今年はマルグリット・デュラス生誕100年ということだが、先日届いた Magazine littéraire 誌で、ロマン・ガリの生誕100年でもあることを知った。これに合わせて、ロジェ・グルニエとの未刊の対談集や幻の処女作がまもなく出版されるとのことだ。
ロマン・ガリ(Romain Gary)という作家は、日本では残念ながらほとんど紹介されてこなかった(1980年前後に、後述のアジャール名義の小説が数冊翻訳されたが、とっくに絶版になっている)が、没後34年経った現在でも、フランス人によく読まれている。とりわけ『夜明けの約束 La promesse de l’aube 』(1960)は、母子家庭に育った自分の半生を、強烈な母親の肖像とともに、ユーモラスに、ときに苦く語り、一大ベストセラーとなった。映画や舞台にもなり、14カ国語に訳されたそうだが、日本語版はない(じつはこれを訳して世に出したいというのが、僕の積年の野望である)。「たとえ母親でも、誰か一人だけをあれほどまでに愛するということは許されないのではないか」と言うほどの激しい愛情は、決して無償の愛ではなかった。その強烈な個性は、母親を追慕しがちな優しい日本の小説には見当たらないものである。
さて、ロマン・ガリというと、枕詞のように付いて回るのが、ドゴール主義者、ゴンクール賞、ジーン・セバーグである。空軍パイロットだったガリは、ドゴールの呼びかけに応じてナチスと戦い、勲章を受けた。その功績から外交官のキャリアを得て、最後はロサンジェルス総領事にまでなった。また、『空の根っこLes racines du ciel』(1956)でゴンクール賞を受賞し、さらにエミール・アジャール(Emile Ajar)名義で書いた『これからの人生 La vie devant soi 』(1975)で二度目のゴンクール賞を受賞した。これは一人一回という賞の原則が裏切られた事件として、文学史上有名である。1963年から1970年にかけては、ジーン・セバーグと結婚していた。ちなみに最初の妻レスリー・ブランチ(小説家)もイギリス人だった。ロシア人の母とともにポーランドで幼少期を過ごしたロマン・ガリは、14歳のときにフランスに移住した。その結果、ロシア語・ポーランド語・フランス語・英語に堪能だった(英語では6冊の小説を執筆している)。1980年にピストル自殺。遺書には「ジーン・セバーグとは何の関係もない」、「いっぱい楽しんだ。さようなら、ありがとう」と記されていた。
こうした派手な経歴と、誇張を含んだ虚言の数々で、生前は批評家たちの反感を買った。だが、いまロマン・ガリを読む人は、たぶんこうしたスキャンダルは忘れて、単純に興味深い小説家として接することができるだろう。ロマン・ガリの主題は、一言で言うと、絶対的な価値を追求する者への同情と疑義である。理想がなければ人は生きていけないが、絶対化された理想は、他人に対しては暴力的になり、自分に対しては絶望を植えつける。デビュー作『ヨーロッパの教育 Education européenne 』(1945)では、ポーランドで反ナチスのレジスタンス運動に従事する若者たちを主人公にして、その献身的な態度の美しさと、その先にある凄惨な殺戮の実態とを対比させた。『空の根っこ』では、フランス領チャドを舞台に、象の保護のためにテロ行為に手を染める一人のフランス人を狂言回しに、理想に生きることの意味を問うた。『星を食らう人々 Les mangeurs d’étoiles 』(1966)では、大道芸に熱狂する南米の独裁者を描き、不可能性が麻薬のように人を魅了する恐ろしさを喚起した。
だが、ガリはニヒリストではない。ガリにとって、裏切り者は偽善者よりも愛すべき人間の象徴だった。偽善者は保身のために偽るが、裏切り者は欲望に忠実だ。だから、人の姿としては、嘘がない。だが、そんな人間でさえも、何らかの理想が必要だということを、ガリは悲しみをたたえた眼で見つめていた。ツヴェタン・トドロフは、「批判的ヒューマニズム」の作家としてガリを高く評価した(『悪の記憶・善の誘惑』)。
ガリの文体については、早書きのせいで、文章が乱れている、という批判が多い。しかし、小説の随所に印象的な言葉を残している。いくつか紹介してみよう。 「愛国心とは身内を愛することだ。ナショナリズムとは他者を憎むことだ。」 「ズボンを脱いだときに人を判断することはできない。本当にひどいことは服を着てやるものだ。」 「私は滅多に嘘をつかない、嘘は無能の甘えの味がするからだ。」
最後に余談をひとつ。僕にロマン・ガリという作家を薦めてくれたのは、パトリス・ルロワだった。ある語学学校で彼のクラスの生徒だった僕は、たまたま帰りの電車が一緒になったときに、彼の好きな作家を訊ねた。パトリスは即座にガリの名前を挙げた。それ以来、彼がテレビやラジオでどんなに馬鹿げたコントをやっていても、僕はそこに、悲しみをユーモアで超えようとするロマン・ガリ的なポーズを見出してしまう。たぶん、勝手な思い込みにちがいない。
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1975 年大阪生まれ。トゥールーズとパリへの留学を経て、現在は金沢在住。 ライター名が示すように、エヴァリー・ブラザーズをはじめとする60年代アメリカンポップスが、音楽体験の原点となっています。そして、やはりライター名が示すように、スヌーピーとウッドストックが好きで、現在刊行中の『ピーナッツ全集』を読み進めるのを楽しみにしています。文学・映画・美術・音楽全般に興味あり。左投げ左打ち。ポジションはレフト。