フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

『トゥルー・グリット』 (ジョエル&イーサン・コーエン監督、2010年アメリカ)

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2008年に『ノーカントリー』でアカデミー賞を得たコーエン兄弟の西部劇。原作(チャールズ・ポーティス)は、1969年にジョン・ウェイン主演によってすでに映画化されている(『勇気ある追跡』、ヘンリー・ハサウェイ監督)。

物語は、14歳の少女、マティ・ロス(=ヘイリー・スタインフェルド)がアーカンソーへ父親の遺体を引き取りに来るところから始まる。彼女の父親は、たった金貨2枚のために牧場の使用人、チェイニーに殺されたのだ。チェイニーは捕縛を逃れるべく、インディアンの居留地に姿を隠して出てこない。父を殺した犯人が何の処罰も受けず、逃げおおせていることが許せないマティは、連邦保安官のコグバーン(=ジェフ・ブリッジス)を金で雇い、途中テキサス・レンジャーのラビーフ(=マット・デイモン)も加わって、ついにチェイニーを捕らえるに至る。

このように、描かれる事実だけを挙げれば、『トゥルー・グリット』は69年の『勇気ある追跡』と何ら変わるところはない。ところが、これが全くの別物、今回のリメイクは、近来稀に見る「名作」となっている。恥ずかしい話、私はこの作品を見ながら、2回大泣きに泣いてしまった。

最初に胸が熱くなったのは、コグバーンとラビーフに追跡の邪魔だからと言われて岸辺に取り残されたマティが、馬もろとも川に飛び込むシーンである。二人の男は、少女がついて来れないように先に川を渡って、彼女を置いてきぼりにするのだが、マティはここで捨てられてはならじと、自分が乗った馬ごと川に飛び込む。私は馬が泳げるということをこの時初めて知ったが、そのこと以上にこのシーンを感動的なものとしているのは、マティを岸へと運ぶ馬の健気さである(馬はまるで彼女を応援するかのように力を振り絞って泳ぐ)。しかし、この場面の真の感動は馬の運動にあるのではない。それは、川へ飛び込む騎乗のマティをカメラが真正面から捉えたことにこそ求められるべきであろう。前作にも少女(キム・ダービー)が馬に乗って川を渡るシーンはあるのだが、ハサウェイ版ではそれがロングで撮らえられていて、「少女はこうやって川を渡ったのですよ」という単なる事実報告にしか過ぎないのに対して、コーエン兄弟の作品は、馬にまたがった少女を大きく正面から映し出すことによって、彼女の気丈さを表現するばかりでなく、少女の思い入れの「熱さ」を表現することに成功している。それがために、変な言い方だが、2010年版はまぎれもない「女子」の映画となっている。このことは、映画の開巻当初からわかっていたことではあるのだが、『勇気ある追跡』があくまでも保安官ジョン・ウエインの映画であったのに対し、『トゥルー・グリット』は、ヘイリー・スタインフェルド=マティが「まっすぐに」、そして「一人で」選び取る行為(馬の買い取り、コグバーンとの交渉、他)を繰り返し描くことによって、一人の「女子」がその存在を知らしめて行く作品となっている。

また、このことはラストに位置するコグバーンの命がけの疾走場面がもたらす感動とも繋がっている。マティはコグバーンとラビーフの協力のもと、みごとチェイニーとその一味を倒す。ところが、戦いが終わった後、彼女は運悪く岩山の穴に落ちて毒蛇に腕を噛まれてしまう。穴からマティを助けたコグバーンは、彼女の全身に毒が回る前に、馬を乗りつぶしながら、遥かかなたの医者のところまで彼女を運ぼうとする。コーエン兄弟はこの搬送シーンを全くの暗闇の中で撮っている。星空の下、必死に馬を駆る老保安官の形相を見るだけでも、私たちは充分に感動してしまうのだが、観客はこの場面でマティとコグバーンが純粋の絆で結ばれていることを悟る。あれほど子ども扱いしていたマティの存在がコグバーンの中ではっきりとその重さを得たのだ。最初はお金とほんの少しの正義感で結ばれていた二人の関係が、ここで何の混じり気もない純粋の域に達している。私はマティを思うコグバーンの心を思い、気を失っているとはいえ、自分を抱きかかえているコグバーンの心がわかるマティの心を思ったとき、もはや涙をとどめることはできなかった。

コグバーンは最後に人家の灯にたどりついたところで力尽きるのだが、力走の甲斐あって、マティは助かる(ただし、片腕は失ってしまう)。そう、人家の灯を見せるためにもコクバーンは夜の闇の中を走らねばならなかったのだ(この点も、前作は何の工夫もなされていない)。映画では、この後、4半世紀後の彼らへの言及があるのだが、それは見てのお楽しみとしておこう。

このように、『トゥルー・グリット』の素晴らしさは、「女子」の存在を「純粋の絆」の中で浮かび上がらせたことにあるのであり、その「純粋さ」が通り一遍のお涙頂戴劇では達することのできないレベルにまで達しているが故に「名作」たりえているのである。

さて、みなさんはこの西部劇をどうご覧になるであろうか。全国の婦女子諸君、『トゥルー・グリット』を見逃すことなかれ(もちろん、お父さんもボクも)。

寄稿者:MU

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