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Just leave her alone フランス・ギャルに思うこと

text by / category : 音楽

フランス・ギャルが亡くなった。70才。1993年からずっと乳がんと戦ってきた。セルジュ・ゲンスブールが書き飛ばし、ティーンエイジャーの彼女が絶妙に歌い踊ったポップソングは今も耳に残っている。60年代という時代と、ニヒルなアーティストの才能と、フランス・ギャルという女の子がシンクロしたことで誕生した歌たちは、これからも色あせることなくあちこちで流れることだろう。

彼女についてはずっとひっかかってきたことがある。ヒット曲「アニーとボンボン」(Les sucettes)のことだ。童謡を思わせるメロディにのせてアニス味のロリポップキャンディをぺろぺろするのが大好きな女の子、アニーのことを歌っているとは表向き、大人は裏の意味を知ってニヤニヤするというつくり。18才の彼女は、自分を世に出してくれた恩人であるセルジュ・ゲンスブールのペンによるこの歌を、裏の意味の存在なぞ思いもよらずに吹き込み、ステージで歌った。ほどなく自分が何を歌わされていたかを知った彼女はひどいショックを受けたという、あのことだ。

ゲンスブールにとってはちょっとした冗談のつもりだったのだろう、こういう曲をフランス・ギャルのようなお嬢ちゃんアイドルに書いたのは。しかし、おふざけの曲にゴーサインが出され、麗しいアレンジがつき、レコーディングされ、世界のあちらこちらで流され、レコード店で売られた―微笑むフランス・ギャルの写真とともに。大人達が作り手の仕掛けた冗談に狙い通りに反応したことは想像に難くない。歌っているフランス・ギャルのことをどう思っていたのだろうか。みんなで楽しんだ冗談につきあわされた当の本人が、何も知らされずにただただ字面通りの純な子供の気持を歌い上げていたことを知っていたのだろうか。それとも、こんな歌を馬鹿正直に歌ってしまうアイドルをおもしろがって見ていたのだろうか。

この歌の裏の意味を知ったフランス・ギャルは、数ヶ月間家に引きこもった。男の子にせよ、大人の男性にせよ、自分のことをどう見ているかと思うとまともに接することができなくなった。回りの大人達みんながだまって自分をこういう立場に追いやったことがゆるせなかった。でも、黙っているしかなかった。口を開いたのは、もう歌詞のイメージとダイレクトに結びつけられない年齢になってからだ。

世界中で女性達がセクシャル・ハラスメントに対し様々な形で声を上げ始め、ゴールデングローブ賞の授賞式の会場が抗議の意味を込めて黒一色に染まる今、やはり言いたい。「ゲンスブール流のクレバーなキツい冗談に巻き込まれちゃった気の毒なアイドル」と片付けてしまっていいのだろうか。この曲そのものについてどうこう言う気はない(ゲンスブール本人が歌っているバージョンの方がばかばかしくてよい)。が、この曲のヒットの向う側に傷つき苦しむフランス・ギャルがいたことから目をそらしてはいけないと思う。彼女の回りの大人達、にやにや笑いをした世間も「共犯者」であったことも。そして18才だった彼女に起こったことと、あの時の彼女の胸中について少しばかり思いをめぐらしてもいいのではないか。

彼女がこの悪夢を生き延び、ゲンスブールとはまた違うタイプの音楽の才人ミシェル・ベルジェを公私にわたるパートナーとして得、再び歌うことに喜びを見いだすことができたことは慰めだ。突然おとずれたベルジェの早過ぎる死とその数年後の愛娘の他界により、歌手として生きることをやめることになってしまったとしても。

彼女はこんなことを言っていた。「時がくれば誰もが旅立ってゆく。その日がいつなのかはもう決まっているのでしょうね。」ただそっと見送ってあげたい。

年を重ねたフランス・ギャルがこの曲についての思いを率直に語っている。晩年にわきおこったMe,Tooの声を彼女はどんな思いで聞いただろうか。

Photo By Philips Records – Billboard, page 1, 24 April 1965, パブリック・ドメイン,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27153846

 



posted date: 2018/Jan/13 / category: 音楽

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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