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Coin Du Rue 「シャルル・トレネの6つの歌の編曲」より

text by / category : 音楽

フランスを代表するメロディメイカー、シャルル・トレネの歌たちがシャンソンの肩書きをはずしてフランスを飛び立ち、世界中で素敵なメロディとしてさりげなく楽しまれていることは以前触れた。クラシックの世界でも受け入れられているのはご存知だろうか。 トレネの代表的な作品6つが、ピアニストのためのコンサート・ピースに編曲されている。1950年代に録音され、洒落たジャケットの45回転のドーナツ盤としてフランスで発売された。タイトルは『Mr. Nobody plays Trenet』。編曲、演奏者のクレジットなし。異例の扱いである。

知る人ぞ知る名盤のこのピアノ曲集の演奏者、Mr. Nobodyの正体が判明したのは随分と時が経ってからだ。超絶技巧で知られた世界的なクラシックのピアニスト、アレクシス・ワイセンベルクが編曲し、演奏していたのだった。当時のことを考えれば、匿名の選択は当然のことかもしれない。今やクラシックのアーティストにとっては遊び心と洗練の証となった他ジャンルとのクロスオーバーだが 、1950年代にはクラシックの世界のピアニストがその手の作品を発表すること自体全くありえないことだった。しかも現役の流行歌を大真面目にクラシックの作品に編曲し、ショパンの小品に対するのと同じ繊細さと真摯さで演奏してしまっているのだから、名前を出していればクラシックの世界から放逐されていたのではないか。

1929年にブルガリアに生まれたワイセンベルクは、山あり谷ありの音楽人生を送った人としても知られている。コンサート・ピアニストとして10歳でデビュー、1941年にはドイツの同盟国となった母国を脱出しパレスチナへ移住、ニューヨークのジュリアード音楽院で研鑽を積み20歳そこそこでカーネギー・ホールでニューヨーク・フィルと共演、時の人となる。素晴らしいテクニックに裏打ちされた彼の徹底的な演奏は人を圧倒すると同時に「外科医のように冷徹」「叙情性に欠ける」などという批判の声も巻き起こした。聴衆や評論家達の勝手な物言いにうんざりしたのか、ワイセンベルクはコンサート活動から遠ざかるようになり、1956年にフランスへ移住。10年近くに及ぶ「隠遁生活」に入る。人前ではピアノは弾かない。ピアノに向かうのは自分の腕を更に磨くためか、人に教えるときだけ。その後たまたま彼のピアノを聞いたカラヤンに気に入られベルリン・フィルとのレコーディングを重ねるなど、世界中にファンを持つ名ピアニストとして復活を遂げる。

ニューヨークを離れ、パリの住人となった若きワイセンベルクにこの仕事をさせたものはなんだったのだろう。同い年の普通の若者よりもずっと多くを経験し猛スピードで生きてきた20代半ばのワイセンベルクが出会ったトレネのメロディは、「手負い」の彼を優しく包むとともにアーティスティックな感性を刺激したのかもしれない。

また、ピアノの前では徹底した完璧主義者だったようだけれど、楽譜を離れ無心に音楽を楽しむ柔らかなところも併せ持つ人だったのではないだろうか。

譜面通りに再現されなくても、メロディを爪弾くだけでも人の心を捉える力が音楽にはあることを、12歳のワイセンベルクは身をもって体験している。トルコへの逃避行中身分証が偽造であることがばれ、彼と母は国境近くの収容所に数ヶ月閉じ込められた。ポーランドの強制収容所へ移送される可能性もある緊迫した状況で、ワイセンベルクはかろうじて持ち出した子供用のアコーディオンを弾くことに楽しみを見出していた。楽器が楽器だから大したことはできない。名曲の主旋律に少しプラスアルファを加えるだけだったろう。しかしその音楽は彼と母が収容された区域を統括するドイツ軍の将校を魅了した。ふらりと立ち寄り、シューベルトのメロディに無言で耳を傾け無反応のままさっと立ち去ることをしばらく繰り返した後、将校はどさくさに紛れて親子を連れ出しイスタンブール行きの列車にこっそりと乗せてくれた。最後にあのアコーディオンを窓から放り込んで、「幸運を」という言葉とともに。

Coin du Rue は、子供の頃や血気さかんな頃を過ごしたパリの街角への思慕を繊細かつ軽やかに綴った、歌詞も立派な名曲。だからこそシャンソンらしさが強調されたり、過剰な感傷といった雑多な色がついてしまったりする。編曲者としてワイセンベルクは塗り重ねられたものを洗い落とし、トレネならではのメロディだけを浮かび上がらせた。 そして歌詞の余韻を漂わせつつもドラマティックに展開するピアノ曲に作り変えた。鼻歌でも様になる小粋な流行歌は、より深いところに訴えかけてくる別の美しい音楽になった。

新しい街で匿名の存在となり、創造の翼のはばたくがままにピアノを通じて気に入りのトレネのメロディと飽きることなく対話するワイセンベルクの姿が見えるようである。後年採譜されるまで譜面は存在しなかったという。録音という形で世に出したものの、彼にとっては等身大の自分をそのまま写しとったパーソナルな音楽であったのかもしれない。

聞いて見たい方はこちらで。

Mr. Nobody(ワイセンベルク)ではなく、レイフ・オヴェ・アンスネスが更に解釈した演奏を選んでみた。(年末に訪れたパリ(シャンソンもフレンチ・ポップスも一切聞かれなかった)の印象に最も近い音、という個人的な理由もあるのだが。)

トレネ本人の歌はこちらで。



posted date: 2019/Feb/01 / category: 音楽

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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