日本を代表するピアニストの一人、小山実稚恵が12年に亘って続けて来た連続リサイタル「音の旅」が第24回(2017年秋)「永遠の時を刻む」によって遂に完結した(11月25日、オーチャードホール)。2006年にこの壮大な連続リサイタルが開始された時、「果たして12年間も続けることができるのか?」
「体力は持つのか?」「レベルを維持できるのか?」と小山の長年のファンですら心配になったに違いない。しかし、誰もが感じていたそのような不安は、完全に杞憂に終わった。
小山実稚恵は日本人でただ一人、チャイコフスキー・コンクールとショパン・コンクールという2大コンクール双方に入賞したピアニストとして知られる通り、その実力は折り紙付きだが、それ以上に驚異的な数のレパートリーを持つことで観客を圧倒してきた。その小山が文字通り満を持して始めた12年間・全24回のプログラムは、彼女自身のこれまでの音楽人生を集大成するかのような煌きわたる名曲で彩られており、その一つ一つがいずれも壮麗なコンサートとなったことは言うまでもない。
取り上げられる曲は、小山が最も得意とするシューマン、ショパンはもちろんのこと、バロック(バッハ)から現代(シェーンベルク)にまで及び、さながらこのリサイタルを通じて、小山は音楽史を踏破しつつ、自らの世界を築き上げて行ったと言える。2006年は「シューマン没後150年」を記念してプログラムを組み立てるかと思えば、その後も2010年は「シューマン・ショパン生誕200年」、2013年は「ワーグナー・ヴェルディ生誕200年」という具合に、作曲家の記念の年を見事に祝うという洒落たことも軽々とやってのけた。
個人的には、このリサイタルを通じて、小山がドビュッシーに全力で取り組んだ点が感慨深かった。2011年の第11回「研ぎ澄まされる音、指先」ではこの作曲家の『12の練習曲』から6曲、『前奏曲集』第1巻、第2巻から12曲が取り上げられた他、「そして月は廃寺に沈む」、「月の光」(2012年第13回「月明かりに揺れて」)、「レントより遅く」、「マズルカ」(2014年第17回「舞曲の園」)、「グラナダの夕暮れ」、「喜びの島」(2014年第18回「粋な短篇小説のように」)といった名曲がプログラムに巧みに織り込まれ、フランス近代音楽の最高峰に対する小山の精通ぶりが明確に示されたように思う。
しかし、それ以上に圧倒的だったのはベートーヴェンへの尋常でない取り組み方だ。小山は2016年の第21回から2017年の第24回まで、ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタの29番から32番までをメインの曲としてプログラムを組み、この連続リサイタルを完結させたのである。近代に作曲されたピアノ曲の中で、技術的にもハイレベルの技巧が要求されるばかりなく、そこで描き出される思想の点でも最も難関なこれらの作品を最後に持ってくるあたりに、小山がこのリサイタルにかける「本気度」をはっきりと窺い知ることができた。
4回に亘って続いたべートーヴェン・プログラムのうち、特に印象深かったのは2016年の第21回での29番変ロ長調「ハンマークラヴィーア」作品106、そして最終回である2017年第24回での32番ハ短調作品111である。前者の演奏も素晴らしかったが、特に後者は驚異的だった。作品の内奥部を抉り出すかのように展開される力強い音の奔流には、繰り返しこの曲を聴いて来た者ばかりでなく、初めてこの曲を聴く者さえ打ちのめしたのではないだろうか。かく言う筆者も、小山のこの演奏によって、この曲の意味がはじめて理解できたような気がする。
順調に進んで来たリサイタルだったが、一度だけ危機的な状況があった。それは言うまでもなく、2011年の東日本大震災である。例年、春と秋の2回という形で開催されて来たこのリサイタルが、この年の春だけは当然ながら実施できず、夏と冬に時期をずらしての開催へと変更された。宮城県仙台市で生まれた小山にとって、この震災が他人ごとである筈がなかった。その後の小山は、膨大な数のコンサートの合間を縫い、東北各地の小学校などを巡りながら、音楽の力で人々の心を癒すという献身的な活動を続けた。その有様に、音楽家としての小山の「真の姿」を見たと思った人間は筆者だけではないだろう。そして、こういう人間だからこそ、このような壮大な連続リサイタルを完結させることができたことは間違いない。
これほどのことを成し遂げたは、一体これからどこへ向かうのだろうか。恐らく、多くの音楽ファンが思いを巡らしていることだろう。
普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中