フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

『水曜日のアニメが待ち遠しい』 – アニメと移民の意外な関係

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よくあるアニメ本かと思っていたが、読んでみたら意外に骨のある内容だった。特に面白かったのは、フランスに日本のアニメが浸透していった時期と、フランスにもともと住む中間層と他国からやってきた移民を混ぜ合わせるような都市政策が一種の社会実験としてフランスで進められていた時期が重なり合っていたという、日本からは見えにくい事実だ。

水曜日のアニメが待ち遠しい: フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす著者のトリスタン・ブルネは日本のアニメのことを思い出すと、当時住んでいたトルシーという郊外の町(Torcy パリの東約30キロ、RER A線上にある)の風景が一緒に思い出されるという。トルシーは1970年代に造られた、パリに働きに行く人々のベッドタウンで、『未来世紀ブラジル』のロケ地になったほど人工的に作りこまれたポスモダンな外観を持っていた。トルシーにはフランスとは文化圏が大きく異なるアフリカ系と東南アジア系の移民が多く、文化的な軋轢を生みやすかった。この軋轢が日本のサブカルチャーの受容を考える上で重要で、それが文化の異なる子供たちの軋轢を緩和する重要な媒介になっていた、という指摘は目からウロコ だった。

しかし、トルシーの社会実験は次第に行き詰っていった。プチブルたちは犯罪率が高いという差別的な意識によって、その町を離れていき、移民系の人々だけが残された。トルシーは街の未来的な佇まいとは裏腹に、経済的に貧しくなっていった。町は左翼的な政策によって造られたにもかかわらず、左翼的な人間に限って自分の子供たちを地元の公立ではなく私立の学校に通わせていたと、著者はその偽善性を暴いている。

トルシーの話を読んで思い出したのが、マチュー・カソヴィッツの『憎しみ』(1995年)のワンシーンだ。団地のコンクリートの壁に、19世紀の詩人、ボードレールの肖像がグラフィック調に描かれていて、それを背景にアラブ系の青年サイードがアメリカのコミック・ヒーロー、バットマンの話をしている。この組み合わせは「解剖台の上のミシンとこうもり傘の出会い」どころではない。パリという国際的な観光都市が、凱旋門やエッフェル塔などのように、歴史と密接に結びついたモニュメントに彩られているのは対照的に、移民の若者たちの現実は世界の大都市にどこにでもあるようなスラム化した高層住宅団地で、娯楽としてアクセスしやすいのは、バットマンが象徴するグローバルなポップカルチャーなのだろう。彼らのルーツ(イスラムやアフリカ)から来るものでもない、彼らのホスト国、フランスの伝統でもない、彼らの第3の文化的な選択だ。

「水曜日が待ち遠しい」のは、フランスの小学校は水曜日が休みで、その日に日本のアニメが集中して放送されていたからだ。そして、日本のアニメは移民の子供たちとのギスギスした関係の緩衝材になっていた。出身や人種の差異が否応なしに意識される状況で、国営放送で流されていたアニメだけがそれを意識せずに友だちと語り合える話題になった。フランスは昔からのフランス人と移民の人々を都市計画によって融合することには失敗したが、図らずも子供たちのレベルでは、日本のアニメが文化的な差異を問わない関係を作る、第3者的な共有物の役割を果たしていたわけだ。

さらに、著者の遮断機の体験が興味深い。初めて日本に来て、町を歩いていたとき、遮断機の音が耳に飛び込んできて、その瞬間、とても懐かしい感覚に襲われ、頭が混乱したと書いている。フランスに遮断機が存在するわけがなく、それは日本のアニメを通して植えつけられた記憶だった。1980年代にテレビで浴びるようにアニメを見た、いわゆる80年代世代 Generation 80 は、友だちとの会話もアニメが中心で、日常がアニメ化し、アニメを通して世界を見ていたと言っても過言ではなかったようだ。日本で遮断機に反応したことも、特別な体験ではなく、著者の同世代の多くのフランス人が経験しうることだった。

フランスで初めて放映された日本のアニメが「Goldorak=UFOロボ・グレンダイザー」であることは有名だが、SF的な作品は共感も抽象的だった。しかし、日本の日常生活が舞台の作品が入って来るようになって、現代日本の都市風景にだけでなく、制服、部活、先輩など、日本の独特な学校文化にもフランスの子供たちは親しみを感じ、それらはまるで自分自身のリアルな経験のように意識に浸透していった。部活の帰りの夕暮れどきにメランコリックに響く遮断機もその中に含まれていたわけだ。

2001年に松本零士とのコラボで『ディスカバリー』を発表したダフトパンクのふたり(彼らもまた著者と同じく1970年代生まれで、「キャプテン・ハーロック」を見て育ったことが松本とのコラボにつながった)がインタビューで「日本は第二の故郷だ」とまで言っていたが、彼らの発言は決してリップサービスではなく、このような執拗に反復された経験と深い実感に裏打ちされたものだと、個人的にもようやく納得できた。

このアニメ論には、個人的な経験が常に反映されている。フランスの日本のアニメ受容という大きな文脈も必要だが、そこにある個人的な側面を捨てないで、むしろ強調しようというのが、著者の方針だ。その視点を捨てないことは、文化を受容することの本質をあぶりだすことにもなるからだ。それは、個人と社会のあいだに生まれる揺らぎと想像力、識別が難しい微妙なあり方や可能性を丁寧に描き出すことによってしか得られないのだから。

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