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第5回FBN読書会を終えて:ジャン=フィリップ・トゥーサン『浴室』(1985年、野崎歓訳1990年)

text by / category : 本・文学

2019年3月30日(土)、第5回となった FBN 読書会は、諸処の事情から Nevers さんのお宅で行うことになりました。カフェというパブリックな空間での読書会とはまた一味違う、くつろいだ雰囲気の中での読書会となりましたこと、Nevers さんに一同感謝申し上げます!

さて、おかげさまで第5回目となりました FBN 読書会、80年代から90年代にかけて大変読まれたにもかかわらず、昨今忘れられている感のあるフランス小説を中心に取り上げて来ましたが、第1クールの締めとしてジャン=フィリップ・トゥーサンの『浴室』を取り上げました。次回は第1クール番外編として、映画を取り上げる予定です。

当時の感慨にどっぷり浸かるだけの Noisette とは違い、Exquise さんは、『浴室』が出版された当時人気だった少女向け雑誌「オリーブ」について、Nevers さんは、『浴室』のモチーフであるパスカルの『パンセ』における気晴らし( divertissement )や、その小説形式(プルーストの『失われた時を求めて』の円環構造との比較)について、さらには『浴室』以降の作品(『ムッシュー』(1986)、『カメラ』(1988)、『ためらい』(1991))にも触れておられます。そして Goyaakod さんは、つげ義春の『退屈な部屋』との比較も交えた感想を書いておられます!私たちが今回の読書体験で味わった思いを共有して下さる方がいらっしゃると嬉しいです。

Noisette こと武内英公子

今回『浴室』を改めて読んで、いかに時代が変化したのかということを思い知らされ、時の流れの残酷さにショックを受けることになりました。というのも、私たちは若かったんだなあ〜と、一抹の苦さを含む感慨が去来し、みんなが呑気でお気楽な時代だった空気感を懐かしく思うと同時に、現代の若者が読んだら怒りを通り越して呆れかえるのでは、というトホホ感というか黒歴史感も感じてしまったからなのです。

『浴室』のあらすじを一言で言いますと、お金にも容姿にも恵まれ、美人でセンスも物分かりもよく(さらに稼ぎもあるらしい)彼女がいる、大学の研究者らしきインテリな若者(まるで訳者のよう!?)が、突然外界と対峙するのが憂鬱(今は皆がガチ鬱ですけどね!)になり、イタリアへ逃避行し、迎えにきた彼女に駄々をこね、現地で知り合った医師のブルジョワ夫婦とテニスをし、やっぱりこれじゃまずいなとフランスに帰国することにするも、帰りの飛行機では、フライトが怖いとお隣に座った素敵なご婦人の手を握っても拒否もされない(ビンタを食らってもおかしくない状況なのに!)。

「27にもなって…浴槽の中に閉じこもりがちの暮らしだなんて、あんまり健康とは言えないな、と話した。・・・危険を冒さなきゃだめなんだ、この抽象的な暮らしの平穏さを危険に晒して…」

さすがフランスの村上春樹(!)と言われただけのことはある・・・と、ここまで今の時代とずれてしまった感のある主人公が、(ある層に)熱狂的に支持されていたことに感動すら覚えます。

1998年発行のBRUTUS 第411号「フランス商品学。なにしろフランスかぶれなもので!」によれば、「(『浴室』以来)最新作『テレビジョン』まで5作品全部が邦訳され(・・・)全てほぼ10万部を売り上げ、フランス国内より人気が高いかも、と集英社の外国文学担当者は呟く。読者層は30歳以下が全体の80%で、6:4で女性が多」く、会社内でトゥーサンの研究会を作っていたOLさんたちもいらっしゃったそうな。

日本(のバブル)がフランスを支えていたことがよくわかるエピソードでありますが、これは現在妙齢になられた海外のアーティストたちがせっせと日本詣でをしてくださり、私たちがその恩恵に預かっていることと無縁な話ではありません。おかげさまで私も先日、なんと20年ぶりにルグリ様の、人生を重ねたが故にますます輝きの増した踊りを目の当たりにし、涙することができたのですから。パリでオペラ通いをしていた時は、ボーっと見ているだけでありましたが、人の生の深淵を覗くことになった時期に至り、Goyaakod さんを介し、期せずしてまさかこのような邂逅があるとは、これこそ人生の妙味というものです。

ともあれ、あの時代、私たちは、瑞々しく美しい映像のような描写に酔いしれ、当時たとえちゃんと読んでいなかったとしても「トゥーサン」という記号と戯れたのです。「スタジオ・ボイス」「西武シネセゾン」「オリーブ少女」といった80年代的記号とともに・・・こうしてみますと、『浴室』は、まさに第1クールのテーマを締めくくるにふさわしい作品だったのではないでしょうか。

世界がより複雑化した今、ウエルベックの『服従』のような作品こそが読まれるべきなのでしょうが、もはや文学にかつてのような力は残っているのだろうか?と、良くも悪くも幸せだったあの頃に、つかの間思いを馳せた読書会だったのでした。

Exquise

私が初めてフランスへ旅行したとき、『浴室』はちょうど映画化されたところで、書店へ行くと主人公を演ずるトム・ノヴァンブルがバスタブに横向きに座っているスチール写真とともに原作本が平積みにしてあり、インパクトのあるその写真とミニュイ社のあの美しい装丁に惹かれて買って帰国した ー それがトゥーサンとの出会いである。当時まだ学生だった自分には、その斬新な小説構造、シンプルな文章、そして奇妙だけれどどこかおかしな物語が、その後日本でも公開された映画のモノクロでストイックな映像も併せてとても魅力的に思えたものである。けれども30年以上経た今、これを読み返してみると、何がそんなに面白かったのだろうと思う。

主人公は生活するのに苦労してなさそうな高等遊民のようだし、性格は自分勝手で他人に対しては常に上から目線、愛嬌のある可愛らしい恋人にも我儘ばかりでついには傷つけさえするし、今となっては彼に共感するところがほとんどない。あのナンバリングされた段落やピタゴラスの定理の引用なども、何か意味があるようで、実はそれほど深い意味はないのかもしれない。トゥーサン自身が後日語っているように、彼は豊かな文学的なバックグラウンドを持たぬまま、この作品をアルジェリアで教師の仕事のかたわらに少しずつ書いたそうだから、もしかしたら彼は当初、「ちょっと小説を書いてみよう、と思って1作仕上げてみたら、前衛作品を扱う老舗の出版社の目に止まって出版されて、それが思いのほか注目され、映画化されるわ世界各国で翻訳されるわ、あれよあれよといううちに『新しい文学の旗手』みたくもてはやされちゃった人」だったのではないだろうか。そう思えるくらい作品は表層的で深みは感じられず、軽さ(リアルな重みのなさ)ばかりが印象に残る。

しかしながら、この作品が89年に邦訳されたとき、当時のフランス文学としては異例のヒット作となったのも確かである。終焉が近いとはいえ、まだバブル時代の楽天的な雰囲気が漂う時代に、この小説の軽さはマッチしていたのかもしれない。この作品を読むと、なんとなく当時出版されていた少女向け雑誌「オリーブ」が思い出されてくる。「オリーブ」が理想とするのはフランスの女子高生「リセエンヌ」という、おしゃれなパリの街に暮らし、ファッションや流行にも敏感な一方で、アートやサブカル情報も含めてしっかりお勉強する女の子で、そんな幻想のリセエンヌ像を追いかける日本の少女や元少女たち(自分も含めて20代以降も「オリーブ」を読み続ける女性も少なくなかったと思う)には、この「ちょっと変わってるけどおかしいところもあるし、(19世紀以前の文学みたいに)くどくもないし、(ヌーヴォー・ロマンみたいに)難しくない」フランス文学はすんなり受け入れられたのかもしれない。その意味で『浴室』は日本に新たなフランス文学の読者層を生み出した功績はあるだろう。ただしトゥーサン自身に関していえば、3作目の『カメラ』で文体も変わり、ここで彼独自のスタイルがようやく確立され、その後文体も内容もより複雑化して創作活動が続いているようで、逆にあの軽さに慣れていた日本の読者たちは当惑して次第に離れていったのではないだろうか(トゥーサンのここ最近の作品は邦訳されていない)。いろいろな意味で『浴室』は80年代という時代を象徴する作品であり、今となっては時代の変化を感じさせる作品だと思う。

ところで、「オリーブ」は2003年から休刊しているが、現在もこのスピリットは、男性向けではあるが同じマガジンハウスから出版されている雑誌「ポパイ」に受け継がれている。「オリーブ」の理想像が「リセエンヌ」と呼ばれるのに対し、「ポパイ」のそれは「シティーボーイ」(!)なのだが、いまどきの「シティーボーイ」たち(実在するんだろうか?)は、『浴室』を読んでどんな感想を持つのか聞いてみたい。

Nevers

ジャン=フィリップ・トゥーサンは自身のデビュー作となる『浴室』を、1983年秋から1984年夏の間に、フランス語教師として派遣されていたアルジェリアで書いたと言う。1957年生まれの彼は、当時27歳で、作中の主人公の「ぼく」と重なる年齢だ。一人称主人公と作者の実年齢が重なる場合には、両者が適切な距離感を作っていないと、自意識過剰や甘えが読者にとっては目に付くことがあるが、『浴室』はどうだろうか。

27歳になるまでのトゥーサンは、「書くこと」を志す文学・哲学青年だったのではないだろうか。それはデビュー作ですでに示している、洗練された彼の文章力が証明してくれるし、また同時に『浴室』の構図にも、ヌーヴォー・ロマン以後の新しい小説形式を模索していることが見て取れる。学生気分を残した「ピタゴラスの定理」をエピグラフに掲げ、パスカルの『パンセ』からの着想か、もしくは『パンセ』へのオマージュか、いくつものパラグラフに区切ってナンバリングをした断片群の構成も、小説修行の中での一つの試みなのではないか。

パスカルといえば、「クレオパトラの鼻」や「考える葦」はもとより、「わずかなことがわれわれを悲しませるので、わずかなことがわれわれを慰める」などの箴言もお馴染みの哲学者である。『浴室』の作中では、パスカルの言葉は、そのままそっくり英語で引用されていて、驚くくらい捻りをきかせられていない。この素直さが、良いにも悪いにも“若い”作家の、デビュー作品世界を体現しているとも言える。

パスカルの主張の眼目は、「われわれが日夜追求するものの正体は幸福ではなく、不幸(空しさ)を忘れさせてくれるものにすぎない」、「現実の人間はみな空しく、その空しさをまぎらわすために、常に気晴らし( divertissement )を求めている。なぜなら人間は生まれながらの死刑囚であるからだ」である。パスカルのキーワードである「気晴らし( divertissement )」は、作品の初めに母親と「ぼく」の間でやり取りされる。
- 気晴らし( divertissement )をしなければだめよ。
- 気晴らし( divertissement )の必要があるのかどうかは疑問だな、とぼくは答えた。ほとんど微笑さえ浮かべながら、ぼくにとって気晴らしほど恐ろしいものはないんだよ、と付け加える。

パスカルの言うように、気晴らしで目隠しされている間に人間は死に向かっているが、一方で、死という宿命は避けることができない。それ故に、「ぼく」は気晴らしほど恐ろしいものはないと言うが、作者のトゥーサンはパスカルの主張を承知で、気晴らしに取り組んでいる。この「ぼく」の気晴らしに対する恐れや逡巡と、作者トゥーサンの気晴らしへの挑戦が両者を大きく分かつ点である。トゥーサンが気晴らしへ真剣に取り組んだ第一歩が、この『浴室』である。

実を言えば感想文を書くにあたって、<トゥーサンにとっての「気晴らし」は「書くこと」である>という展開に持ち込むつもりであったのだが、第二作目の『ムッシュー』のあとがきの中に、本人自らがこのことを言及している、と紹介されていた。トゥーサンはインタビューに答える形で次のように答えている。

「『浴室』を読んだ読者からたくさんの手紙をもらったが、それが皆この小説のユーモアに触れていて、ぼくには大変嬉しかった。だって、ぼくにとっては、エクリチュール(書くこと)と気晴らしとは少しも隔たりのないものなんだから。」

書くことは、自分と向き合うことである。自分と同年齢の一人称主人公の「ぼく」はモラトリアム人間で、引きこもりの最たる形態ともいえる浴室にこもる、というアイディアはユニークでユーモアも感じさせるが、当然、胎内回帰願望そのままをあらわしており、未熟な“男の子”の心理を正視させられるのは、大人読者はやや気恥ずかしい。

主人公の「ぼく」は生き方を模索している、その姿は、書くことを色々と模索している作者の生き方に重なる。この作品は、作品最後の「ぼく」が浴室にこもる断章は、作品最初の浴室にこもっている断章へとつながり、円環構造になっている。つまり「ぼく」は浴室から出ていかないし出られない。もしかしたらこの行動・心理パターンが、現実にそうであるようなモラトリアム人間の辿っている負のスパイラルを描いているのかもしれないが、読後感としては一種の徒労感が拭えない。

プルーストの『失われた時を求めて』の円環構造では、一人称主人公がこれから創作の仕事にとりかかるところで終わり、そして主人公の書き上げた作品が『失われた時を求めて』であることを知り、読者にとって大いに報われる喜びの読書となる。それに対して、『浴室』ではそうはならなかった(しなかった)トゥーサンの作品世界では、読者は作者とともに、一作一作成長していく仕掛けになっているのかもしれない。『ムッシュー』(1986)、『カメラ』(1988)、『ためらい』(1991)そして以後も、彼はコンスタントに作品を発表し続けているのだから。

私は、1999年「大阪ヨーロッパ映画祭」にゲスト参加したトゥーサンを会場で見たことがある。長身で小顔にスキンヘッドという個性的な外見で、表情は『浴室』の主人公に似通っていて、温厚で柔和な笑みを浮かべている人であった。しかし残念ながら、このとき上映された彼の監督なる『アイスリンク』には大いに退屈してしまった。この映画鑑賞の後、トゥーサンの文学作品からも遠ざかることになってしまった。しかし今回、第五回目の読書会でトゥーサンを取り上げてもらったことで、彼の第四作目の『ためらい』を読む機会を得た。『ためらい』では、作者の実年齢と同じ33歳の「ぼく」は、生後8ケ月の息子と登場している。33歳は青春の終わる年齢だとトゥーサンは言っているが、男の子が大人になったということだろうか。『ためらい』では主人公と作者の距離関係が全く気にならない。そのくらい自然に作者の実生活の歩みと、作者の「書くこと」の歩調が合ってきていたのだろう。

Goyaakod

翻訳が出た当時それを取り巻く雰囲気に対し何だか違うと感じた(というか「あなたがそこに馴染めなかっただけ」なのだけれど)、それだけの理由で手を出さずじまいだった一冊。いい年になった今、ようやく手に取った。

第1章を読んでなぜか思い出したのがつげ義春の『退屈な部屋』だ。よりにもよってと思うのだが、全くかけ離れているわけでもない。職業が言い当てられない文系自由人の男と、生活力があってちょっと変わっているが愛嬌のある女のカップルが登場するという設定もさることながら、二人の行動もなんとなく似通っている。突然バスルームに引き籠りバスタブの中で一日を過ごす男と、そんな男を食わせるばかりか妙ちきりんな男の日常を面白がるようになる女。かたやこっそり「別宅」(ボロアパートの一室)を借り、ただぼんやり過ごす男と、突き止めた隠れ家がもたらす非日常を気に入ってしまう女。世間に背を向けた閉じた世界で、二人にしか通じないあほらしい無為を楽しむ。そこに流れる明るい無邪気さ、ユーモラスな感じは両作品に共通している魅力であると思う。

『浴室』はその作り自体が作品の無邪気さを強調している。ナンバリングされた短いパラグラフ群からなる構成は、4コマ漫画のかっきり割れたコマ並びを彷彿とさせる。 「ここを読め、ここを見ろ」と言わんばかりに無駄のない言葉で明快に示された、時にシュールでスラップスティック調でもあるイメージがぶつ切りに繋げられた様は、時間と空間をなめらかにジャンプし展開するエシュノーズの鮮やかな手際を読んでしまった身にはなんとも拙い感じがする。しかし、糊とハサミで仕事をした跡が残るアマチュアっぽさが、「味」になっているとも言える。

この作品が発表された1980年代に勃興したミュージック・ビデオにも同じものを感じる。売りたい曲が流れていれば、アーティストが映っていれば、どう作ろうとOK!という自由をレコード会社から与えられた若いクリエイター達は、低予算でまかなえる範囲で好き勝手をした。荒唐無稽な設定や、おもちゃ箱をひっくり返したようなカラフルで人工的な混乱。今風だけど野暮ったい若者達が、その目的上口をきく機会を一切与えられず飛び跳ねる様を素人っぽいカメラワークで捉え編集した、数多の今様音楽付きサイレント・ショートフィルム群には、プロの映像作家が作るものにはないある種の風通しのよさがあった。

僕には面白いのだけどね、あなた方がどう思うかはしらないけれど。トゥーサンの処女作とあの頃のミュージックビデオは、そんなアティテュードを共有しているように思う。そして、受けとめてもらうことを期待せず一方的に投げられた作品達を、世間は面白がったのだ。

トゥーサンのこの小説が「そういう本もありましたね」的な位置に置かれているのに対し、つげ義春の短編が今も読み継がれているのはどうしてか。それは、つげ作品の「無邪気な無為」はあくまで貧乏くさい現実のなかにぽっかり生じた束の間のエアポケットとして描かれているからだろう。あほらしいやり取りは、財布の小銭を数えたり目覚ましで起きる日常に繋がっている。だからこそ、50年近く前の世界の二人の無邪気さに今も共振できるのではないか。また、明るい無為のその下には、人間の不可思議さや怜悧なナイフの刃のように閃く感性がある。

『浴室』の無邪気さは机上のものだ。「彼女」は幾分生を感じさせるものの(勝手に可愛い眼鏡っ娘を想像した)、バスタブの中にいる「彼」の顔は見えてこない。そしてそこには、とうがたった無為しかない。

あの時の一口目はとても新鮮でわくわくするように思ったのだけれど、今あらためて食べたいかどうかはわからない。文学におけるファッション・フードのようなもの、と言いきる勇気はないけれど、良いも悪いも後に残らない一冊だった。






posted date: 2019/May/03 / category: 本・文学
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