2024年5月、第77回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に不思議な作品が出品された。タイトルは《Marcelle mio》。「私のマルチェロ」ということか。監督は矢継ぎ早に作品を発表することで知られるクリストフ・オノレ。主演はキアラ・マストロヤンニ。 カトリーヌ・ドヌーヴが助演を務め、久々の母娘共演をするという。しかも彼女たちは自分自身を演じるとのこと!
他にはファブリス・ルキーニ、ニコール・ガルシア、メルビル・プポーなど、豪華な俳優陣が脇を固める。しかし、何よりも驚きなのは、この映画ではキアラが父親マルチェロ・マストロヤンニになり切って、父親譲りの姿で(つまり男装で)登場するというのだ。一体、どういう映画なのだろうか。
いわゆる「トンデモ映画か?」と心配しつつ劇場に足を運んでみたところ、決して傑作とは言えないが、心理学・精神分析学的には非常に興味深い作品に仕上がっていたと思う。この映画の大前提はこうだ。他者の目には、女優キアラは父と母の存在を常に意識させられざるを得ない人間である。しかし、それは当然ながら彼女自身もそうなのだ、ということ。
冒頭、ある新作映画の撮影現場で、監督であるニコール・ガルシアからの演技指導の際、「ドヌーヴ風でなく、もっとマストロヤンニ風に」と声をかけられたことから、突如、キアラは自分の中に潜む《マストロヤンニの血》が浮上してくる。つまり、「私にとって、父、マルチェロとはいったい何者なのか?」という問いかけである。
それを突き止めるため、彼女はある日、髪の毛を短くまとめ、鬘をつけ、マルチェロ・マストロヤンニばりにシルクハット帽を被り、黒のスーツとネクタイで人前に現れる。父になり切ったキアラは周囲にイタリア語で対応するのだが、その仕草や表情、目や口の動かし方があまりにも父マストロヤンニに似ているので、この時点で観客は仰天することになるだろう(娘なのだから当然なのだが)。
当然ながら、その姿を見たガルシアは激しく動揺する。「お願いだから冗談はやめて。マストロヤンニ風になんて言った私が悪かったわ。どうか許して」。だが、キアラは一向に意に介さず、マルチェロ・マストロヤンニであることをやめることなく、益々、自分が父マストロヤンニの「分身」であることを貫いて行く。
一方、キアラの友人、俳優仲間として登場するファブリス・ルキーニはキアラの文字通りの「変貌」を好意的に受け止め、「どんな事態になっても協力する」とキアラの忠実な相談相手となる。このルキーニのいつもながらの泰然自若とした様子がコミカルで、まさに彼ならではのはまり役であった。
当然ながら、母親ドヌーヴもそんな娘を心配する。ただし、母親の方は「ああ、ついにこうなってしまったか」と、どちらかと言えば諦めの境地。そして、娘と共に思い出の場所を訪ねながら、自分とマルチェロの関係がどういうものであったのか、そこに生まれた娘がどういう存在であったのかを語り聞かせる。このドヌーヴとキアラの関係性は真実のように感じられ、いささかドキュメンタリーのようにも思えてくる。
そんな具合に、喜劇的な展開に若干の悲哀やノスタルジーを漂わせながらこの映画は進む。その眼目は、自我を確立することに苦しむ一人の女性の姿を描くことにあると言えるだろう。世界映画史上に燦然と輝く不世出の名優マルチェロ・マストロヤンニの娘として生まれ、同じ俳優の道に進み、常に父と比べられる存在になったキアラ。同性なら「役者として乗り越える」という可能性がまだあるが、向こうは男でこちらは女。一体、どうすれば良いと言うのか。
そんな具合に、突如変貌したキアラに対して冷たく当たる者、当惑する者、何とかして支えようとする者が入り乱れながら、彼女自身が自分自身を取り戻そうとしていく姿を描く、一風変わった悲喜劇だ。男装を続けるキアラ自身も、自分がやっていることの馬鹿馬鹿しさを認識しつつ、しかし、どうすることもできないという気持ちを見事に表現しているように見える(いや、これは演技ではないのかもしれない)。
ラストは意外にあっさりしているが、こんな映画に誰もが納得できる結論を提示するのは難しいだろう。これはコメディというよりも、かなり真剣にキアラの自我の崩壊とその修復に迫った作品と言える。笑いを期待した批評家からの評判は高くはないが、今年生誕100年を迎えたマルチェロ・マストロヤンニを称えるかのように、映画狂の監督が仕掛けた生真面目な「おふざけ」と見れば、それほどできの悪い作品ではない。
キアラ・マストロヤンニが主演した作品にはマノエル・ド・オリヴェイラ監督『クレーブの奥方』という大傑作があり、これを超える作品はなかなか出ないだろうと思っていた。しかし、今回の作品は男装の姿も含め、この女優の複雑な側面と不可思議な魅力を改めて垣間見させてくれる作品となった。疑いなく、彼女は父の「分身」だけの存在ではない。
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普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中