問題 として明確に捉えなおさなければならない。(中略)

もちろん、ここに盛られたルールのすべてが永久不変のものとは限らない。しかし学生の「教育を受ける権利」を前提とする「教育の一環としての学生野球」と いう基本的理解に即して作られた憲章の本質的構成部分は、学生野球関係者はもちろん、我が国社会全体からも支持され続けるであろう」(引用以上)

最後まで読むと、冒頭の一文である「国民が等しく教育を受ける権利をもつことは憲法が保障するところであり、学生野球は、この権利を実現すべき学校教育の一環として位置づけられる」がすでに結論なんだとわかります。これはもっともなことが述べられており、反論する人はまずいないでしょう。ところが、実際に順を追って読み進めると、いったいどういう事態を示しているのかわかりづらい表現が散見されます。たとえば「元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としては・・・(中略)」、さらには「今日の学生野球がこうした精神の次元を超えた性質の諸問題に直面している」とあります。前者についてはかなり不思議な文章です。どう読んでも「試合を通じてフェアの精神を体得」「明朗強靭な情意を涵養」「強靭な身体を鍛練」することはスポーツを通じてはえられないといっているようにしか思えません。それを実現するのが「教育」だといいたいのでしょうか?後者については具体的になにを指しているのかわかりにくくなっていますが、ここを理解するには補助線を引いておいたほうがいいでしょう。(続く)

お断り:この記事が完成したのが12月7日のこと。その後、ビッグニュースが飛びこんできました。こちらです。 www.hochi.co.jp/sports/etc/20141209-OHT1T50008.html このため、本文の記述に時期 的なズレがあることをお断りさせていただきます。なお、さきほどの引用元に全日本野球協会・鈴木副会長(アマ側代表)の発言に「最終的に野球が選ばれるた めには、本当の意味でプロとアマが一体の姿勢を見せないと、組織委もIOCも納得しないと思う 」とありますが、なぜ日本の野球界が「本当の意味でプロとアマが一体」になることが難しいのかというのが、本論の主旨となります)

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専門はフランス思想ですが、いまは休業中。大阪の大学でフランス語教師をしています。

小さいころからサッカーをやってきました。が、大学のとき、試合で一生もんの怪我をしたせいでサッカーは諦めて、いまは地元のソフトボールと野球のチームに入って地味にスポーツを続けています。