ガブリエル・ガルシア=マルケスの訃報が届いた。享年87歳。 晩年は病気で認知能力が下がり、執筆は出来なかったという。ガルシア=マルケスといえば『百年の孤独』であり、僕もご多分にもれず、この小説に熱中したこ とがあるが、いま手元に本がないので、これについては述べない。ただ、ガルシア=マルケスがパリで小説を書いていたことを、ふと思い出した。この機会に、 ラテンアメリカの作家たちにとって、パリとは何だったのかを、少し考えてみたいと思う。
ガルシア=マルケスは、左翼系新聞社のヨーロッパ特派員としてローマに滞在中、会社がコロンビ ア政府の圧力で閉鎖され、1958年に帰国するまで、極貧生活を強いられた。有名な短篇「大佐に手紙は来 ない」は、この時期の体験を下敷きにしたと言われている。退役した大佐が、妻と二人で恩給を待っているが、金は届かない。ローマからパリへ転がり込んだガ ルシア=マルケスは、友人たちからの借金を頼りに、カルティエ・ラタンの安宿の一室でこの短篇を11回も書き直したという。長い間、この短篇は作家がいちばん思い入れ深い、と語っていたものだった。
アルゼンチン出身のフリオ・コルタサルは、もっと落ち着いてパリに赴いた。1951年 にフランス政府招聘留学生としてパリに来ると、そのまま永住し、ユネスコの翻訳官の仕事で生計を立てながら、小説を書いた。僕が住んでいたパリ学生寮のア ルゼンチン館には、コルタサルが過ごした部屋のドアに記念プレートが貼られていたものだ。亡くなる3年前には、フランス国籍を取得している。複数の読み順 を指定した実験的な長篇『石蹴り遊び』は、1950年代のパリ、すなわちジャズ全盛期のパリを描いている。夜明け前の下宿には、レスター・ヤングのレコードが流れていた。
ペルーの作家マリオ・バルガス=リョサは、僕の記憶違いでなければ、今もパリに住んでいるはずだ。半自伝的小説『フリアとシナリオライター』の主人公マリオは、困難を乗り越えて義理の叔母フリアと結婚し、パリの屋根裏部屋で暮らし始める。パリでは、才覚と人脈さえあれば、なんとか生計は立てられる。
「パ リのベルリッツ語学校でスペイン語を教えたり、フランス・プレス社でニュースの原稿を書いたり、ユネスコのための翻訳をしたり、ジェネヴィリエールのスタ ジオで映画の吹き替えをやったり、フランス・ラジオ=テレビ局の番組を作ったりと、食べるための仕事には事欠かなかった上に、どれもこれも少なくとも一日 の半分はもっぱら書くことに充てられた。問題は、僕の書くものがすべてペルーを扱っていることだった。そのことは、書けば書くほど視野(僕は「写実的な」 小説にこだわっていた)がぼやけてきて、確実性を欠くという問題を引き起こしていた。それでも僕にとってはリマで暮らすことなど想像さえできなかった。」
な ぜ、リマで暮らすことなど想像できないのか。パリがそれほどまでに素敵な町だからか。そんなレベルの話なら、わざわざペルー人に教えてもらうことはない。 そうではなくて、外国人にとって、パリとは、自分が生きてきた世界を距離を置いて見るための拠点だからではないのか。パリには膨大な情報と人のネットワー クが形成されていると同時に、どこまでも孤独に沈潜できる自由がある。自分のルーツと繋がるのも断絶するのも、どちらも容易な場所なのだ。さらに南米作家 にとっては、パリは知的故郷であると同時に、生まれ育った土地に血塗られた歴史をもたらしたヨーロッパ文化と結びついた、矛盾の首都である。
そうしたヨーロッパの読み直しは、キューバ生まれのアレホ・カルペンティエルの作品に、見事に表現されている。フランス人の父をもつアレホは、1920年代の終りに父の祖国に渡り、モンパルナスの芸術家たちと親しく交わった。大作『春の祭典』には、スペイン内戦やホロコーストも含め、当時のヨーロッパの精神状況が戯画的に描かれている。1939年に南米に戻り、本格的な創作活動を開始する。カストロ政権の文化政策を手伝い、1980年にキューバの駐仏文化参事官としてパリで客死した。
カ ルペンティエルは、ラテンアメリカ作家のなかで、僕がいちばん好きな小説家だが、それは、南米人はヨーロッパ文明の後継者にして犠牲者である、という透徹 した意識がみなぎっているからだ。ギロチンとともにカリブ海に届いたフランス革命の波がやがて退いていくまでを描いた『光の世紀』や、ハイチの独裁者がフ ランス化していく様子を描いた『この世の王国』、西洋流の作曲法と野性の音楽のせめぎ合いをアマゾンを舞台に描いた『失われた足跡』に見られるように、西 洋化がもたらす暴力とは、単に土着の文化を破壊するだけではない。ヨーロッパによって初めて、理念のために生きたり死んだりすることが可能になる。革命と 独裁が正当化される。理念の存在自体が、暴力なのだ。<br />
ヨーロッパが主導したさまざまな概念を受け継ぎつつも、その不備や欺瞞性をはっきりと告発する。パリは、単なる憧れの都市でなく、ヨーロッパと対峙する作家たちの戦場でもあるのだ。そのことを、ラテンアメリカの作家たちは、まざまざと教えてくれる。
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1975 年大阪生まれ。トゥールーズとパリへの留学を経て、現在は金沢在住。 ライター名が示すように、エヴァリー・ブラザーズをはじめとする60年代アメリカンポップスが、音楽体験の原点となっています。そして、やはりライター名が示すように、スヌーピーとウッドストックが好きで、現在刊行中の『ピーナッツ全集』を読み進めるのを楽しみにしています。文学・映画・美術・音楽全般に興味あり。左投げ左打ち。ポジションはレフト。