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古楽器演奏の開拓者 ―指揮者アーノンクールがいた時代―

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昨年3月、指揮者のニコラウス・アーノンクール(1929—2016)が亡くなったと聞いた際、古楽器やバロック音楽に関心を持つ人々は、一つの時代が終焉したという感慨を抱いたのではないか。実際、アーノンクールはまさにクラシック音楽の領域において古楽器による演奏を導入し、発展させたパイオニアであった。彼がいなければ、現在のように古楽器による演奏会が世界中でこれほど頻繁に行われるようになったかどうかは疑わしい。それほど彼の業績は重要なものと言えよう。

古楽とは何か―言語としての音楽20世紀の半ば、バロック音楽の演奏は一つの流行であったと言っても過言ではない。その導火線となったのは、イ・ムジチ奏団(1952年創立)によるヴィヴァルディの弦楽合奏曲の演奏(とりわけ、合奏曲集『四季』の録音)、そして、カール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト管弦楽団(1945年創立)、カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1953年創立)によるバッハの管弦楽曲の演奏(とりわけ、『ブランデンブルク協奏曲』の全曲録音)であり、これらの出現によって、バロック音楽というジャンルがモーツァルトやベートーヴェンのような古典派のみならず、ブラームスやワーグナーのようなロマン派の天才作曲家たちの創る曲に勝るとも劣らぬ豊饒な美しさを湛えた音楽であるということを人々は再認識することになった。

しかしながら、イ・ムジチにせよ、ミュンヒンガーにせよ、彼らは現代の楽器を使って演奏している訳であるから、そこで聴かれる音楽は必ずしも曲が作曲された当時のままではなかった。そこに登場するのがアーノンクールである。元々ウィーン交響楽団のチェロ奏者であった彼は古楽器に傾倒、同じような関心を持つ仲間を集めて古楽器演奏集団ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを1953年に結成。バッハを中心とするバロック音楽を当時の演奏形態で演奏するということを始め、世界的に反響を巻き起こす。その後、クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団(1973年創立)、フランス・ブリュッヘン指揮18世紀管弦楽団(1981年創立)など同様な趣旨の楽団が次々に現れ、古楽器演奏の一大ブームが到来する。

そのような流れの中心にいたのが、アーノンクールであった。彼の活躍は枚挙にいとまがないが、その中心は何といっても質の高いレコーディング活動にあろう。なかでも、彼の思想に共鳴したチェンバロ奏者・オルガン奏者の大御所グスタフ・レオンハルトと共にバッハの『カンタータ全集』の録音を敢行したことは、20世紀クラシック音楽界における「事件」と言ってもよいほどの偉大な業績ではないか。これによって、膨大な数に上るバッハのカンタータ曲が最高の演奏家による最高の録音によって世に残されることになるのだから。

他方で、古楽演奏に関しては一定の反発があったことも思い出される。バッハ演奏のお株を奪われた形のミュンヒンガーは、「古楽器は狭い宮廷で演奏するためのものであって、大ホールで演奏するには全く適していない。現代は現代の楽器で演奏すべきなのだ」というような内容の批判を、古楽演奏家に浴びせたようだ。確かに、古楽器は音量という点では貧弱であって、誰もが満足できるような充実したアンサンブルを聴かせるにはしばしば難点があったことは確かであろう(筆者自身もトン・コープマンらの演奏を聴いた際、同じような感慨を抱いたことがある)。

アーノンクール、ホグウッド、ブリュッヘンといった古楽器演奏を支えた指揮者たちが鬼籍に入ったいま、古楽器演奏は一つのジャンルとして間違いなく確立された。当初、キワ物的扱いであった彼らの試みは、現在、確実に一つの正統的な演奏方法として世界に認知されるに至っている。その意味で、アーノンクールを「一つの時代を制した指揮者」であったと見なすことは大げさではないだろう。そのような現在、次の時代に向けて、古楽器がどのように受け継がれていくか、ということを考えるべき時に来ている。

それにしても、アーノンクールの驚くべき点は古楽器演奏に止まらず、近現代音楽の指揮においても力を発揮した点だ。筆者は20年ほど前にパリに住んでいた頃、シャトレ座において彼が古巣ウィーン交響楽団を率いてべートーヴェンの交響曲第6番『田園』を指揮する現場に居合わせた。正直、「バロックの演奏家」というイメージが強い彼からこれほど繊細で優美な演奏を聴かせてもらえるとは思わず、いたく驚かされたように記憶する。いま思い返せば、アーノンクールは紛れもなく「優れた音楽家」だったということなのだろう。彼が自分で選び、周囲から認められた分野が偶々「バロック音楽」であった、と我々は考えるべきなのかもしれない。






posted date: 2017/Apr/07 / category: 音楽

普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中

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