今週からフランスでバカロレア (baccalauréat =BAC) が始まった。大学入学資格を得るための全国統一国家試験のことだ。これを取得することで原則どの大学にも入学することができる。初日の哲学の試験は、どんな問題が出題されたかテレビのトップニュースになるくらい、毎年国民の関心を集めるイベントだ。前日に、Journal du dimanche(日曜日発売の週刊誌)が厚かましくも閣僚たちに成績を尋ねていた。外相のローラン・ファビウスがトップで20点満点。一方、フランソワ・オランドはこの質問に答えなかったが、ハフポストによると、13点。そして前大統領のニコラ・サルコジ氏はは9点。哲学の点数が悪くても大統領になれるということだろうか。
今年出題された文科系の問題のひとつは、”Le langage n’est-il qu’un outil ?”(言語は道具に過ぎないのか?)。まさにグローバリゼーションの波に抵抗しきれず大学の授業の英語化に舵を切ったフランスが自問しているかのような問題だ。 テレビのニュースでは日本とは異なる受験風景が映し出されていた。受験室ではカンニングを避けるためにバッグを部屋のすみに置き、筆記用具だけを用意する。なぜか食べ物の持込はOKで、受験生のひとりはオレンジジュース、菓子パン、バナナを持ち込んでいた。朝の7時45分に席につき、8時から試験が始まる。正午までの4時間の長丁場だ。
フランスでは高校3年の時点で哲学が必修科目になる。文科系の生徒は週8時間、経済社会学系は週4時間、理科系は週3時間、技能系でも週2時間の受講が義務付けられる。その成果がバカロレアで問われるのだ。ヨーロッパ全体を見てもフランスほど徹底的に哲学教育をやっている国はない。映画だけでなく、哲学もまた「フランス的例外 exception française 」なのである。
この哲学の試験を創設したのは他でもないナポレオンである。それは1808年にまでさかのぼる。哲学を深く学ぶことで人はより自由に思考することができる。そして自由な思考こそが人間をより自由な存在する、とナポレオンは考えた。こうした哲学教育こそが理想のフランスを築くのだ。またテレビである哲学者が、フランスの哲学教育が目指すのは知的親権解除=自立 une émancipation intellectuelle による未来の市民の養成であり、これが民主主義の基盤となると断言していた。
この対極にあるのが、自分でものを考えずにお上にすべてお任せする日本のパターナリズムだろう。日本では哲学者の名前と思想の要約を丸暗記し、それをマークシートで答えることになるだろうが(私の世代の「倫理社会」はそうだった)、フランスでは哲学は学ぶものではなく、「哲学することを学ぶ apprendre à philosopher 」のだ。試験では、哲学史上の議論を踏まえながら「自分の議論」を展開することになる。
もちろん問題を解く型はあるわけで、学生向けの雑誌には問題の論じ方が紹介されている。例えば「働くことで、私たちが得ているものは何か Que gagnons nous à travailler? 」という問題に対しては、「働く」ことを3つの言葉に置き換える。「生計を立てる」「経済活動に参加することで社会に居場所ができる」「社会的価値観を形成する一員になれる」。つまり「仕事をしているからこそ人は社会に対して意見を言える」とか「働くことで自由を得ることができる」といった解答が、この問題の模範解答になる。そのうえでニーチェやマルクスを織り込みながら持論を展開するのが高得点の秘訣のようだ。
批判精神に優れ、街角でマイクを向けられると誰もが理路整然と語る。哲学雑誌が一定数売れ、哲学カフェはいつも盛況だ。これらは哲学教育がベースにあり、哲学が共有されているからこそ可能なことだ。高校でこういう思考訓練を徹底的に受けている国民はさぞかし議論をしたら手強いことだろう。またフランスにはカーラ・ブルーニの元パートナーであり、今は女優のアリエル・ドンバールの夫であるベルナール=アンリ・レヴィという芸能人のようなモテモテの哲学者も存在する。
論理的に矛盾することを平気で言い続け、矛盾しないと安易に思い込める批判力の欠如が、あの原発事故を招いたとすれば、日本にこそ論理的な思考訓練が必要だろうと思うが、一方で国を挙げて哲学しているフランスが原発推進のお友達というのが非常に悩ましい。また今年のバカロレアの英語の試験では、52歳の母親が高校生の娘の身代わり受験を試みて逮捕された。母親は典型的な10代少女のファッションで替え玉受験を試みたようだが、娘の方は今後5年間、公的試験を受けることができないそうだ。「知的親権解除」どころか親が身代わり受験とはシャレになっていない。
□Pourquoi la France philosophe? (slate.fr 16/06/2010) を参照
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