数年前にマレーシアに行ったとき、イスラムの伝統衣装、アバヤで全身を覆った女性たちと一緒になった。空港で同じ列に並んで入国審査を待つことになったからだ。初めて間近でそれを見たのだが、意外にファショナブルで驚いた。赤い刺繍が施され、ラメもキラキラ光っていて、ベースが黒だけにいっそうエレガントに見えた。わきにはさんたバッグもカラフルで今風のデザインだった。一緒にいた私の息子が「忍者みたい!」と騒いでいたが、彼女たちの隣には、自分の所有物だと言わんばかりのマッチョな男がそれぞれ付き添っていた。
また2011年のアラブの春の年に、政治情勢の変化によって女性の解放も進むと踏んだカナダの大手の下着小売企業がアラブ諸国での事業拡大を計画しているというニュースもあった。モントリオールに本社をおく同社の年商は1億5000万カナダドルだが、その10%は、中東のサウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、レバノン、ヨルダン、エジプトから、北アフリカのアルジェリア、モロッコ、中央アジアのカザフスタンにわたる広い範囲のイスラム諸国にある55店舗が稼ぎ出している。つまり、アバヤなどの伝統衣装の下にイスラム女性が身に着けているのは、欧米の女性たちと同じくらい際どいランジェリーということらしい。
現在、ヨーロッパのブランドは徐々にイスラムファションという前途有望な市場に参入している。そのような流れに対して、フランスのモード界の大御所、ピエール・ベルジェ(イブサンローランのパートナー、ベルジェ&イブサンローラン財団理事長)はデザイナーたちに女性たちを牢獄のようにヴェールの中に閉じ込めないようにと懇願した。また「私はイブサンローランのもとで40年働いたが、デザイナーたちは、女性を美しくするために、女性に自由を与えるために存在しているのであって、女性たちを隠し、隠れた生活を送らせ、あの忌まわしいものを強いる独裁に加担するためではない、と私は信じている」と語った。さらには「人生において女性を自由の側に立たせ、逆に女性に服を脱がせ、反抗させ、世界全体の大半の女性たちと同じように生きることを学ばせなければならない」と付け加えた。
ピエール・ベルジェにとって、女性の奴隷化に加担するデザイナーたちは自問する必要がある。「彼らは女性を束縛する者たちの共犯者である。すべて金儲けのため。信念よりも金儲けが先立っているのだ。女性たちは自分のヴェールを脱ぐ権利がある。しかし私は人がなぜ、わたしたち西洋のものである自由とは相容れない、あの宗教に、あの習慣や風習に向かうのか理解できない。私は人生の大半の時間をモロッコで過ごした。私は決してイスラム嫌いではない」
フランスの女性権利相、ロランス・ロシニョールはRMCラジオで、いくつかのブランドがブルキニやヒジャブ(スカーフ)のようなイスラム教徒に適合した衣服を開発していることを告発した。ブランドが、金もうけになるからといって、この市場、つまり中東の国々ではなく、ヨーロッパの市場に投資するとき、責任逃れを始めることになると。彼女によれば、これらの服装は、ある地区においてカフェの内や外で女性たちの姿が見えなくなることにつながる。ジャーナリストがそれを自分から選択する女性もいることを指摘したとき、彼女は次のように答えた。「もちろん、自分から選ぶ女性たちもいます。奴隷制を支持してたアメリカの黒人たち nègres américains がいたように」。「アメリカの黒人たち」という言葉を使ったことは、ネット上で多くの反応を引き起こした。AFP のインタビューで、女性の権利相はこの語を使ったことは誤りだったと認めたが、自分は奴隷制と奴隷商人に関すること以外にこの語を使ったことがないと強調した。
イスラムファッションというセグメントは欲望を掻き立てる。フィガロ紙に1月に引用されたロイターの「グローバル・イスラミック・エコノミー」によれば、イスラム・コミュニティは世界中で2013年に2660億ドルの衣服と靴を消費した。この消費は2019年には4840億ドルに達し、その後さらに増えるという。イスラムの人口は世界的に若く、増え続けているからだ。
今年の1月にドルチェ&ガッバーナがヒジャブとアバヤのラインを投入した。そのコミュニケの中で、イスラム教徒は世界の22%の人口を占め、彼女たちのファッションへの欲求はヨーロッパの有名ブランドやプレタポルテによってあまりにも見過ごされすぎていると述べた。しかし状況は変わりつつある。近年、ユニクロ、MANGO、DKNY、トミー・ヒルフィガーといったポピュラーなブランドも、イスラム教徒向けのラインを投入している。イギリスのマーク&スペンサーは顔と手以外の身体全体を覆ったヒジャブや水着を提案し、H&Mは国際的な広告のキャンペーンでヴェールで覆われたモデルを起用した。
イスラム女性の伝統服の議論の中で、伝統服を選ぶ自由と、西欧の自由が対比されていることに留意する必要がある。伝統服を身につけている側からも「押し付けられてはいない、自分で選び取ったんだ」とか、「タンクトップとショートパンツが女性の解放とは 思わない」と言った反論もある。そういえば、パリを舞台にしたオムニバス映画『パリ・ジュテーム』の「セーヌ河岸、5区Quais de Seine」(グリンダ・チャーダ監督はインド系)にもそういうシーンがあった。傍からは抑圧の象徴にしか見えないだけに、新鮮な台詞だった。ヘジャブ=スカーフをかぶったイスラム系の女性が、「君はこんなに美しいのに、なぜスカーフを被る必要があるのか」と問われたときに、次のように答える。
’Si je veux être jolie, c’est pour moi. Quand je le(=hijjab) porte, j’ai un sentiment d’avoir une foi, une identité. Je me sens bien, et je pense que c’est ça, la beauté…’ (もし私が美しくなりたいと思うとすれば、それは自分のため。スカーフを身に着けているとき、私は信念を持ち、自分らしいと思える。私は気分がいいし、それが美しさだと思う)。
長い歴史的な闘争の過程で自由と権利を勝ち取ってきたフランスの女性たちにとって、男性の所有物であることを自ら表明するような衣服をまう女性たちが同じ国に存在していることは、目障り極まりないし、フランス社会の後退に映るのだろう。一方で、女性の束縛に加担していると告発されたデザイナーたちは、もしかしたら、イスラムの衣装を市場原理にさらすことで、女性たちの欲望をかきたて、それによって伝統が打破されるような契機が生まれると信じているのかもしれない。
以下の記事を参照した。
Mode du vêtement islamique : malaise grandissant en France
Par Culturebox (avec AFP)
Mis à jour le 30/03/2016
記事のアイキャッチ画像は以下のリンクから借用(ウィキコモンズ)。
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