第3弾は2025年のベスト本です。日仏織り交ぜて選んでいます。冬休みの読書の参考になれば幸いです。
1. ジャック・ランシエール『映画の隔たり』(青土社)
フランスを代表する哲学者ランシエールの書籍(原著は2011年刊行)。これまでどちらかと言えば政治哲学・美学関係の本は多数翻訳されて来たランシエールだが、彼自身の主要な関心領域である映画に特化した書籍は紹介されることは少なかった。そんな中、満を持して翻訳刊行されたのが本書である。訳者は長くランシエール研究を続けて来られた堀潤之氏(関西大学教授)。映画を論じる現代フランスの哲学者としてはドゥルーズと並んで最も重要な人物と言えるランシエールだが、その仕事の一端をようやく日本語で読むことが可能となったことを素直に喜びたい。
2.アントワーヌ・ド・ベック、ノエル・エルプ『エリック・ロメール――ある映画作家の生涯』(水声社)
映画史家アントワーヌ・ド・ベック(パリ高等師範学校教授)と言えば、ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちの評伝を次々に刊行していることで知られるが、本書はトリュフォー、ゴダールに続いて刊行されたロメールの評伝(原著は2014年刊行)。原著自体が600頁以上の浩瀚な書籍だが、訳書は註や解説も含めれば750頁に達する大著となっている。謎に包まれていたロメールの生活の実態が次々に明らかになると同時に、ロメール作品への見事な紹介も兼ねており、実に興味尽きない一冊である。
3.『思想12月号――特集ミシェル・ド・セルトー』(岩波書店)
思想家・歴史家ミシェル・ド・セルトーの生誕100年を記念し、若きセルトー研究者福井有人氏(東京大学博士後期課程)による呼びかけの元、錚々たる研究者が執筆陣に名を連なる見事な論集が雑誌『思想』の特集号として実現した。セルトーのキリスト教神秘主義的側面については福井氏による論考を除けば日本ではこれまでほとんど紹介されて来なかったが、本書がそれを補う貴重な役割を果たすことになることは間違いない。近年の『思想』の特集号としては画期的な企画と言えるだろう。
4.ジル・ドゥルーズ『ジル・ドゥルーズ講義録――絵画について』(河出書房新社)
いまから45年前、パリ第8大学には異様な熱気が漂っていた。哲学者ジル・ドゥルーズの講義には世界各国から学生が聴講に訪れ、教室は満席の立ち見状態。ドゥルーズは煙草をくわえたまま、ただ黙々と聴衆に語り続ける…。そんな伝説的な講義の全貌が、いま、ようやく明らかになり始めている。本書は1981年3月から6月まで8回に亘って繰り広げられたドゥルーズの連続講義の記録である。セザンヌからベーコンへ、ミケランジェロからターナーへと美術史を自由自在に往復しつつ、ドゥルーズは「絵画芸術」の概念を換骨奪胎しながら己自身の思想を開陳して行く。ドゥルーズに関心がある読者は絶対に手元に置いておきたい一冊である。
5.ゾラ、モーパッサン、ユイスマンス他『メダンの夕べ――戦争と女たち』(幻戯書房)
はて、『メダンの夕べ』とは何だったか?と思う人が大部分であろうし、私自身も大昔にフランス文学史を学んだ際にその名前に触れただけで、この本を手にするまですっかり忘れていた。中身を開いて、モーパッサンの名作「脂肪の塊」がこの短編集の一部であることをようやく思い出した次第。自然主義を標榜する6人の若い作家たちによる短編集『メダンの夕べ』の読みどころは、訳者解説によれば、「普仏戦争の記録と記憶」であると同時に、「戦争そのものに対する風刺・批判」、そして「戦争と女たちの関係」を描いた点にあるとのこと。何はともあれ、翻訳を担当した二人の「アダチ」、足立和彦氏・安達孝信氏には敬意を表したい。



1. 田中祐理子『アラン—戦争と幸福の哲学』ちくま新書
エミール=オーギュスト・シャルティエことアランは、日本でもっとも知られた哲学者の一人だろう。その『幸福論』の翻訳は、古くは宗左近や白井健三郎のものから最近では村井章子まで、『星の(小さな)王子様』に比べられるほどの多くの翻訳が出版されている。その思想は、具体的な身体、情念に根ざしたおとなの人生論として受容されているのではないだろうか。本書を読むまで、迂闊な評者もそうなふうに理解していた。
ところが「哲学者アラン(…)は、戦争とともに生きた人でもあった。」(本書p.13)「はじめに」で詳説されているように、アランは普仏戦争を子供時代に経験し、軍部で生じた一大スキャンダルであるドレフュス事件の同時代人であり、さらに第一次世界大戦に従軍し、ナチズム下のフランスで晩年をすごした哲学者でもあった。
いくつもの戦争を避けられなかったそんな世界をアランはどう生き、どう生きるべきだと考え、教えたのか。そのことを見事に浮かび上がらせた出色の評伝。
戦争は人間によってなされるもの、純粋に人間のみによるものであり、その原因のすべては人々の意見であるということに、まずはしっかり気づくことだ。そして、そこにおいてもっとも危険な意見とは、戦争が差し迫っており、避けられないものだと信じさせるものにほかならないということに注意を向けよう。(『マルス』「判断について」)(同書p.163)
教育勅語を礼賛し、極右支持者向けのリップサーヴィスのためなら隣国との摩擦も厭わない女性首相が誕生した今年。アランの言葉をあらためて噛みしめてみたい。
2. 細見和之『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中公文庫
「待望の文庫化」という惹句があるが、評者にとってはこの一冊がまさにそれに当てはまる。原著の出版は2015年。文庫になったと耳にし、すぐに手にして晩秋には再読までした。
戦後詩や現代詩にそれほど詳しいわけではない評者のようなものでも、詩人石原吉郎の名は折にふれ目にしてきた。戦後8年もの間極寒のシベリアにソ連により抑留され、過酷な強制労働に耐えた詩人。奇跡ともいえる帰還を果たした後、15年以上の歳月を経て、その想像も絶する抑留体験を「シベリアエッセイ」として綴りはじめる。
ジェノサイドのおそろしさは、一時に大量の人間が殺戮されることにあるのではない。そのなかに、ひとりひとりの死がないということが、私には恐ろしいのだ。[……]死においてただの数であるとき、それは絶望そのものである。人は死においてもひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ。(『石原吉郎全集 第II巻、p.11』)
しかし、ドイツ文学者であり、ご自身詩人でもある細見和之氏は、この浩瀚な評伝を以下の方針において書き継がれた。「いったんは直接的なシベリア体験からは徹底して切り離して作品を理解するとともに、その作品の見えざる根源(言葉の原郷)にシベリア体験を置く」(本書p.33) その原理のもと、石原の詩作品は多様な相貌を見せ、それぞれの言葉の関係も豊かに織りなおされる。
実は戦前詩壇においては無名だった石原が、戦後文学界の無視できない存在となる大切なきっかけを与えたのは、鮎川信夫と、とくにあの谷川俊太郎の慧眼であった。1954年『文章倶楽部』という雑誌に載った、石原の「夜の招待」という作品を谷川はこう評した。
詩そのものという感じがします。こういう作品はめずらしいと思うんです。道徳とか世界観とかいうものを詩にしているような作品が多い中で、これは純粋に詩であるという感じがしますね。この詩は詩以外のなにものでもない。全く散文でパラフレーズ出来ぬ確固とした詩そのものなんです。(p.202)
この評伝を通して、石原が軍隊に召集される前の大切な時期に大阪のガス会社に勤務し、「住吉」や「姫松」にある教会に通っていたことを知った。大阪の南部で長く暮らした評者にとって耳に馴染みのある土地の名であった。2025年は石原生誕110年目に当たる。本書を通じて、アランと同じく「戦争の世紀」を生きて書いた文学者の作品が、多くの人に読まれることを願っている。
3. Olivier Rey, Défécondité, ses raisons, sa déraison, Tracts No.71, Gallimard, 2025, éd. numérique
Nullipares, et alors? Être sans enfants, sous la direction Chloé Delaume, Points, 2025, éd. numérique
つい先日今年2025年の日本の出生者数は66万人台で、またもや過去最低を更新したという報道があった。かつてはEU諸国の中で1、2位を争う出生率を誇り、少子化対策の成功例として注目されていたフランスだが、実はここ10年ほどは少子化傾向に歯止めがかからず、今年の出生率は1,62であった。ここに来てフランスで少子化の勢いに警鐘が鳴らされているのは、もちろん、大陸の東でやまないウクライナとロシアの戦火のためであろう。国民の数は直接に国防力に影響するのだから。
ルール違反を承知で、相通じるテーマを扱ったもう2冊を紹介したい。前者は、哲学と数学を専門とする男性の手になるもの。ガリマール社のTractsというブックレット・シリーズの一冊。その前半では「少子化の原因は構造的なものである」(p.38)という前提から、マルサスからマルクス、さらに科学者フォン・ノイマンまでも参照しながら、先進国に生きる人々の意識の変化を粗描して見せる。後半では、高度消費社会に生きる私たちが子どもを産み、育てることにためらうその理屈を相対化してゆく。育児という、冷静に考えれば私たちの手に余る使命にそれでも取り組んでみせるのが人類の叡智だ、などと。
2冊目は、10人の女性と1人のトランス男性が論を寄せた論稿集。女は子どもを産んで当然である、あるいは産むべきであるという声がけっして小さくない社会を生きる人々の、必ずしも声高ではない、率直な意見、証言が集められた。
なかでも、『魔女 女性たちの不屈の力』(いぶきけい訳、国書刊行会)で著名なモナ・ショレの言葉は、子どもを持たない女たちに対する社会の風当たりの強さを鮮明に描き出している。「すべての女性が子どもを持つことを心から望んでいるわけではない」という表明すら、けっして素直に理解してもらえず、現に子育てをしている親たちに対する侮蔑だとさえ捉えられてしまう、と(p.83)。そんな現状に意気消沈するが、これらの論考からは父権社会に絡み取られない女性の生き方とその可能性の広がりがたしかに垣間見られる。
ここであらためて言うまでもなく、人口維持が危ぶまれるほどの少子化という比較的新しい現象は、社会のあり方とともに、一人ひとりの生き方にも関わる複雑な問題を提示する。来年もまだまだ多くの言葉が語られ、そして耳を傾けなければならないだろう。
手前味噌な補遺
2023年暮れに「ベスト本」の一冊としてここに紹介した
Claire Marin Les Débuts Par où recommencer? autrement, un département des éditions de Flammarion, Paris, 2023.
その拙訳がこの秋、法政大学出版局より出版されました。
クレール・マラン『はじまり またどこからはじめるのか』
もし関心があれば、手に取っていただければ幸いです。



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