いま、ギリシャ債務危機がEU諸国を震撼させています。この問題について、「公務員がやたらと多い」「年金の給付水準が高すぎる」「そもそも何年かに一度破たんしている、どうしようもない国だ」と、危機の原因をギリシャ側に求める意見がみられる一方で、いまやEUの盟主といってもいいドイツに対する批判的な主張もちらほらと散見されるようになってきています。この後者の一つとして、いま日本でも話題になっているのが今回紹介するエマニュエル・トッドの『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』です。
著者はフランスの歴史学者、人類学者、人口学者。『最後の転落』(1976年)で、ソ連邦の崩壊を、そして『帝国以後』(2002年)でアメリカによる世界の一極支配が衰退することを予測しています。いずれも、人口論、出生率、識字率などの各種データを元に予測を的中させた(その意味で、いまとなっては「なぜソ連は崩壊したのか?」「なぜアメリカの一極支配は終焉したのか?」という歴史を振り返る読み方もできるといえるでしょう)のが特徴で、その彼が今度は、EUで存在感を増しつつあるドイツの存在に対して警鐘を鳴らしています。
本書の内容を要約すると、「現在の国際環境、地政学的条件下のもと、もっともユーロの恩恵を受けているのがドイツであり、そのドイツが推進する硬直的な緊縮財政政策が、他のEU諸国を圧迫している」くらいでしょうか。くわしくは本書を手に取って確認していただきたいのですが、著者の主張は一見過激です。まずタイトルからして、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』ですし、目次を見るとたとえば「オランドは「ドイツ副首相」」、「ウクライナは国家として存在していない」、「ヨーロッパはすでに死んでいる」など、とくに論理的&実証的な議論を好む人たちには敬遠されるかもしれませんが、本書の最後のところでインタビュアーからの「あなたの燃え上がるようなレトリックに騙されてはいけないわけですね・・・」という質問にたいし、「そうです。私は非常に穏健な考えを非常に過激に表現するのでね」と述べているように、その発言の比喩と真意を取り違えずに読むことができるなら、現在のEU情勢に関する有力な一つの視点を得ることになるだろうと思います。
追記:
なお、なぜユーロのおかげでドイツが一人勝ちすることになるのか? このメカニズムについて本書ではあまりくわしく扱われていませんので、補足的に説明してみます。
*経済が好調な国は、通貨高になる。
ある一国の経済が活性化すると、基本的にその国の通貨の価値も上がることになります。日本円でたとえると、日本経済好調→円需要の増加→為替相場における円が相対的に高く評価される。くらいでしょうか。
*通貨高になると、輸出産業は不利になる。
通貨高というのは、その国民の消費者的側面(モノを買う)からは望ましい状態です。たとえば1ドル=100円から1ドル=50円になると、それまでの半分の値段で外国製品を買えるようになるからです。ところが生産者的側面、正確にいうと輸出産業で働いている人(モノを売る)にとっては、商売が難しくなります。外国にモノを売って、それまでは1ドル当たり100円の収入が転がり込んでいたのが、円高によって1ドル当たり50円と収入が半分になってしまうからです。
*ドイツの通貨はマルクではなくユーロ
現時点のドイツは、共通通貨であるユーロによって輸出産業のジレンマ(経済好調=通貨高になると、モノを売りにくくなる)を回避できるようになっています。もしもドイツが旧自国通貨であるマルクを採用していた場合、経済が持続的に好調なだけに、そのぶんマルクの通貨価値も高くなっていたはずです。ところが、現在ドイツが採用しているのは共通通貨であるユーロ。ドイツのほかにフランス、イタリア、スペインといった欧州主要国が参加していますから、ドイツ一国の経済状況がユーロの為替相場に与える影響は限定的です。そして、これがまさに輸出大国ドイツがユーロの恩恵を受けているといえる所以となります。
*では、ヨーロッパを襲う債務危機はドイツのせいなのか?
これは微妙です。すくなくともこのメカニズムはドイツ主導で作られたわけではないからです。本書においてトッド自身が語るように(「ドイツは、単一通貨の考案者たち――彼らはフランス人でした――の過失により、支配的なポジションに置かれてしまったのです。特にそれを望んでいたわけではないのにね」(p153))、現在のユーロ圏の状況はだれかの明確な意思によって築かれたものではないといえます。
さきほどとりあげた本書の目次にもなっている「オランドは「ドイツ副首相」」は、このことを踏まえるとあながち過激な発言とはいえないかもしれません。フランス人が考案したシステムにおいて、その恩恵を受けているのがドイツだとするならば。
専門はフランス思想ですが、いまは休業中。大阪の大学でフランス語教師をしています。
小さいころからサッカーをやってきました。が、大学のとき、試合で一生もんの怪我をしたせいでサッカーは諦めて、いまは地元のソフトボールと野球のチームに入って地味にスポーツを続けています。