訪問記 pt.1 で、ブエノスアイレスで日本語を聞くことはほとんどなかった、と書いたが、日本の姿が皆無だったかというと、そうでもない。外国に行くといつも痛感することだが、日本という国を聞いたことがないという人に会うのは珍しい。
地理的に日本の位置を正確に知っているかどうかは別として、トヨタや東芝といった日本の会社は、文字通り世界中で認知されている。
いや、自動車や電化製品だけではない。同行してくれた現地の友人は、キオスクで売っていたトトロのキーホルダーを購入した。ジブリアニメはアルゼンチンでも大人気とのこと。また、アルゼンチン最大の日刊紙 La Nacíon をカフェでぱらぱらと捲っていたら、近藤麻理恵さんの「人生がときめく片づけの魔法」が紹介されていた(Top写真)。El methodo Konmari と呼ぶらしい。「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた実力を目の当たりにする。
新聞といえば、1948年創刊の『らぷらた報知』という邦字新聞がある。これを読めば、各県人会の活動や、日本とアルゼンチンの交流の現場を知ることができる。もっとも、当初は日本語記事が大半だった同紙も、しだいにスペイン語中心にシフトしてきているらしい。日本語を読める人も書ける人も、減少する一方だ。
http://www.laplatahochi.com.ar
アルゼンチンへ移住した日本人は、ブラジルに比べると少ない。ブエノスアイレスではクリーニング業に日系人が目立つ、とかつて友人に聞いたことがある。そもそもアルゼンチンと日本の国交は、戦後の経済発展期よりもずっと以前の1898年に遡り、今年は国交樹立120周年の節目の年である。日露戦争の際には、アルゼンチン軍が日本に軍艦を売って、戦力支援をしている。そこに旧植民地の反ヨーロッパ的感情が混じっていたかどうか。現在はプエルト・マデロ地区の旧ドックに係留されているフレゲート艦サルミエント号は、1914年に日本に来航している。館内には東郷平八郎の署名や贈答品の兜が飾られている。第二次大戦末期になって、アルゼンチンは連合国側について日本に宣戦布告したが、アルゼンチン軍が日本を直接攻撃する機会はなかった。
少し変わったところでは、世界各国の食材を取り扱うグロッサリーで、S&Bの七味とうがらしやミツカン味ぽんを見かけた。まさか、アサード(牛肉の炭火焼)にポン酢をかけたりはしないだろうが、アルゼンチン人がどんな料理に使うのか、気になるところである。
もっと謎めいた商品も見かけた。その名も「ソーラー舞子人形」。太陽電池の動力で首を振る舞子さんの人形が、招き猫の隣で売られていた。こんなもの、日本でも売っているのだろうか。と思ってネットで検索してみたら、「外国へのおみやげに最適」などと紹介されていた。むむ、そうなのか。外国で知られている日本とは何なのか、まだまだ理解できていないな、とブエノスアイレスの地で思い知らされたのでした。
1975 年大阪生まれ。トゥールーズとパリへの留学を経て、現在は金沢在住。 ライター名が示すように、エヴァリー・ブラザーズをはじめとする60年代アメリカンポップスが、音楽体験の原点となっています。そして、やはりライター名が示すように、スヌーピーとウッドストックが好きで、現在刊行中の『ピーナッツ全集』を読み進めるのを楽しみにしています。文学・映画・美術・音楽全般に興味あり。左投げ左打ち。ポジションはレフト。