フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

ロマン・ガリ、または人間らしさという謎

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今年の夏休みは、相次いで刊行されたフランスの作家 Romain Gary の翻訳を読みました。ひとつはロマン・ギャリの短編集『ペルーの鳥──死出の旅へ』(須藤哲生訳、水声社)、もうひとつはロマン・ガリの長篇『夜明けの約束』(岩津航訳、共和国)です。本邦初訳の作家ではありませんが、長らく無視されてきた感のある作家の作品が新たに日本語で読めるようになったのは、とても喜ばしいことです。

さて、作家の名前が微妙に違っていますが、これは Gary の読み方の違いです。「ガリ」が標準的な読み方で、「ギャリ」はパリ訛りです。Jean Gabin を「ジャン・ギャバン」と呼んだり、quatre を「キャトル」と呼ぶのと同じ現象です。首都の発音は当然耳にする機会が多く、パリ留学が圧倒的に多い日本のフランス関係者がパリ訛りを踏襲するのも、別に不思議なことではありません。とはいえ、過去の翻訳ではロオマン・ギャリイ(『自由の大地』)、ロマン・ガリー(『白い嘘』)、ロマン・ギャリー(『フランス短篇傑作選』)と表記されたこともあり、かなり混乱気味ですね。これ、みんな同一人物です。

さらに言えば、ガリは出生名を Roman Kacew(ロマン・カツェフ)というユダヤ系ロシア人でした。Romain Gary はペンネームでしたが、1951年に戸籍名としました。ほかにもフォスコ・シニバルディ、シャタン・ボガート、そして2度目のゴンクール賞で有名になったエミール・アジャールといったペンネームを使い、フランス語から英語に自己翻訳する際にはジョン・マーカム・ビーチという変名を用いました。彼は自らを「カメレオン」になぞらえて、アイデンティティとたたかい続けました。つまり、人間の本性なるものを簡単に定義しないことに全力を注いだのです。

そのため、常識的なヒューマニズムからは理解しがたいエピソードが小説中に何度も登場します。『ペルーの鳥』収録の短編「贋作」では、ゴッホの贋作疑惑を追及する男が、報告として妻の整形手術の履歴を明かされ、愕然とします。「世界最古の物語」では、ボリビアの山中に隠れて戦争終結を知らなかったユダヤ人が保護されますが、彼は密かに収容所で自分を虐待したナチの残党に食料を運び続けます。「地球の住人たち」では、レイプ被害に遭って「心理性盲目」に陥った女性と彼女を保護する老人がヒッチハイクをし、通りがかりのトラックに乗せてもらいます。しかし、運転手は老人を下ろし、その女性をレイプしてしまいます。老人と再会した女性は、ただ「いつも最悪のことを想像しては駄目よ」と言います。

こうした「ひどい話」は、もちろん誇張を含んでいるかぎりにおいて、ある種のユーモアを帯びてもいるのですが、それにしても、読んでいて居心地が悪くなってきます。ユーゴスラビアの学生を処刑したドイツ人について、主人公はこう考えます。「だがドイツ人たちは交代要員を勤めただけのことなんだ、とズヴォナールは考える。彼らは松明をほんのすこし遠くまで運んだという、ただそれだけのことなのだ。われわれの名高きパイオニアたちの作業を続けただけのことなのだ。」(「歴史の一ページ」)ナチスのやったことは人間の仕業ではない、と線引きをするのは欺瞞であり、むしろ誰もが自分のなかにある残虐な可能性を直視するべきではないのか。どんな残虐なこともできる人間もやはり人間であるとすれば、その残虐性を無視して人間らしさを語るのは、しょせんは気持ちのいいフィクションにすぎないのではないか。これがガリの「ひどい話」が告発していることなのです。

しかし、だからと言って、正義をあきらめる必要はありません。逆に言えば、悪の領域を広げられるのであれば、人間は正義の実現に向かっても、一歩ずつ前進できるはずです(ちょっとヴィクトル・ユゴー風?)。「人生はリレー競技のように見える。私たちの一人ひとりが倒れるまでは、人間でいるという挑戦をより遠くまで運ばなければならないのだ。生物学的、知性的、身体的な限界というものがなんらかの決定的な性質をもつ、ということを私は認めない。私の希望はほとんど無尽蔵だ。」(『夜明けの約束』第28章)ご覧のとおり、これは先ほどの残虐さに関する文章と対になっています。

『夜明けの約束』の場合、主人公は母親に過剰なまでに愛され、期待されることで、人生の夜明けに愛と希望を約束されてしまいます。「おかげで絶望することを禁じられた私の人生は、面倒なことになっている」(第30章)とうそぶきながらも、ガリは「権力に酔った理不尽な神々と世界の所有権を争い、この地上に勇気と愛をもって暮らしている人たちに、世界を返してあげたい」(第1章)と願うことをやめません。

ロマン・ガリという作家がわたしたちに突きつけるのは、人間らしさとは何か、という本質論的な問いよりも、むしろ人間には何が可能か、という実践論的問いです。具体的なエピソードの積み重ねから人間を考える小説という形式は、まさにこうした問いに最も適したものです。ロマン・ガリが小説以外の作品をほとんど書かなかったことは、その意味で示唆的です。また、彼自身が何度も名前を変えたのも、「ロマン・ガリ」という作家の本質=アイデンティティからの逃亡を重ねたということなのかもしれません。

結論を急いで求めがちな読者にとっては、むずむずするところがあるかもしれませんが、問題を解決するのではなく、うまく提示することこそが小説の面白さではないか、と思います。ロマン・ガリが今なおフランスで人気作家であり続けている理由も、おそらくそこにあるのでしょう。対独レジスタンスを扱った最後の作品『凧』(1980)をはじめ、この作家の全貌を知るためには、他の作品のさらなる翻訳が待たれます。

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1975 年大阪生まれ。トゥールーズとパリへの留学を経て、現在は金沢在住。 ライター名が示すように、エヴァリー・ブラザーズをはじめとする60年代アメリカンポップスが、音楽体験の原点となっています。そして、やはりライター名が示すように、スヌーピーとウッドストックが好きで、現在刊行中の『ピーナッツ全集』を読み進めるのを楽しみにしています。文学・映画・美術・音楽全般に興味あり。左投げ左打ち。ポジションはレフト。