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地域社会の持続とグローバル人材をつなぐもの

text by / category : 政治・経済

「グローバル人材」というと、どういうイメージを持つでしょうか。英語を使いこなし、一流の多国籍企業に勤めて、海外のビジネスマンと対等に渡り合う人でしょうか。4月13日に京都大学で行われた「真のグローバル人材育成を目指して」というシンポジウムに参加して、様々な角度から分析された理念と実践についての発表を聞いてきました。中でも岩手大学の松岡洋子さんの話が、FBNの記事「ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?」の書評に共振する、大変興味深いものでした。

一般に、大学における「グローバル人材の養成」というと地方大学とは無縁な感じがするし、結局は地元の要請に相反するものと考えられています。地元の親はできるだけ子供に地元に留まって働いて欲しいし、子供のほうも仕事さえあればわざわざ親元を離れることを望んでいません。しかしながら従来の大学の教養・専門教育は、相変わらず都会で企業に雇われることを前提としているような、高度成長期のホワイトカラー向けの画一的な教育モデルに従っています。そして311以前から変わらないことなのですが、岩手もご多聞に漏れず過疎化は進行する一方であったということです。 maguro01

岩手県は、311で津波の甚大な被害を受けたのみならず、原発事故の風評被害でその主要産業である水産加工物の売り上げが激減しました。しかしながら大震災後2年を経て、ようやく水産加工物の売り上げも戻りつつある中、この地方に非常にグローバルな複言語的な状況が出現していると松岡さんはおっしゃいます。

その原因はふたつあります。ひとつは、水産加工物を買ってくれる大口客が中国人であるため、販路のグローバル展開が必要であること。ふたつ目は震災後生産工場に日本人の働き手が戻ってきてくれないので、外国人の労働力を導入せざるをえないのです。 こうした状況をマネージメントするためには、外国語能力のみならず、日本語と外国語を駆使して、課題解決に向けて交渉できるコミュニケーション力が必要になってきます。細分化された専門知識のみならず、それをどう地域課題の解決に結び付けていくかを教えることが、特に地方国立大学に課せられたミッションではないか、と松岡さんは問いかけていらっしゃいました。

これは地方に限った問題ではなく、フラットな世界のリアルなのです。もはや世界中どこにいようが別の場所とグローバルに直接つながってしまうのです。 岩手県は林業も盛んなため、岩手大学の学生を木質バイオマスの視察にスゥエーデンに行かせたり、また地熱発電の視察にアイスランドに行かせたりしているそうです。こうした例は、グローバル人材は同時にローカルに密着した人材でもあること、世界をまたにかけて活躍する一部の「グローバル人材」だけでなく、「グローカル人材」にも適切な外国語教育が必要になってくることを示しています。

地方は取り残された場所ではなく、世界と直接つながり、地元に残った人々にも雇用を提供できる可能性を秘めているのです。 ローマ法王に米を食べさせた男  過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?「覚える」から「使う」外国語教育に、さらに身近な地域課題を検討するための多様な外国語能力を活かす教育活動を行うことが、地方国立大学に求められる地域人材育成ではないか、というのが松岡さんの結論でした。

『ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?』の高野誠鮮さんは、ローマ法王を初めとする様々な有名人にアピールするために、戦略的に英語で発信しましたが、もはや一部のエリートだけが外国語を学べばよいという時代は終わったように思えます。なぜなら、きっかけさえあれば、あらゆる場所がグローバルにつながってしまうからです。

そういう世界では、誰に外国語が必要なのか誰も一方的に決めることはできません。この人たちは外国語は要らないと言ってしまうことは、彼らにとって機会損失になってしまいます。外国語によって誰もが常に潜在力を高めておく必要があるのです。しかも、すべてのケースが希望に満ち、成功に収斂するとは限りません。それは、もはや日本人というブランドが通用しなくなり、ハングリーで人口も多いインド人や中国人と同じ土俵で仁義無き競争を繰り広げなくてはならないことを意味するのですから。 noisette 人気ブログランキングへ ↑クリックお願いします



posted date: 2013/Jun/06 / category: 政治・経済
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