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『ローマ法王に米を食べさせた男』―世界と日本の地方が直接つながる

text by / category : 本・文学 / 政治・経済

高野誠鮮氏は、石川県羽咋市神子原村で「限界集落」の活性化と農作物のブランド化にチャレンジした、スーパー公務員である。通常、前例を踏襲し、上から言われたことだけやっていれば年功序列式に定年まで地位と給料が上がっていく公務員の世界では、経営的な視点に立つインセンティヴはあまり働かない。高野氏の場合、経営と言っても、一定の投資に対して多くのリターンを求めるのではなく、お金をかけずに知恵をしぼるのだ。高野氏はそれを「思源作戦」(資源に対して思源)と名付ける。

ローマ法王に米を食べさせた男  過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?農家の人々に JA からの自立を促すためには、自分がお役所仕事から脱却して範を垂れなければならない。高野氏はまず会議をやめた。いくら会議を重ね、立派な分厚い企画書を書いたところで行動しなかったら意味がないからだ。とりわけ公務員はそうすることで何かやった気になり、満足してしまう。高野氏は、責任は自分が取ること、最低限の予算で「何とかする」ことを条件に、稟議書を役所で回すことをやめ、市長に事後報告という形で、事業のスピードアップを図った。お金がないから知恵を縛り、それを行動につなげ、さらにその責任を引き受ける。まさに今の日本に欠けている根本的な原理である。

農家が十分な収入が得られないのは、自分で作ったものに自分で価格をつけられず、流通に利益を中抜きされているからだ。そこで高野氏は農作物をJAに出さず、生産、管理、販売を自分たちでやることを神子原の農家へ提案した。しかし JA とズブズブの依存関係にある人々の激しい反発に会う。ヤジと怒号に囲まれ、ほぼ賛成者ゼロの状況で彼は「CIAの戦略」に基づき、反対派を懐柔していく。CIA の戦略とは、どうやってひとつの方向に大衆を動かしたらよいか、アメリカの英知を結集して練られた1953年の「ロバートソン査問会」のレポートである。 具体的には、地元メディアに神子原地区の農業を事あるごとに取材させ、村が話題に中心にあるように思わせることだった。彼らは外からの評価にめっきり弱いのだ。

さらには地元メディアだけでなく、アメリカの AP 通信、フランスの AFP 通信、イギリスのロイター通信に、高野氏が始めた「棚田オーナー制度」の英語のアピール文をファックスで流した。「山のきれいな水だけで作られた美味しいお米」と書き添えて。「棚田オーナー制度」とは、都市住民に村の棚田のオーナーになってもらい、田植えと刈り取りのときには手伝ってもらうシステムだが、英ガーディアン紙に掲載された記事を通してそれを知ったイギリスの領事館員が一番乗りになった。それをまたサプライズとして地元メディアにフィードバックしたのだ。その反響で40組の募集に対して100組の応募が殺到する。

すでに神子原地区のコシヒカリは「全国の美味しいお米ベスト10」の第3位に選ばれるレベルあった。しかしその存在を告げ知らせる戦略が決定的に欠けていたのだ。 高野氏は神子原米をワイン酵母で発酵させたお酒、「客人」(まれびと)を造るのだが、高付加価値作戦でブランド化し、1本3万3600円の値段をつけて東京のデパートで売り出した。もちろん、農家の収入アップを考えてのことである。さらに「客人」を外国人記者クラブで宣伝した。そのおかげで仏の有名レストラン、アラン・デュカスのチーフ・ソムリエが「客人」を知り、彼自身が参加して神子原米でフランス料理に合う微発泡酒をプロデュースし、アラン・デュカスで供されることになった。

東京のデパートに「客人」を売り出したことに対して、地元の人々からなぜ県内のデパートに置かないのかと批判が出た。つまり最初は何をやっても無視していたのに、外から評価されると気になってしょうがない。いちゃもんをつけたくなるのだ。「日本人は近くにある存在を過小評価する傾向にある」と高野氏は言う。内輪の人間が新しいことを始めるとバカにしたり、足をひっぱったりするのだ。それでいて、外からの評価に左右され、自分の価値を見極め、自分で判断して行動できない。高野氏はそういう日本人の外圧に弱い習性を利用したともいえる(CIAのレポートのように大衆の動員の方法として普遍化できるのかもしれないが)。

それは日本のサブカルチャーの評価に似ている。それが輸出可能な価値あるコンテンツと気が付かずにいて、フランスなど外国の若者たちに評価されて初めて、ようやく自己像をとらえることができたのだ。 一方で私たちはどうやって高野氏が高度な英語を身に着けたか興味を抱かざるをえないのだが、それは本書には全く書かれていない。ローマ法王に神子原米を食べてもらったのも、NASA とコンタクトできたのも(UFO 情報も集まる宇宙科学博物館コスモアイル羽咋も彼のプロデュースだ)、アラン・デュカスのチーフ・ソムリエとコラボできたのも、高度な英語力があってこそ。英語によってマーケットはグローバルに拡大するのだ。

やがて農家の人々は直売所で自分の生産物を売るメリットに気が付くのだが、それは中抜きされずに正当な利益を得ることだけでなく、自分の商品を買ってくれるお客さんと直接対面し、言葉を交わすことで「作る喜び」を知る。そのことを通して、今まで JA に指示されたものだけを指示されたやり方で作っていた農家が、どうしたら売れるのかを自分の頭で考え抜くようになったのだ。 奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)高野氏の試みは、人は何に対して、多少高くてもお金を払うのかということを考えさせる。ポイントはストーリー性と人間関係だ。

ストーリー性とは、商品を買った人が、「ローマ法王が食べていらっしゃる…」「米袋の文字はエルメスの作家の…」「有名デパートでもなかなか手に入らない…」といった薀蓄を傾けたり、希少性について自慢したくなるようなストーリーを持っているかどうかだ。次にいろんな人間を巻き込めるか。限界集落に若者を集めるには、生み出される商品の持つストーリーに一人一人が自分のストーリーを重ね合わせることのできるような、人間関係を通して感動的な経験ができるような仕掛けがカギになる。

自分自身の居場所を見出せる魅力的なコミュニティが存在しなければ、若者がそこに集うことはないだろう。高野氏は学生など、若い人たちに、農家に2週間留まり、農業体験してもらうために「烏帽子親農家制度」を立ち上げた。農家の人と仮の親子関係を結んで滞在してもらうのだ。若い人たちを客としてではなく、仮の形とはいえ子供として泊める。そうすることで法律で定められた面倒な宿泊設備の問題もクリアできるし、今後さらに希薄化していく親族血縁関係を補完するような関係を作り出すことができる。若い人たちが都会では忘れ去られた濃密な人間関係を体験し、村の人々は壊れていく親族血縁関係を補ってもらうのである。「烏帽子親農家制度」で農家に滞在した大学生たちがその後も農家の人たちと親子のような交流を続ける様子は感動的である。

現在、高野氏は「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則氏と組み、自然栽培を広める事業に取り組んでいる。日本の農薬まみれの農作物とそれを生み出すサイクルの泥沼から脱却するためだ。それが日本人を不健康にし、医療費を高騰させているのだ。高野氏のさらなる野望は、その自然栽培の作物でフランスに殴り込みをかけ、世界で最高の食文化と自負するフランスの料理の食材を、すべてメイド・イン・ジャパンにすることだという。日本はすでに農作物を作るすばらしいスキルを持っているのだから、自然栽培によってさらに付加価値が付く。現在、TPP の是非が議論されているが、日本の地方と世界を直接つないでいく、こういう攻めの農業も可能なのだ。

実は能登半島は「能登の里山里海」として世界農業遺産に登録されている日本で唯一の地域なのだ。ちょうど今年の3月、フランスのテレビ局TV5が、番組制作の取材のために能登町松波の松波酒造を訪れた。雪がちらつく中、築100年以上の酒蔵で、仕込んであった純米酒を手作業で絞る様子を撮影し、そこにあった神棚にまで深い関心を示した。番組は秋にフランス全国で放映され、家族経営で守られる日本の地方の伝統文化が紹介される。受け継がれた技術と人々の立ち振る舞いと背景となる自然は少なくともフランス人の興味を掻き立てるものなのだと、私たちは改めて気が付く。今後、ピンポイントで能登にやってくるフランス人の観光客も増えるだろうし、日本酒ブームがさらに勢いづくことが期待される。

去年、「海に沈む太陽を見下ろすブドウ畑とワイナリー」という記事で紹介した門前町も話題の能登半島の先端にある。そこはフランスのブルゴーニュとつながる場所で、美しい海を見下ろす広い土地にブドウが植えられ、ワイナリーが建設中である。



posted date: 2013/Apr/13 / category: 本・文学政治・経済
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