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Up, Up, Up and Away —ローレン・スコットの辿った道

—ミック・ジャガーの恋人のファッション・デザイナーが自殺— このセンセーショナルなヘッドラインが世界を駆け巡ってはや数ヶ月。未来に書かれるローリング・ストーンズの、ミック・ジャガーの評伝で少なからぬ頁を割かれるだろうこの悲劇に、世界中のあらゆるマスコミが飛びつき書き立てました。そんな記事のあれこれを追いかけていて心惹かれたのが、命を絶ったその人—長い黒髪をなびかせ、頭一つ以上身長差のあるパートナーの隣で微笑むローレン・スコットの来し方でした。

parismatchjune2014-2アメリカ、ユタ州のちいさな町で、敬虔なモルモン教徒の両親のもと養女として育った高校生、ルーアン・バンブローには悩みがありました。小学校の最上級生になった頃には身長が6フィート(約180センチ)を超えていたのです。着る服が、ない。同級生達が買う店はもちろん普通の店にはまず置いてないし、使えるおカネも限られている。着たいと思うデザインの服はどこにもない—どうすればいい?そこで彼女はスリフト・ショップで古着を買い、好みのデザインにリメイクすることを思いつきます。ファッション雑誌をお手本に、見よう見まねで。自分で動くしか道はなかったのです。ママがいつも言っているように—「人生で欲しいものにであったら、じっとしていないで手に入れるために一生懸命働くことね。この町では欲しいものが自分でやってきて家のドアをノックするなんてことはないのだから」。着たいものを着る、それは道楽でも気晴らしでもない、切実な挑戦だったのです。

チャンスはふいに訪れます。写真家ブルース・ウェーバーに声をかけられたのです。カルヴァン・クラインのストッキングの広告用写真の撮影現場で見かけた彼女の事を、ウェーバーはこう回想しています。「あの場にいたモデルの中でも飛び抜けて背が高かった。しかし彼女は自分の背の高さが人目をひかないように、大きく見えないように振る舞っていたんだ。美しく、愛らしく、ナイーブで、赤ん坊のキリンみたいだった。」ルーアンに、写真家はアドバイスします―ニューヨークではなく、パリに行ってごらん。ベビーシッターで貯めたお金でパリへの片道チケットを買い、ルーアンは家を出ます。新しい世界で生きて行くために、名前を「ローレン(L’wren)・スコット」に変えて。

パリはローレンを機嫌よく迎え入れます。当時の旬のデザイナー、ティエリー・ミュグレーや、シャネルからはランウェイへお呼びがかかりました。その長い、美しい脚はヨーロッパでも注目され、大手ストッキング・メーカーの広告に起用され一躍有名になります。しかしモデルとしてのキャリアを極める気にはなれなかったようです。ショーのバックステージでも親しく話をするのは、服作りに直接携わる裏方の人々。モデルとは違うファッションとの関わり方を模索していたのです。

90年代初頭、アメリカに戻り西海岸に居を構えたローレンが短い結婚生活の後に始めたのは、スタイリストの仕事でした。ヨーロッパのハイ・ファッションの現場で培った経験・知識に加えて、写真家の描くイメージの実現に貢献するだけでなく被写体そのものをより美しく見せる彼女のスタイリングは、熱心な仕事ぶりも手伝ってより大きなチャンスを引き寄せます。大物写真家ハーブ・リッツと組んでヴァニティ・フェア等の有名雑誌のためにハリウッド・スターのグラビアの撮影を手がけるようになると、ハリウッド人脈とも親しくなり、映画絡みの仕事が増えてゆきました。ニコール・キッドマン、サラ・ジェシカ・パーカーといったプライベートの着こなしも注目される女優達のレッドカーペットでのドレス選びから、アカデミー賞受賞式でステージに立つパフォーマー全員のスタイリング、そして映画のワードローブの仕事もこなしています。スタンリー・キューブリックの映画『アイズ・ワイド・シャット』でのキッドマンの衣装は彼女の手によるもの。華やかで充実した日々を送るローレンは、ミック・ジャガーのハートも射止めてしまうのです。

しかし、ローレンの挑戦は止みません。次に目指したのは、彼女独自の美意識、理想を体現した服を自らデザインし世に問うことでした。女性をより魅力的に見せるスタイリングの技なら知り尽くしている。他人のクリエイションを組み合わせるのではなく、納得いく素晴らしい素材を使い効果的で完璧な一着をどうしてその手で作らないの?新たにスタートを切る場所としてローレンが選んだのはパリでした。小さなアパートを借り、ベッドルームをアトリエ代わりして縫い上げた十数着を、信頼できるファッション・エディター、バイヤーの前で発表したのです。キャビアとブリニのもてなしとともに披露された小さなコレクションはきれいに買い上げられ、ローレンはデザイナーとしての第一歩を踏み出します。

2006年に数名のスタッフと立ち上げた小さなブランドは、年を追うごとに注目を集めてゆきます。ローレンのデザインは往年のハリウッド映画に登場する女性達を想起させるクラシカルな印象のシルエットが特徴ですが、着ればどんな体型の女性も確実に女っぷりをあげると評判になりました。体にしっくり沿うだけでなく、ヒップはすっきりきゅっとなり、胸もとはより美しく豊かに。試着した誰もが鏡を見て目の色を変えたと言われています。女優エレン・バーキンはローレンのデザインしたドレスを色違いで12着(!)購入したそうです。ハリウッドのスターにはローレンのデザインの信奉者が多く、フラッシュを浴びるここぞという場所で彼女のデザインしたドレスを競うように着て、どんなに効果的な一着であるかを世界中に宣伝しました。(ちなみに、オバマ大統領夫人もローレンの服のファンの一人。自前のドレスで雑誌の撮影に臨んでいます。)

また、一点1000ドルは下らない商品をバーニーズを初めとするハイ・ファッションのブティックに納めるだけでなく、2013年には親しみやすいアパレル・ブランド、バナナ・リパブリックと組んでカプセル・コレクションを発表。ビジネスの裾野を広げるなど8年目を迎えた彼女のブランドはさらに飛躍する、と周囲の誰もが思っていました。

しかし、ビジネスとしては厳しい状況に置かれていたのです。ローレンの旧友のファッション・クリティックが追悼文でいみじくも言っていたように、ファッション・ビジネスはデザイン画を描いているだけではなりたたないのです。期限までに安定したクオリティーの製品を仕上げ、生産地のイタリアからスケジュール通りに出荷しクライアントのもとへ約束の日までに届ける―こういった地道な行程をスタッフをまとめきちんとこなしてゆく「マネージメント能力」も必要なのです。ブランドを健康な状態で回してゆくことは、なまなかなことではないのです―ローレンがたとえどんなに優秀で奮闘したとしても。2014年2月には、ロンドン・ファッション・ウィーク中に予定していたコレクションの発表を土壇場でキャンセルしてしまうところまで来てしまいます。世間はひそひそと噂し、疲弊した彼女は追い込まれてゆきます。ミックがプレゼントしてくれたマンハッタンの超高級アパートで死を選んだのは、この苦渋の決断からほどなくのことでした。

ブランドが漬かっている多額の借金が自殺の理由だという人もいます。彼女の事業にミックも少なからぬ額を投資し支えてきており、このせいで二人の仲にすきま風が吹いていたという噂もあります。しかし、ビジネス上の彼女の立場では借財を引き受ける必要はなく、財産を処分し借金を返済しても、お金に困ることはなかったといわれています(結局、彼女はパートナーに8万ドルもの財産を残しました)。独立ブランドである現在のビジネスをいったんクローズしても、デザインの仕事は続けられたはずです。パリ、ニューヨーク、ロンドンにある素敵な家を行き来し、ワールドツアーに出るミックのために衣装を選び、親しいクライアントのために仕事をする。そんなセレブリティの人生を生きることはできたのです。

しかし、ローレンにはできなかった。片田舎で悪目立ちしていたノッポ過ぎる女の子としての人生を捨て、ひたすら上へ、成功を収めてもまだなおさらなる高みへと挑戦してきたのが彼女のこれまでの生き方でした。ビジネスが行き詰まり、遥か彼方にあったはずの「地上」が刻々と近づいているのをだまって見ているしかない、そんな状況は喩えようもない苦しみだったのではないでしょうか。

ローレン・スコットを偲ぶ幾つもの文章から立ち上がってくる彼女のイメージは、つらい結末とはかけ離れています。完璧主義者、努力家、的確なアドバイスでクライアントを美しく見せるだけでなく気持ちまで高揚させてくれるカリスマ・スタイリスト、ユーモアがあって、友人を大切にし、細やかな心遣いを常に忘れず、戦い続ける情熱と奥ゆかしさが同居するひと。その一方で言われているのは彼女がとても「プライベート」な人であったということです。噂話には加わらないし、自分を曝け出すようなことはなかったと。もし、苦しい気持ちを誰かに打ち明ける事が出来ていたら、事は違っていたかもしれません。

楽しい空の旅にも必ず終わりが訪れます。地上に降りて一歩を踏みしめた時には、飛び立った時と違うものが見えていたかもしれない。落ち着いた声で活き活きと話する在りし日のローレンを見ると、彼女がスカーフを手に取る前になんとかならなかったのかと思うのです。

http://www.youtu.be/GanmT5itFY

US版『ヴォーグ』誌の追悼動画。ウェディング・ドレスを手がけるローレン。

http://www.youtu.be/FfpZKhRbMsA

ローレン・スコットのファッション・ショーはいつも「ご飯」つき。 親しい人々が集うインティメイトな場でもありました。



posted date: 2014/May/19 / category: ファッション・モード

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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