フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

大野更紗著 『困ってるひと』:「これが、苦しむ、ってことか」

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大野更紗氏、上智大学の学部生の時代からビルマの難民の方々のお世話に奮闘し、晴れて(?)院生となりタイでのフィールドワークに打ち込もうとした矢先、病名も治療方法もわからぬ難病に倒れ、思いもかけず自分がお世話される側に。今まで何気なく出来ていた日常動作が「ビルマのジャングルに行くよりもずっと大変」、「毎日が全力ダッシュマラソン、超絶探検隊」になってしまう。彼女はそのまま医療難民となり、1年以上たってようやく入院・治療できる病院を執念で探し当てるが、この現代医学が解明できない難病は根治には至らないまま徐々に体を蝕んでゆく。

困ってるひと (ポプラ文庫)どうしてこんなことになってしまったのか、またどうして次々と様々な病態が起こり続けるのか、という不条理に対する疑問はここではひとまずおいておこう。彼女が陥った最大の「難」は、人がこのような長期療養状態に陥ったとき、真っ先に物理的・経済的な問題に直面するという事実であった。難病にかかった事で彼女は生存するためにまず直面する現実的な問題に目を見開かされることになる。日本の社会保障制度は、まんま今の日本を象徴しているようだと彼女は言う。「出口のない経済不況、いつまでも改善されないどころかむしろ悪化の一途をたどる社会保障、医療や福祉の制度、金融危機、就職危機、家族の崩壊、地域の崩壊、うつの増大、自殺者の増加、孤立死の頻発・・・」、「あっちゃこっちゃで火の手があがり、何から手を付けていいかわからないので、とりあえず「対処療法」で時間を稼ぐ。根本的な問題は、とりあえず先延ばしにする。システムそのものの、全身性の機能不全に、太刀打ちできない」。

遠いビルマでなく、この一見便利で裕福な日本で、「難」の当事者になることによって彼女は今まで見えなかった制度のハザマに飲み込まれることになってしまった。しかしながら彼女は、正面きって、おのれの力で、道なき道を切り開いてゆく。文字通り死にそうになりながら。死にかけていても(さらに25歳の乙女でも)世間は厳しい。政治犯への拷問と同じような、普通あり得ない目にあっているのに(麻酔なしで筋肉切除とか、神経がずっとむき出し状態とか、のオンパレードなのだ!)、周りの人が「甘えるな」というメッセージを常に彼女に対して発してくる。

ところで「己の生存をかけて闘う」「逞しい」圧倒的弱者にはさらに世間は厳しくなるように思う。この著書に対するアマゾンのカスタマーレヴューでも思ったのだが、生活保護の問題と同じように当事者の「性格」「態度」や著書の「文体」にまでその批判は及ぶ。(批判する人は「難」を体験してない「健康体」の人ばかりではなく「難」の当事者もいるようだ。)信頼するお医者さますら、親心なのかもしれないが、「社会の制度や障害の制度や他人をむやみに頼るな」と言う。しかしながら当事者としては死んでしまってはもとも子もない。彼女は自分の難病については「治らないものは治らないんだから、仕方ない」と引き受けている(若干20代の方がそういい切れることに深い尊敬の念を抱いてしまう。自分だったらとてもできないだろう…運命を呪いまくるだろう…)。

彼女がスゴイのはこの時点で、問題は「難」だらけの体でどうやって自立して生活していくのかであるということを冷静に理解してしまっている点である。彼女は闘病の初期に、命綱の人間関係に亀裂が入ってしまうというあまりにも辛すぎる経験からこのことを学んだ。このような経験をしても彼女が挫けなかったのは、彼女がすでにそれまでの人生の中で精神的に他人に依存することなく生きてきた人だったからなのだろうと思う。実存的な人間の孤独が図らずしも露わになる。

方舟しりあがり寿氏の『方舟』という作品を思い出した。彼は自分の作品に触れて、「お腹が空いてどうしようもなくなった時、いい人のままで死ぬか、人から食べ物を奪ってでも生きるか。そういうラインの人が増えてきている。年間の自殺者が3万人といいますが、考えてみたら、その人たちは仏のままで死んでくれているわけで、鬼になっていたら大変なことになる」とおっしゃっておられる。しかしながら、これらの自殺者の方々は別に「仏」になってひっそりこの世から退場されているわけではないのではないか。人はいざというとき鬼になってまで生きたい本性を持つのかもしれず、単に社会からの「甘えるな」というメッセージを内面化しつつ絶望し、己の身に降りかかる不条理を呪いながら鬼になって亡くなっているのかもしれないのだ。

恐ろしいことだ。我々は日々このような呪詛に取り囲まれて生きているのにその恐ろしさに気づけないとは…よくよく考えてみると現代の超ストレス社会&リスク不確実社会においては、実は不条理な事態は誰にでも起こりうる可能性がある事であって、普段はそういった不安を払拭し他人事であるように我々は振舞っている。もしかしたらそういう根源的な不安を惹起し、一見平穏に見える日常に亀裂を入れてしまうような存在を我々は本能的に嫌い、「ひっそり」目の前から消えてくれることを、実は、願っているのではないだろうか…

このように考えてくると、ぎりぎりのところで希望を失わず、生きることを選んだ大野氏こそが「仏」に思えてくるのだ。 彼女は言う。 「「困難の総合商社」となってみて、予想だにしない発見がありました。人は、生命の危機に瀕する状況下において「わたしが、大変だ!」ということばかりを言いたくなるわけではない、ということです。」 「絶対絶命の状況下では、発病前には思いもよらなかった、驚くべき光景や人の営みに出会うのです。」 「直感的に「これが必要だ」とか「これはやらなくちゃいけない」って思ったときは、必ず一旦は少数派になる。それでも、最後まで信じ切ること。「これは重要なことだ」という自らの直感を信じ切って、最後まで理性に頼み、やりきる。」と。…これはもはや仏の言葉ではないか。

メメントモリ―逆説的ではあるが「人はいつか必ず死ぬ」ということを常に忘れない人間だけが、理想を信じ続ける、言い換えれば自分に対する尊厳を保ち続けることができるのかもしれない。瀬戸内寂聴氏も「みんなのために良かれと思ってやっていることを、冷たい目で見る人たちがいます。そういう人は、”縁なき衆生”と思って放っておきましょう。あなたはあなたで正しいことを、自信を持ってすればいいのです。」 と言っておられる。

いずれにせよ、おそらく自分も殺さず、鬼にもなりたくない彼女は、自分の社会生活や人間関係を壊さずに、持続的に生きていくためには、行政・福祉といった社会保障制度を利用し、非持続的な人間関係に頼らず、「自立」して生きていくしかないことに気づく。ところがこの制度を利用するためには、様々な壁が立ちはだかっている。身体的にも精神的にも弱った患者自身が、専門家でもわからないような行政用語を解読し、自分が使える福祉を探り当て、山のような書類を書き込み、さらに物理的に役所関係の様々な場所に移動してまた山のような書類を書き込み提出するという、健康体でもムリムリ!な苦行を成し遂げなくてはならない。

さらに生活のすべてにわたる必需品も自分自身でゲットしなくてはならない。地方出身で頼れる親戚縁者もなかなかいない若者世代にとって気が遠くなる話ではないか。こうした不備だらけの制度であっても、長年当事者たちが苦しみながら福祉上の権利を勝ち取ってきた闘いの歴史があるのだが、それも近年の長引く経済不況でバックラッシュ状態であるという。生活保護の問題とも深くリンクする話であることがよくわかるので、合わせて読まれたし。

www.magazine9.jp/interv/inaba/index1.php www.magazine9.jp/interv/inaba/index2.php

結局誰もが「持続可能に生きていける」ことを可能にする社会保障制度を切り捨てないことは、我々の共同体・社会全体が呪詛や暴力に支配されず、持続的に安定して営まれてゆくために、非常に合理性に適ったことなのだ。

大野氏はさらに長引く入院生活の中で、専門家のタコツボ化の問題にも気づいてゆく。「医学的に正しい」ことと「実際の患者の生活空間での判断基準」は大きく乖離しているのに、実際受けられる福祉を決定するのは、当事者の声ではなく、主治医の決定=胸三寸にかかっている。これでは、ただでさえ治療の現場においては必然的に非対称的な権力関係になるというのに、患者はますます「いい子」でいることを強いられてしまい、「本当のニーズ」なんて言えるわけがない。

退院後の命綱となる在宅福祉の内容を決定する「主治医の意見書」に、当事者の声も聞かず、ほとんどの必要介助の欄に「必要ない」のチェックマークを入れられ、最低限のヘルパー支援すら受けられなくなる危機に瀕した大野氏。しかも心から信頼しきっていた医師に裏切られた思いに憤った彼女は、始めて彼にブチ切れ喧嘩腰に「先生!どうして何も聞かないで勝手に決めるんですか!」と啖呵を切る。その返答はこれまた喧嘩腰の「いま忙しい!医学的に正しいことを書いた!本人に聞く必要はない!」だった。このエピソードは日本の医療に欠けているもの=当事者の視点であることを見事に浮き彫りにしている。

「身体的にすごく苦痛で、社会的に経済的にどんどんどんどん困窮してっちゃう患者さんたちを目の前で見ていて、本当に……難病になるって、こんなに大変なのに、なんで「こんなに大変だ」って言わないんだろう!」と言いつつ、その理由を彼女は誰よりも身に染みてわかっている。こういう空気を少しでも変えることは時間も根気も手間もかかることであり、「甘えるな」という世間の声にめげずに、当事者たちが「こんなに大変だ」と言い続け可視化してゆくしかない。こうした発想のもと「星の王子さま」バッチは生まれたのだ。bit.ly/SeTL3C

このバッジにはサン・ テグジュペリの「星の王子さま」に出てくる「大切なものは目にみえない」という言葉が刻まれているが、これは「星の王子さま」に登場するキツネの言った言葉だ。 ‐Voici mon secret. Il est très simple: on ne voit bien qu’avec le cœur. L’essentiel est invisible pour les yeux.

さすがフランス語学科卒!!あるインタヴューの中で、大野氏は、学部生のとき大好きだったというフランス人の先生に言及していたが、数年前亡くなったガブリエル・メランベルジェ先生のことと思われる。なつかしい…彼女はあまりにフランス語が出来ず授業中「コ・ロ・ス・ゾ」と言われたそうだ(笑)。

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