1984年10月。ドイツとの国境にある小さな村レーパンニュを流れるヴォロンヌ川で、両手両足を縛られた幼児の遺体が発見された。死因は窒息死。この村に住む4才の男の子、グレゴリー・ヴィルマンちゃんの変わり果てた姿だった。前日の夕刻、家の前で遊んでいるのが目撃されたのを最後に行方がわからなくなり、村中必死で探していたところだった。
メインストリートが1本とカフェ3軒があるきりという、アメリカの深南部の集落に喩えられるようなわびしい村での殺人事件。住人の誰もが顔見知りという地域でもあり、犯人はすぐ逮捕されると誰もが思った。
実際、逮捕された容疑者は身近な人物だった。被害者の父親の従兄であるベルナール・ラロッシュ。失踪後ヴィルマン家に届けられた殺人をほのめかす手紙の鑑定結果と、「グレゴリーちゃんを連れていったのを見た」という、容疑者のティーンエイジャーの姪の証言が決め手となった。つい最近職長に昇進した坊やの父、ジャンマリーへの妬みが犯行の動機とされ、事件は解決したと思われた。
しかし、事態は思わぬ方向へ動く。「警察に強要された」として姪が証言を撤回。ラロッシュは釈放され、捜査は振り出しに戻ってしまう。ヴィルマン家とその親族、関係者全員から筆跡のサンプルを集め、改めて犯人の手紙の鑑定が行われた。そして、思いもよらない人物が容疑者として浮かび上がった、鑑定は、グレゴリーちゃんの母親、クリスティーヌ・ヴィルマンが手紙の送り主と結論づけたのだ。
鑑定結果公表から4日後、意外な展開に世間が大騒ぎをしている最中、また事件が起こった。釈放に激怒し自ら手を下すと公言していたジャンマリーが、仕事帰りのラロッシュを待ち伏せ射殺したのだ。「おまえのためにやってやったぞ!」妻にこんな捨て台詞を吐いて逮捕されたジャンマリーは有罪判決を受け、5年の懲役刑に服することになる。
1986年10月、クリスティーヌは殺人容疑で起訴、収監された。彼女は一貫して無実を主張、留置所でハンガーストライキに踏み切る。6ヶ月の身重の体でのことだった。捨て身の反論が功を奏してか、クリスティーヌは釈放。1993年には最終的に容疑者リストから外された。捜査はまたしても振り出しに戻ってしまった。
眠たい田舎町での悲劇から発展したこの怒濤の展開に、不景気に高失業率と重苦しいムードに包まれていた当時のフランスは大いに沸き立った。テレビはもちろん、高級紙からタプロイド、かのマルグリット・デュラスまでこぞってこの事件を取り上げ、マスコミは村に「常駐」、警察の動きを刻々と報道した。グレゴリーちゃんの墓は、フランス中から人々が詣でる観光名所となる。しかし、真犯人は現れなかった。
人々の関心が他へと移った後も、警察は解決に向けて地道に捜査を続けてきた。ドラマなどですっかりおなじみになった科学的な鑑識の手法も導入され、グレゴリーちゃんの遺留品や例の手紙から採取されたDNAから犯人に辿りつこうとあれこれ試みられた。が、いずれもことごとく失敗。手詰まり状態のまま、事件は迷宮入りのファイルに入れられることとなった。
しかし、なぜこれほどまでにこの幼児殺人事件はこじれてしまったのだろう?実は、この事件には特殊な背景がある。
まず、グレゴリーちゃんの父親のジャンマリーは、匿名の人物から執拗ないやがらせを受けていた。グレゴリーちゃんの死の何年も前から嫌がらせの手紙が届き、脅迫めいた電話が何度もかかってきていた。手紙の総数は2,000通にものぼり、一家は警察にも相談していた。ジャンマリーはごく普通の容姿の、どこにでもいるブルーカラーの男性で、目を引くような過去もない。人にやっかまれるようなこともない。敢えて挙げれば、グレゴリーちゃんが殺害される少し前に昇進したということだろうか。事件発覚前に届いた最後の嫌がらせの手紙には、坊やの死を「報復」であると宣言し、「嘆き死ねばいい。カネの力では坊やは戻ってこない」と激しい言葉を連ねている。しかし、ジャンマリーの稼ぎは知れている。なぜ、ジャンマリーはそこまで恨まれなければならない?
が、この村には、彼が憎悪の対象になりうる状況がある。同じ血縁のものが村と近隣に多く住み、誰もが身内という土地柄。ジャンマリーは、ヴィルマン一族の「長」的な立場にいた。カネや名誉といった世間的に羨まれる要素はないものの、「犬神家の一族」ばりにうごめくものが親族間であったのではないかと囁かれている。姪の証言撤回も親戚達に言い含められたためと目されており、捜査陣がどんなに水を向けても一様に口が重い、ましてや真実の告白など望めそうにない。
事件発生から33年目を迎える今年、沈黙し続けていた警察はついに動いた。ジャンマリーの叔父、マルセル・ジャコブとその妻ジャクリーヌを逮捕、事情聴取を開始したのだ。最後に届いた嫌がらせの手紙を改めて調べた結果による判断ということだが、決定的な証拠は示されていない。時間はますます経過し、関係者は老い、真相を突き止めることは一層難しくなっている。警察はこれが最後の機会と考えているのかもしれない。
事情聴取が再開されてまもなく、事件発生当時の捜査責任者であった予審判事が、自宅でポリ袋をかぶって自殺しているのが発見された。射殺されたベルナール・ラロッシュをはじめ多くの関係者と捜査を通じて言葉を交わし、マスコミからもてはやされた「時の人」だった。なぜ今このタイミングで命を絶ったのか?証人として法廷に呼ばれる可能性もあった人物の突然の自死は、事件の謎をいっそう濃くしている。フランスは再び固唾を飲んで捜査の行方を見守り始めた。
いったい誰がグレゴリーちゃんを殺したのか?水の中に坊やを沈めた大人の都合が明らかにされ、死に関わった大人が裁かれることを願ってやまない。
View of the Vologne river (Deycimont, France) 2006/07 by Raphaël Tassin (raphdvoj) Par Pas d’auteur lisible par la machine identifié. Raphdvoj~commonswiki CC BY-SA 3.0, Lien
GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.
大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。