■今年気になったのはやはり中国の台頭。フランスのニュースにも中国が話題に上ることが多くなった。2009年にフランスを訪れた中国人観光客による現地での買物額はロシア人観光客を上回り、フランスでの「ショッピング王」の座に輝いた。フランスのブランド品を買い漁り、ボルドーのシャトーを買収するのは、経済的な勢いのバロメーター。それはまさに80年代の日本の姿だ。
■1月末に、中国人がボルドーワインの蔵元を次々と買収しているというニュースを紹介した。ワインだけでなく、高級な肉や魚の旺盛な消費を牽引するのは、中国都市部に住む中産階層の人々。現在、約3億人に達し、年700-800万人のペースで増えている。今や世界経済はこれらの人々の消費に支えられている。
■フランス国内に目を向けると、パリだけで50万人の中国人が住んでいる。彼らは徐々に同化し、移民の第1世代に比べると経済活動も多様化している。第2世代の若者たちはフランスで生まれ、彼らはコンプレクスも持っていない。親の世代は中華料理の総菜屋だったが、2代目になると教育をきちんと受け、しかるべき仕事についている。公務員もいるし、プログラマーもいるし、ファション関係の仕事をしている者もいる。
■1年半前からパリの不動産に明らかな傾向がある。中国人の資金が入ってきている。中国人は最近では高級住宅街で知られる16区の建物にも興味を示し、ボナパルト一族所有の建物が香港のホテル経営者によって買収された。ニュースの映像を見る限りでは「シャングリラ」のようだ。現在ホテルに改装中だが、買収と改装の費用の総額は1500万ユーロ(約20億円)。108の部屋、35のスイートルーム。3つのフランス料理と中国料理のレストランが入る。中国本土でも中国人はますますお金持ちになり、フランスに旅行に来る。彼らを迎え入れるホテルを作っているわけだ。
■中仏両国は昨年12月、サルコジ仏大統領がチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世と会談したことに中国側が反発し、関係が急速に悪化したが、中国はその後も「フランス無視」を続けてきた。しかし、今年4月初めの金融サミット(G20)で中仏外務省が共同で 「フランスはいかなる形式でもチベット独立を支持しない」という声明を発表、同日晩に首脳会談が実現した。11月にはフランスに国賓として招かれた中国の胡錦濤国家主席がサルコジ大統領と会談し、旅客機や原発分野などで巨額の売買契約に合意した。総額を約160億ユーロ(約1兆8千億円)と見積もられている。最大の契約は、エアバス社の旅客機102 機(総額約98億ユーロ相当)の売買。また、仏エネルギー大手アレバが今後10年間で、中国の電力大手に計2万トン(約25億ユーロ相当)のウラン燃料を供与することでも合意した。 (cyberbloom)
■1月27日のサリンジャーの訃報には、文学史的にはすでに故人になっていた作家が公式に亡くなった、という思いを抱きました。大学の仕事で、朝鮮籍の学生がフランスの入国ヴィザを取得できないことを知り、国家と個人の関係について、あらためて考えさせられたのも、大きな事件でした。個人的には、9月にパリで友人と会ったとき、フランス留学時代に知り合いだったアルゼンチン人学生が、大学寮にわざわざ戻ってきて飛び降り自殺したという話を聞いたのが、大変ショックでした。彼はベンヤミンの研究中でした。身近なところで起きた死は、いつも自分が生きていることの意味を問い直すきっかけになります。 (bird dog)
■頭の片隅にずっと残り続けているのは、ハイチのことです。エドウィジ・ダンディカが今は亡き父と叔父について書いた本を読む機会があり、地震前のハイチが背負っていた気の遠くなるような現実には頭を抱えたくなりました。ゼロに近いことしかできませんが、遠くから見守りたいと思っています。 (GOYAAKOD)
■サッカー日本代表のW杯ベスト16進出は、日本サッカー界にとって中長期的な観点からもたいへん意義深かったと思います。日本サッカー協会が中心となって、1980年代から本格的に「国際化」を目指した日本サッカー界は、 1993年:Jリーグ発足 1996年:28年ぶりのアトランタ五輪出場 1998年:フランスW杯初出場(3敗) 2000年:シドニー五輪ベスト8 2002年:W杯自国開催&ベスト16進出(2勝1分1敗) 2006年:W杯3大会連続出場(1分2敗) 2010年:W杯他国開催で初のベスト16(2勝2分(PK負けを含む)1敗) と、着々とステップアップを続けています。世界的にみてもこれほど強化が順調に進んでいる国は稀であった&あるといえるでしょう。「坂の上の雲=W杯優勝?」まではまだまだ時間がかかるかもしれませんが、来年度以降も地道に日本サッカー界を応援していきたいとところです…。 (superlight)
Ⅰ.サルコジ、ピンチか?! ドミニク・ドヴィルパン前首相に無罪判決!
■1月28日、クリアストリーム事件に絡んで虚偽告発などの罪で訴追されていたドミニク・ドヴィルパン前首相に対して、パリの軽罪裁判所が無罪を言い渡しました。ドヴィルパン前首相は、1991年にフランスが台湾に売却したラ・ファイエット級フリゲート艦(台湾海軍の名称では康定級フリゲート艦)にからむ収賄疑惑で、当時彼の最大のライバルで、与党・国民運動連合(UMP)内部で2007年の大統領選挙における有力候補と目されていたサルコジ財務・経済大臣(当時)が関わっているかのように装い、サルコジ氏を失脚させようとした疑いがかけられていました。
■この事件は、台湾へのフリゲート艦売却に関して、一部の政治家が受注した企業から仲介手数料を受け取り、それをルクセンブルクに本店を置くクリアストリーム銀行の隠し口座に預けていたのではないかという疑惑をめぐり、2004年7月に、クリアストリーム銀行に隠し口座を持つとされるフランスの政治家のリストを含んだ匿名の告発状が、捜査を担当していた予審判事に提出されたことがそもそもの発端でした。そのリストにはサルコジのみならず、野党・社会党の大物政治家であるドミニク・ストロス=カーンなど与野党の有力政治家の名前があったのですが、捜査の結果隠し口座は発見されず、このリストは偽物だという結論が出されました。
■ところが2006年に、当時シラク大統領の下で首相を務めていたドヴィルパンが、04年に告発状が提出された際に、諜報機関・対外治安総局(DGSE)の局長であったフィリップ・ロンド将軍を呼び、リストに関する調査、特にサルコジ氏に関する調査を密かに行わせていたことがロンド将軍の証言から明らかとなったのです。さらにロンド将軍は、サルコジにあまり良い感情を持っていないとされたシラク大統領も同様の調査を依頼していたと証言したことから、ドヴィルパンとシラクというフランスのツートップが揃ってサルコジの失脚を企んでいたのではないか、という疑惑が持ち上がりました。このロンド将軍の証言に加え、告発状を提出した人物がエアバスなどを傘下に持つ航空・宇宙関係の大手企業、欧州航空防衛宇宙会社(EADS)のジャン=ルイ・ジェルゴラン副社長であると明らかになったことも、ドヴィルパンを窮地に追い込みました。なぜならジェルゴラン副社長はドヴィルパンと親しい関係にあり、さらに告発状と共に提出されたリストは、ジョルゴランが偽造した物であったことが判明したのです。このためドヴィルパンは、偽造リストの情報を得ると諜報機関に依頼してサルコジを捜査し、さらにはそのリストを公開することでサルコジの失脚を図ったと疑われてしまったのです。
■しかし、今回こうして無罪判決が出されたことにより、一応はドヴィルパンの無罪が明らかになったわけです。検察が翌日に控訴したため、まだまだ予断を許さない状況ではありますが、この無罪判決は2012年の大統領選挙で再選を目指すサルコジ大統領にとって、大きな脅威となりそうです。現にドヴィルパン氏は、新政党「共和国連帯」を立ち上げるなど既に大統領選挙を視野に活動を始めていて、5月に行われた一部の世論調査ではサルコジ大統領の支持率が38%だったのに対してドヴィルパン氏の支持率は57%と、不人気が噂されるサルコジ大統領の支持率を大きく上回りました。サルコジ大統領も脅威を感じているのでしょうか。11月に実施されたフィヨン内閣の改造では、野党・社会党からの入閣で注目を集めたベルナール・クシュネル外相や、中道派のジャン=ルイ・ボルロー氏が外され、シラク大統領派の大物であるアラン・ジュペ元首相が国防大臣に就任するなど、サルコジ大統領がかつてドヴィルパン氏と考えを同じくしていたシラク派(シラキアン)の懐柔・取りまとめに懸命な様子がうかがえます。
■しかし、支持率があまり芳しくなく、2012年の大統領選挙での再選は難しいとも言われるサルコジ大統領にとってドヴィルパン氏は意外な強敵となるかもしれません。2007年の大統領選挙では、第1回投票で与党のUMPでも、最大野党の社会党でもない中道派の第三政党・フランス民主連合(UDF)のフランソワ・バイル党首が、UMPにも社会党にも飽き足らない層の得票をつかみ、意外な健闘を見せたのは記憶に新しいところですが、ドヴィルパン氏も「第二のバイル」的な存在になるかもしれません。来年以降も、ドヴィルパン氏の動向から目が離せません。
Ⅱ.劉暁波氏がノーベル平和賞受賞、フランスはしたたかな外交を見せる
■10月8日、今年度のノーベル平和賞の選考を行っていたノルウェーのノーベル賞委員会は、中国の民主主義運動活動家である劉暁波氏に対して平和賞を授与することを発表しました。
■劉氏は現在、「国家政権転覆扇動罪」という罪で有罪判決を受けて投獄されており、現在の中国共産党政府からすれば「民主主義を主張することによって、共産党政権を転覆させようとした犯罪者」というわけです。そのため中国政府は、劉氏が候補となった時点からノルウェー政府に対して圧力をかけていたのですが、委員会がそれを事実上無視して授賞を決めると猛反発、ノルウェー政府に対して猛烈に抗議・批判したほか、あらゆる方面で事実上の報復と思われる措置をとっています。変わったところでは、10月30日に中国の海南島で開催されたミス・ワールドのコンテストで、中国側から選考委員に対して「ミス・ノルウェーは低い点に抑えるように」という露骨な圧力がかけられたという話もあります。
■また、中国政府は授賞式に劉氏本人はもちろんのこと、公安当局に命じて妻である劉霞氏が住む自宅の周りに厳しい規制線を張ったり、電話回線を遮断するなど劉霞氏が外部と接触できないような状況に置いたほか、日本やフランスを含む各国に外交ルートを通じて授賞式に出席しないよう求めました。この欠席要求に対しては、ヴェトナムやロシアなど17カ国が応じました。わが日本政府はというと迷いに迷ったあげく、ノルウェー側が出欠を知らせなければならない期限に指定していた11月15日が来ても結論が出ず、その2日後の17日に、ようやく城田安紀夫・駐ノルウェー大使が政府代表として出席することで決着させました。日本からはこの他に、中国の民主化運動を独自に支援し、劉霞氏や支援者による人選で劉氏の「友人」として招待された民主党の牧野聖修衆議院議員が出席しましたが、菅総理大臣など首脳・閣僚クラスは1人も出席しませんでした。その一方で、フランスはこの欠席要求を一蹴する形で11月9日にサルコジ大統領本人が出席することを発表、予定は変更されることなく大統領が出席しました。フランスは、特にサルコジ政権になってから中国とビジネス・商業分野で関係を深めていて、特にこの時は、大統領の出席が発表された前週に胡錦濤国家主席が訪仏し、エアバス機102機の売却を筆頭とする総額約200億ドル(約1兆6000億 円)の契約を結んだばかりだったこともあって出欠が注目されていました。
■迷いに迷ったあげく総理大臣などの首脳クラスが出席せず、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件などとあわせて「中国に対して遠慮している」、「中国の顔色をうかがっている」と批判される今の日本政府。その一方で、巨額のビジネスを成立させた直後、普通ならビジネスへの悪影響を恐れても不思議ではない状況でも平然と大統領の出席を決めたフランス政府。今の日仏両国の外交スキルの差、特にフランスのしたたかさが明らかになった瞬間だったように思われます。 Ⅲ.イギリスのウィリアム王子結婚へ!
■11月16日、イギリスのチャールズ皇太子(王太子)の長男であるウィリアム王子が、かねてより交際が噂されていたケイト・ミドルトンさんと2011年に結婚する予定であることがクラレンス・ハウス(ウェールズ大公チャールズの公邸)から発表された。
■ウィリアム王子自身はフランスとはあまり縁がないのですが、彼の母でチャールズ皇太子の前妻であるダイアナ妃はフランスと浅からぬ縁があることはよく知られています。チャールズ皇太子と離婚してからほぼ1年後の1997年8月31日、ダイアナ妃はパリで、当時の恋人で当時イギリスの老舗百貨店・ハロッズのオーナーだったモハメド・アルファイド氏(エジプト系イギリス人)の息子であるドディ・アルファイド氏と共に交通事故に遭い、36歳の若さで帰らぬ人となりました。アルファイド氏と共に乗車していたハイヤーがパパラッチに追跡され、その追跡を振り切ろうとした際の事故だったと言われています。当時、イギリス国内のみならず世界中で人気のあった「永遠のプリンセス」の急死は、世界中に大きな衝撃を与えると共に、この事故をきっかけに有名人を執拗に追いかけるパパラッチに対して強い批判が集まったことや、バッキンガム宮殿に半旗が掲げられないことから「王室はダイアナの死を悼んでない。」との非難が上がり、当時の世論調査で王室廃止賛成派が反対・存続派を上回ったことは有名な話です。
■あれから12年余り、ウィリアム王子は弟のヘンリー王子と共に成長し、今ではチャールズ皇太子を上回る人気があります。チャールズ皇太子のカミラ現夫人との結婚も大きな要因とされていますが、何と言っても彼の顔、最近でこそ髪の毛が若干後退してきていますが、彼の顔に残るダイアナ妃の面影も、彼の人気の1つの要因でしょう。さらに、この結婚報道を機にウィリアム王子(さらにはケイトさんも含めて)に対する人望は高まっているようで、イギリスの新聞「サンデー・タイムズ」が行った世論調査の結果によると、調査に答えた人の56%が「次期国王はチャールズ皇太子ではなく、ウィリアム王子がふさわしい。」と考えているとのことだそうです。ダイアナ妃の死で批判を浴び、何とかカミラ夫人と再婚にこぎ着けたものの、国民からあまり良く思われていないチャールズ皇太子や、本来であればチャールズ皇太子(ウェールズ公)の夫人であるので「ウェールズ公夫人(プリンセス・オブ・ウェールズ)」という称号を名乗れるはずのところを、国民感情に配慮して別の称号「コーンウォール公爵夫人」を名乗らざるをえなかったカミラ夫人とは対照的な印象です。
■ウィリアム王子&ケイトさんカップルの動向には、今後とも目が離せません。それにしても、どうもチャールズ皇太子夫妻は再婚後不運なのでしょうか?先日(12月9日)には観劇に向かっていたチャールズ皇太子&カミラ夫妻が乗る専用車が、大学の学費値上げに反対するデモ隊の一部と遭遇し、暴徒化したデモ参加者によって襲われたそうです。幸い夫妻にケガは無かったものの、2人の結婚式の際にも使用された専用車は窓ガラスを割られたりペンキをかけられたりで散々な有様だったそうです…お気の毒としか言いようがありません。 (Jardin)
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