北フランスの小さな村に生まれ、地域全体を覆うひどい貧しさとゲイに対する偏見の中で凄絶ないじめを受けた過去を持つ26才の作家エドゥアール・ルイ。故郷を離れ親が付けた名前を捨てエコール・ノルマル・シュペリウールで学ぶ傍ら発表した、子供時代を綴った小説『エディに別れを告げて』をFBNで以前取り上げた。 そんな彼がパリでの「黄色いベスト運動」のデモに参加したことについて、アメリカの雑誌『ザ・ニューヨーカー』のインタビューで語っている。一部ではあるが、ここで紹介したい。
「この運動を報じた写真を見て、デモに行くことに決めた。(注:最初のデモがあった時彼はアメリカにいた。)その写真には僕の母、僕の父のように、ひどい貧乏にあえいでいる人達、疲れきった人達が写っていた。顔つきから読み取ることができるんだ。だって、僕はあの人達のことを知っているから。(中略)そうした人々のイメージが僕に向かって叫び声を上げるのを感じたんだ。」
「僕らが一度も目にすることのなかった群衆が出現したんだ。僕らの耳に決して入らなかった言葉を伴って。あの人たちは口々に言う。「家族を、自分ひとりだけだって食わせることができない。クリスマスがくるのに子供達にプレゼントすら買ってやれない。」そして、僕にはそうしたセンテンスが共和国、とか共存とか人民とかデモクラシーとかを語るどのディスコースよりもはるかに政治的で、力強くく響いた。そうした立派な概念は実際のところ何も反映していない。全然リアルでなくて、血が通っていない。」
「それは社会的に排除された群衆なんだ。貧困を生きる群衆なんだ。雇用不安の中生きる人々の集団なんだ。北フランスや南フランスからやってきた、貧乏で、5世代にわたってまともな教育なんて受けたこともないような家に生まれた人々の集団なんだ。僕の家のようなね。僕の育った家は7人家族だったけれど、月に700ユーロで暮らしていかなければならなかった。子供5人に大人2人がだよ。そうした世界に生まれ育つことがなければ、この群衆がどんな人々なのかわからないんだろうね。」
「実際、僕が本を書き始めたのは、こうした群衆については誰も書いてこなかったという印象があったからだ。また、子供の頃、両親、とくに母がしょっちゅう言っていた。「誰も私らのことを話そうとしない。私らのことなんか誰もかまっちゃくれない。」僕や母が抱いたもっとも激しい感情は、他の人達の眼差しや話す言葉の中には、「一般のディスコース」の中には僕らは存在していないんだと感じることだ。強迫観念に近いものがある。「私らのことなんか誰も話題にしようとしない。世の中全体がますます気にかけなくなるよ。」この母の口癖が聞かれない日は一日もなかった。だからこそ、投票するときだけでも、母は目に見えない存在であることに抗おうとしたんだ。ほらどうだ、ってね。」
「帰国したのは最初のデモの後だった。そしてこうした声が上がったとたん、人々が立ち上がったとたんに、政治の世界やメディアの大部分が黙らせよう、つぶそうとしたのを目にしたんだ。すぐに、幾つかの方策が実行された。一つは、アメリカでも新聞の記事でよく目にしたけれど、「フランスは中流階級が多くいる国だからね」という見方をひろめること。フランスにおける中流階級とは、貧乏でも金持ちでもなく、その間にいる人々のこと。テレビでもジャーナリストたちがそういうことを繰り返ししゃべっていた。僕には、これは貧しい人々の問題を取り上げないためのひとつの方策だと思う。」
「本当に貧しい人々のことを、そうした人々の嘗めている苦しみを取り上げさせないための方策なんだ。そもそも、中流階級というのは一筋縄では行かない概念だ。本当に苦しんでいる人々の中には、月2000ユーロ稼いでいるけれども子供が5人いたりとか、離婚していたり、辺鄙なところに暮らしていて毎月ガソリンに何百ユーロも使わざるをえない人々もいる。状況は複雑なのに、中流階級だと言うことで現状に触れないようにしているように見える。」
「しかしこの運動の合法性を認めないという主張の中で一番幅をきかせていたのは、参加者がガソリン税に反対しているということを理由に「あれはレイシストが、ホモフォビアが、気候変動問題を否定する連中がやっている運動だ。」と言うものだった。また、ブルジョワジーがやっきになってこのデモ、この運動をを沈静化させようとしていた。「奴らを黙らせてくれ、あいつらにしゃべらせてはいけない」ってね。」
「この物言いには個人的なレベルでピンと来た、だって僕が育ったあの地域、人々がひどい貧困状態にあり、社会的に見捨てられ、地理的にも排除されている地域について書いた最初の2冊の本『エディに別れを告げて』と”History of violence”を出版したとき、僕はあの地域のレイシズムとホモフォビアについて取り上げた。そしてこの本がフランスで出版されるやいなや、人々は言ったんだ「おや、エドゥアール・ルイは労働者階級の人間はホモフォビアでレイシストだとなんて言ってるけど、それは嘘だ。」そして、実際に労働者階級の出身で労働者階級のことを話そうとしているこの僕に向かって言うんだ。「黙れ、そんなことは嘘だ、あの人達はレイシストでもホモフォビアでもない。貧乏な人は善良なんだ、純な人達なんだ」僕は、これは大衆にしゃべらせないためのメカニズムなんだと思った。そしてそれから数年後、僕の本で取り上げた人々からなる運動が本当に立ち上がると、僕を攻撃した同じ人々が今度は急にこう言いだしたんだ「全く、あの連中はレイシストだし、ホモフォビアだからな。好き勝手言わせちゃダメだ。」ブルジョワ階級、支配階級は自分達の矛盾なんてなんとも思っちゃいない。素朴で良き野蛮人みたいなものだったはずの労働者階級が、次の日にはレイシストでホモフォビアでぞっとする連中とみなされるんだ。」
「子供の頃父のような、母のような人々、村に住む回りの人々は投票するというときにしょっちゅう逡巡していた。極右に投票するか、左翼に投票するかでね。主流の右派政党には絶対投票しない、だって連中はブルジョワ支配階級のシンボルだからね。しかし右翼か左翼かの選択にはいつも迷っていた。心中を言葉にするとすればこういうことなんだ。「私をサポートしてくれるのは誰?私を目に見える存在にしてくれるのは誰?私のために闘ってくれるのは誰?」「不満をもらすときにはどんな物言いをすればいい?移民のおかげで苦しんでいる、と言えばいい?それとも社会の不均衡と階級主義のせいで苦しんでいると言えばいい?
同じことがアメリカでも起こった。バーニー・サンダースに投票するつもりだった人の中には結局ドナルド・トランプに票を投じてしまったひともいた。貧困に、阻害に、侮蔑され続けることに苦しんでいるときには、「苦しんでいるんだ!」と声を上げる方法を何とかさがそうとするんだ。」
「もちろん、僕の子供時代にも、ひどいレイシストで心変わりなんかとてもしそうにない人達はいた(中略)。しかし、極右政党に投票した人の多くは左翼が長い間自分達のことを放ったらかしにしてきたから右翼になったんだ。80年代、90年代、2000年代の初期には左翼政党は貧困を語ることを止め、職場での肉体的な苦痛を、雇用不安を語ることを止めてしまった。世界中でこうした風潮があった。だから貧しい人々、労働者階級は、誰も自分達のことを顧みてくれないと思って極右に投票をはじめたんだ。」
「左翼陣営がデモに参加し、存在感したのは重要なことだと思う。黄色いベスト運動でも変化が起き始めている。当初この運動を支持していたのはたくさんの右派の政治家や有名人で、極右の人間も混じっていた。それから、この運動はより左翼的なものにかわりはじめたんだ。最初デモの参加者はガソリンの話しかしなかったけれど、今は社会正義、平等性について語るようになってきている。」
「この前の土曜日(12月15日)、僕はアダマ支援委員会の一部としてデモに参加した。(注:アダマ支援委員会は警察の差別と暴力の是正を目指す団体。2年前警察の行き過ぎた暴力のせいで亡くなったアフリカ系の少年、アダマ・トラオレにちなんで結成された。身分証明書の不所持だけを理由に逮捕されようとしたため抵抗した16才は警官に制圧され窒息死した。誕生日が彼の命日となった。)(中略)アダマの姉、アッサ・トラオレがアダマ支援委員会を設立した。フランスにおけるレイシズム、警察暴力と戦う重要な組織だ。
この運動には最初からアッサ・トラオレと一緒に参加し、この数週間一緒にデモをしている。当初メディアの側の人間、ブルジョワ階級の人間が黄色いベスト運動をおとしめようとしていたときに、アッサ・トラオレが「私達もデモに加わりましょう。」と切り出したんだ。他の多くの人も参加し、この運動を語る言葉に疑問を突きつけた。そうすることで、運動の代表的な参加者とし目される顔ぶれが変わるからね。僕らのデモ隊は人々が思い描く「黄色いベスト運動の連中」とは違っている。僕はアッサ・トラオレと並んで歩いた。彼女は黒人女性で、僕はゲイだ。ぜんぜんマッチョでないタイプのね。でも僕らは運動の一部をなしている。デモをしているときは、警察から以外誰からも暴力は受けなかった。」
「今人々が話題にしているのはこの暴力ってやつだ。クルマを燃やした、凱旋門を襲撃した。しかし、多くの人々が言っているように、社会的占有や貧困がもたらした究極の暴力に比べれば、この暴力なんてどれほどのものかと思う。僕の父は50才だ。満足に歩けない。夜は心臓の機能を維持するための装置なしでは呼吸することができない。まだ若いのに。父の体の状態は社会的な暴力のおかげだ。なぜなら彼は工場労働者だったからだ。35才の時に工場の仕事のせいで背中をひどく痛めてしまったんだけれど、国に、ニコラ・サルコジにこう言われたんだ。仕事に戻らなければ、お前が受けられる福祉がふいになるぞ、と。おかげで父はまだ50才なのに、もう歩くことができない。このことに比べれば凱旋門の落書きが何だというのだろう?クルマを燃やしたことと比較して何になる?」
「どんなデモにも「壊し屋」がいるものだ。でも世界は何と不平等だと感じていて、自分の生活がとっくに破綻していたり、回りの人々の生活が破綻しているのを見てきたおかげで何でも壊してやれと思う人々もいる。壊し屋には特権階級に属する人間もいれば、群を抜いてひどい地域の出身で自分の回りでふるわれた社会的な暴力に対し我慢できないと思う人間もいる。だからこそ僕はこのデモでの暴力を簡単には否定しない。僕らがすべき質問は「なぜ打ち壊すのか?」ではなく「どうして打ち壊しがこの程度で済んでいるのか」だろう。
僕の妹はマクドナルドでハンバーガーを売っていた。16才で学校を辞めたんだ。僕の母や父みたいに、僕の祖母や、家族の誰もと同じく。彼女は職場で傷つけられ、中傷され、ひどい扱いを受けた。僕の弟は「お掃除のお兄さん」で、オフィスの清掃をしている。そこで働く人間は弟に挨拶もしない。給料だってたいしたことない。なぜもっと打ち壊しが起こらない?暴力があるということは僕の理想とはかけ離れている。しかし、誠実な社会分析の観点から、僕らはこの質問をしなければならない。」
「僕の家族は黄色いベスト運動に参加しているかどうかわからない。でもこの運動を支持していると思う。なぜならこの運動の話をしているからね。名もない小さな村に住んでいて、出かけるだけでも大変なんだ。でも彼らが何かが起ころうとしていると感じていると思うよ。
“To Exist in the Eyes of Others: An Interview with the Novelist Édouard Louis on The Gilets Jaunes Movement”
By Alexandra Schwarts, December 14, 2018
The New Yorker
2017年末に紹介した日本賞グランプリ受賞作であるフランスのドキュメンタリー「炭坑の子供達」は、エドゥアール・ルイの言葉と響き合うように思う。こちらで見ることができる。
https://youtu.be/Q0TwEUBATts
TOP PHOTO Par Obier — Travail personnel, CC BY-SA 4.0,
GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.
大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。