なぜフランスは「女性が子どもを持っても、いくつになっても愛を語れる国」でいられるのか?これはフランスの最大の不思議のひとつであるが、著者の藤野さんは、この問いを通して、女性が自分らしく生きることのできる社会を模索する。そして、人を愛するとか、子どもを持つという、人間の自然な欲求と思われているものが、いかに経済や社会的な制度に大きく左右されてしまうかを明らかにする。日本とフランスを比較することはそれを両極端の形で浮かび上がらせることになる。
藤野さんは労働経済学の専門家として、日本とフランスの社会制度の違いが、幸福度や満足度の差を生んでいることを指摘する。実は現在ヨーロッパで1、2を争う出生率を誇るフランスでも、1960年代半ばから1970年代後半にかけて出生率が低下していた。1975年に人工妊娠中絶が合法化するまで、中絶は犯罪とみなされ、性交渉は生殖目的という色合いを帯びていた。女性たちは自分たちを「生む機械」にすぎないように感じ、夫との性生活にネガティヴな感情を募らせていったという。出生率の低下は「女性の子どもを持つことへのストライキ」だった。それほど女性の立場が弱く、無能な存在とみなされていたわけだが、それゆえに国家の大きな介入が必要になり、ドラスティックな変化をもたらしたとも言える。
フランスはその後、女性自身が出生をコントロールでき、男女が協力しあって仕事も、家事も、恋愛もできるような社会制度を構築したわけだが、それが結果的に出生率の大幅な増加を実現することになる。フランスでは子どもが生まれても、仕事を続けるためのインフラを誰でも利用することができる。失業中であろうとも、どのような雇用形態であろうと問題にならない。しかも家計の負担にならない形で。だからフランス女性は、正社員になり、経済基盤を固めると、ガンガン子どもを産むのだ。現在、子供を持つフランス人女性の就業率は85%にも及ぶ。
日本では「男は会社、女は家庭」という役割分担=分業体制が敷かれている。子どもを持つために、多くの女性は独立した経済基盤を捨て、男性の経済基盤に従属しなくてはならない。著者の行った2013年のアンケートによれば、学卒後に就職した経験があり、子どものいる現在30代既婚女性の66%が完全に無業の専業主婦になっている。日本では1960年代の高度成長期に、「夫、専業主婦、子ども」から成る核家族が一般化したが、1970年代後半に「日本型福祉社会構想」が政策として具現化され、これがさらに核家族という形態と、子育てや介護といったケアを主に家庭に任せていく考えが堅固なものになる。一方、日本男性は会社に依存し、会社を中心にホモソーシャルな人間関係を作り上げ、家庭を顧みない。その結果、夫婦の生活圏が分断され、心理的にも距離ができてしまう。
このような役割分担が亡くならない以上、日本でいくら女性が社会進出しても、女性自身の首を絞めることになる。仕事を持っても主婦業をやめることができない。兼業主婦になるだけだからである。また社会的なプレッシャーも依然として強い。著者がふたりの子どもを連れてフランスの研究所で仕事をすることになったときも、夫や子どもを犠牲にしているのではという、罪悪感にさいなまれたという。
フランスでは景気の悪いときに出生率が上がるという日本では信じられない現象が起こる。日本では景気が悪いと経済的なリスクが増えるので、子どもを作るどころではなくなる。一方フランスでは不景気で仕事がなくなったり、減ったりすると、いろいろな手当をもらえ、所得が減った感じがしない。むしろ時間に余裕ができて、子どもでも作ろうかという気になれる。フランス人に「子どもを持つことは、単に個人やカップルの欲求だ」と言わせているのは、このような社会制度の充実が前提にあり、それが所得の変動リスクからカップルを守っているのである。つまり「産みたいときに産める」ということだ。
フランス人が、子どもがいても、いくつになっても恋愛していられるのは、女性が独立した経済基盤を持ち、子どもがカップルのふたりに平等に属するからだ。何よりも女性が子どもの養育に全面的に責任を負わなくて良い。また女性が仕事を持って所得を得ると、男性にとっても、女性と対等になることで仕事に対する精神的負担が軽くなる。日本男性は、夫と妻は家庭という「重要な会社」を二人で共同経営しているという自覚が何よりも必要なのだろう。これは男性を解放することでもある。雇用の流動性が高い時代には男女が均等に働いた方がリスクヘッジにもなる。またフランスでは非正規雇用あるいは失業中の男性が家庭を持つ場合、多くの子供を持ちたがる。低所得や大家族志向のカップルが実際に多くの子供を持てば、家族手合によって所得配分が行われ、社会の所得格差が縮小される。出生率の安定と所得再配分が同時に達成される何と合理的なシステムだろうか。
著者は「とりわけ女性の性生活の満足度を上げることが、少子化の問題を解決する鍵になる」と言うが、日本は2005年の Durex 社による「性交渉の頻度」調査で調査対象国の45か国中「最下位」という不名誉な結果だった。性交渉はカップルの重要なコミュニケーションであり、家庭を共同で運営しているという実感を何よりも高めてくれる。ふたりが日常的に同じ場所と時間を共有していなければ、愛情を育めないし、心も離れてしまう。考えてみれば当たり前のことで、このことが日本において子供を作ることの最大の障壁になってきたのだ。「生殖目的ではない性交渉が逆説的に出生率を上げる」ことを肝に銘じよう。少子化対策のための税制は、配偶者控除や第3号被保険制度のように夫への経済的な依存を高めるような制度ではなく、家事代行やベビーシッター利用時の税控除などを進めて、まさに子どもがいても週末のデートができるような、日本を「愛の国」に変える制度設計が必要だろう。
日本では男女の結びつきが、「カネとカオの交換」(小倉千賀子)になってしまう。日本に初めてきたフランス人は「どうして、日本では、きれいな女性と不細工な(moche)な男性とのカップルが多いの?」と訊くそうだ。フランス人女性は、パートナーの性的魅力に厳しく、常にカッコ良くあるように努力することを求める。フランスではオランド大統領が率先してそれを体現している。当時のパートナー、ヴァレリー・トリエルヴェレールさんと出会い、2006年以降、大好物のチョコレートムースを自らに禁じ、猛烈にダイエットした。大統領選のイメージ戦略もあったのだろうが、痩せてカッコ良くなった大統領が新しい女優の恋人、ジュリー・ガイエさんに走ったのは皮肉な結果であった。男性も女性に厳しい視線を向ける。女性も恋愛・仕事・子育てなどの人生経験を積み、年齢に応じたを美しさエレガンスを身につけていけば、いくらでも新しいチャンスが訪れるのだから、女度をアップさせることを怠らない。
日本では、年齢によって蓄積された深みのある美しさどころか、アイドルの隆盛を見てもわかるように、未熟さと裏腹の若さがもてはやされる。グローバリゼーションの中で日本人男性は日本女性が恋愛偏差値の高い国の男性に流れることをもっと考慮する必要があるのかもしれない。実際、著者は、とりわけフランス人男性と日本人女性がカップルになりやすい理由も、データーを駆使して分析している!
本書のタイトル「不思議フランス」を問うことは、実は私たちにとってあまりにもあたり前で、変るはずがないと思い込んでいる「不思議日本」を問うことでもあり、少子高齢化、地域社会や家族のあり方の変化など、日本が直面している様々な問題の解決の糸口を与えてくれるだろう。
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