フランスからグローバリゼーションとオルタナティブを考える新しいフランス学

GNP主義=サッカー/GDP主義=ラグビー?

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みなさんは、いま現在(9月18日時点)ラグビーのW杯が開催中なのはご存知でしょうか? 日本代表は現時点で予選プールA組で0勝2敗、5チーム中最下位と苦戦中。2019年の自国開催時までの中間的な強化目標として今大会では「2勝以上」を掲げていましたが、残念ながらフランス(21-47) とニュージーランド(7-83)にはすでに黒星を喫してしまい、グループリーグ突破は絶望的な状況となってしまいました。とはいえ、(勝負事でこんなこといっちゃいけないのかもしれないが…)ここまではある程度予測できたことで(これまでラグビー日本代表はW杯で1勝しかあげていない)、残り2試合はすでに敗れた2国より実力の劣るとみられるトンガとカナダとの対戦となります。当初の目標への道はまだ絶たれたわけではないので、残り試合も精一杯戦い抜いてほしいところです。

さて、この記事のタイトルをみてピンときたひともいるかもしれませんが、むしろ「なんじゃこりゃ?」と思われた方のほうがおおいと思います。GNPは経済用語の「国民総生産」のことで、GDPは「国内総生産」であるという予測はつくと思いますが、「これとサッカーとラグビーになんの関係があんねん?」と。 このことを説明する前にまずこちらのHPをご覧ください。

すでに日本国籍を取得した外国出身の選手にちらほら混じって、主力選手のジェームズ・アレジ選手など外国籍の選手が何人かいます。この理由ですが、ラグビー界では「所属協会主義」を採用しており、たとえば日本国籍でない選手であっても日本で3年以上プレーした実績があれば日本代表選手になる資格を有することができるという制度になっています。代表選手が「国籍主義」で選ばれることになるサッカーやオリンピックとは違う、ラグビー界のひとつの特徴といえるでしょうね。 そして、これを踏まえるとGNPとGDPに話を結びつけることも許してもらえるかと思います。

具体的にいうと、サッカーナショナルチーム代表とGNPは「国民」という概念でつながれており、ラグビーナショナルチーム代表とGDPは「国内」という概念でとらえることができるということです。 いちおう、GNPとGDPの定義を簡単に定義しておくと、
* GNP(Gross National Product)=国民総生産 →一定期間にその国に住む国民が生みだした付加価値(財やサービス)の合計。
* GDP(Gross Domestic Product)=国内総生産 →一定期間にその国で生産された付加価値の合計。
となります。GNP=国内総生産というのは「国民」が生産したものですから、国内の外国人が生みだした付加価値は計算せず(正確にいうと6ヶ月以上国内に居住していればカウントされるのですが、話がややこしくなるので無視しておきます)、逆に国外での国民の付加価値は計算に組み入れられます。つまり「国民が生みだしたもの」=GNP、と考えればいいと思います。

それとは違いGDP=国内総生産は、それを生みだしたひとの国籍にこだわるのではなく、あくまで「国内」で生みだされた付加価値を合計してえられます。国民が外国で行った経済活動はカウントされず、逆に外国人の国内での経済活動はこれに含まれることになります。 だいたい20年ころ前までは、国の経済規模を表す指標としてGNPが使われていたのですが、経済がグローバル化するにつれて「国民総生産=国内総生産」が乖離するようになり、国の経済規模あるいは「経済的魅力」を表す概念としてGDPが使われるようになったのです(たとえば、日本国民&企業の大多数がアメリカに出稼ぎに出たとして、GNPベースではこれらは日本のものにカウントされますが(正確にいうと日本人と日本企業がセットで出ていった場合)、GDPベースではカウントされません。この場合、日本という国は市場としての魅力がないということになるでしょう)。

で、ここまでくると「GNP主義=サッカー/GDP主義=ラグビー?」というタイトルをつけたのもある程度理解してもらえるのではないかと思います。といってべつにどっちのスポーツが進歩的かどうかなどは話題にするつもりもなく、経済のグローバル化っていうのが「国民」と「国内」という違いを浮き立たせ、それがスポーツ界にも密接に関連しているんだなと指摘をしたかったからです。おそらくラグビー界でも、いかに「所属協会主義」をとっていたところで、2,30年前までなら経済=人的交流がいまより盛んでないからこれほど多くの外国出身の選手が「日本代表」になることはなかったと思います。またおなじく今回のW杯を観戦していると、ラグビー界を通じて日本のグローバル化の流れが象徴的に実感できるようにもなっていると思います。

じつのところ、この外国出身選手の多い「ラグビー日本代表」についてはネットなどで議論が沸騰しているようです。「あんなの日本代表なのか?」とか「べつにいいじゃないか」と肯定論否定論が入り乱れています。広い意味でのナショナリズムとグローバリズム(コスモポリタニズム)での争いといえましょうか。どちらの意見ももっともで、こういう議論は極端な例をつかうと本音と理想があぶり出るでしょうが、もしもかりに世界各国のラグビー代表がオールブラックス本軍&その他予備軍(つまりすべてニュージーランド人)で固められたら、おそらくW杯の注目度は世界中で激減するでしょう(ニュージーランド人は歓喜するかもしれませんが)。

かくいうぼくも、野球が好きで、お米が一番好きな食べ物で、牛肉よりも豚肉派で、クリスマスがどうも好きになれず、結婚式で奥さんには白無垢を着て欲しいと思っているし、英語とフランス語は多少は理解できますが、やはり日本語なかんずく河内弁で思考&行動するのが一番やりやすい。これらの話題についてきてくれるのは日本人が多い=友達になれる可能性が高いので、身近な存在として日本出身選手が活躍してくれると嬉しいです。

さらにはそもそも全員オールブラックス予備軍で固められた日本代表ってなにを「代表」しているのか疑問です。 ところが、これだけグローバル化が進んだ結果として、外国人との交流は必然的に高まるでしょう。そしてここでも極端な例を出すとして、日本人全員が心の底から「すごい!」と思える人物や文化が入ってきたらどうでしょう。これを断固排除するというのは、「内向き」ではなく馬鹿げているとしか思えません(もちろん自分たちの慣れ親しんだ「やり方」を即刻排除する必要もないと思います。そちらを選ぶという選択肢もある)。しかもその「異物」が自分たちのことを尊重し好きだといってくれているのなら、これを排除すべき理由が見当たりません。

さらにいわゆる外国出身のラグビー日本代表選手ですが、彼らは日本代表を選んだ段階で出身国を含めてもうほかの国の代表選手にはなれませんし、日本代表として国際試合に出場したところで、実際の報酬がどれほどか知りませんが、いずれにしてもその後の生活費を十分確保できるほどの額ではないでしょう。さらには経済的利益を抜きにしても、3年以上日本でプレーして、結果、日本のことが嫌いになったのに(あるいは日本などどうでもいいのに)なぜか日本代表に選ばれ、そして日本を貶めるためW杯本大会で怠慢プレー(あるいは日本がそもそもどうでもいいので自分本位のプレーをする)をするというのはどうも考えにくいです。

この意味で、ぼくとしては自分が肯定論者なのか否定論者なのかよくわかりませんが、外国出身者が日本代表として一生懸命戦ってくれるのであれば応援するつもりでいます。というか国籍を問わず、ぼくはすくなくともなにかを代表している選手が(国レベルだけでなく。日本の高校野球レベルでもいいです。レギュラーがタラタラしてたら補欠は浮かばれんでしょう)、どんなスポーツのどんなレベルの大会でもタラタラとプレーする奴が嫌いなんですが、「なにかを代表」して戦うというのは人間の個性を経済的価値観(儲ける奴がいい奴だ)でもって評価しがちな経済のグローバリズム化的側面に横槍を入れるというメリットもあると思われます。

もしも国籍や地域、もしくは宗教やギルド的組織、家族、親族、友人も含めたなんらかのものを「代表」するということを下敷きとせず、たんにとあるスポーツの優劣を競うだけになるなら、たんなる「パワーゲーム」に終わってしまうように思えてなりません(勝った奴がいい奴だ)。しかも、その競技を競技関係者以外のだれがみるのでしょうか。 先日、友人たちと酒を飲んでいるときに「ラグビー日本代表」の話題が出たことをきっかけに、その後、「なにかを代表する」という考えが偏狭なナショナリズムと極端なグローバリズム(コスモポリタニズム)に対抗できるかなと考えたんですが、みなさんはいかがでしょうか?

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専門はフランス思想ですが、いまは休業中。大阪の大学でフランス語教師をしています。

小さいころからサッカーをやってきました。が、大学のとき、試合で一生もんの怪我をしたせいでサッカーは諦めて、いまは地元のソフトボールと野球のチームに入って地味にスポーツを続けています。