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Mon Belmondo ミッテラン世代が語るジャン・ポール・ベルモンド

text by / category : 映画

ジャン・ポール・ベルモンドの訃報は、覚悟はしていたもののやはりショックだった。掛け値なしのスターがまた一人いなくなった。世界は大いに嘆くだろうと身構えていたのだが、メディアの反応は思っていたよりずっと寂しいものだった。とりわけアメリカ・イギリスのメディアの追悼記事にはがっかりさせられた。

「ヌーヴェルヴァーグのスター」の見出しはともかく、主な出演作として1960年のヴィットリオ・デ・シーカの映画がゴダール作品と並んで挙げられていたのには驚いた。ハリウッドと縁がなかったからとはいえ、追悼記事の書き手にとってジャン・ポール・ベルモンドは「50年代から60年代中頃に活躍した映画スター」でしかないのである。ゴダール後の一連の主演作ー危険なスタントを自らこなした「アートでない」映画群は、才能の空費とまでは言わないものの彼の長いキャリアの一部としておしるし程度にしか触れられていない。フランス本国ではいずれも大ヒットしたのだが。「よく知らないから書かない(書けない)」という事情もあるようではあるが、それでもなんだかなぁと思っていたところ、フランス版の“ELLE“誌に映画評論家ではない書き手が追悼文を寄せているのを見つけた。フランスからの声の一つとして紹介したい。

ベルモンドについての一文を寄稿したのは小説家ニコラ・マチュー。1978年生まれ。地域を支えてきた主力産業が廃れいろいろな意味で行き詰まった故郷ロレーヌ地方で生きる若者たちを描いた小説“Leurs enfants apres eux“(彼らの後の彼らの子供達)で2018年にゴンクール賞を受賞した。大学では映画を学びテレンス・マリックについて論文を書いたマチューにとって、ベルモンドはどんな存在だったのだろう。

ジャン・ポール・ベルモンドは、マチューの子供時代の楽しい思い出と深く結びついている。80年代に小学生だったマチューにとって、ベルモンドは週末にテレビやビデオで見る大ヒットアクション映画のスターだった。ユーモアを忘れず自ら体を張って危険に立ち向かうマッチョ・ガイ。月曜の教室で「あれかっこよかったよね」と話題にするだけでなく、子供ができる程度に大胆不敵なスタントの真似事をして何度も赤チンのお世話になった。マチューにとってのベルモンドは、超かっこいいスポーツカーとか人気シットコムの登場人物たちと同様、この世のどこかに存在はするんだろうけれど自分たちの暮らすリアル・ワールドから遠く離れたところでキラキラしているものの一つだった。

ベルモンド主演の映画は繰り返し見た。お気に入りだった『エースの中のエース』は、7歳から10歳までの3年間に20回は見たそうだ。俳優としてのベルモンドが好きだったというわけではなく、ベルモンドと組んだウーリー、ベルヌイユ、ロートネルといった監督の作風などもちろん気にかけたこともない。ベルモンドの出てくる一連の映画は、マチューにとってホラー映画やカンフー映画のように一つのジャンルになっていた。とにかく面白くてワクワクさせてくれる映画の総称、それが「ベルモンド映画」だった。

「ベルモンド映画」は、アクション以外にも小学生の好奇心を掻き立てる要素がたっぷり詰め込まれていた。お洒落なオープンカーにベルモンドと一緒に乗りこんだ子熊の無邪気さに笑ったり、義眼の連続殺人鬼の気持ち悪さに戦慄したり。そして、『プロフェッショナル』のテーマ(E・モリコーネ作)が、ドッグ・フードの有名なTVコマーシャルの音楽にも使われているという秘密に気付いた時の驚き。ベルモンドの映画をまるかじりして自分の暮らす場所とはかけ離れた世界を知ることで、日常しかない自分の狭い世界もなんとなく広がってゆくーベルモンド映画は、小学生にとってある種の教養だった。(ある年代の関西人には子供時代の一コマである、週末の昼下がりに見る何度目かの『ルパン3世』の再放送に通じるものがあると個人的に思う。)

一世を風靡した『勝手にしやがれ』の頃から、ベルモンドは「若さ」と分かち難く結びつけられてきた。同じ頃に世に出たジェームズ・ディーンのように、その存在そのものが放つ若さの輝きが人々を魅了した。マチューが映画を見始めた頃のベルモンドは既に百戦錬磨の大人のおじさんだったけれども、彼にとってのベルモンドとは「いつもエネルギーに満ち溢れている人」。大きくなってからゴダールの映画で弱さを隠さないベルモンドと出会いはしたものの、そのイメージが変わることはなかった。タフで元気な若さを常にベルモンドに求めてしまったと、マチューは告白する。自分の親達と同じように彼の上にも歳月が積もっていることを直視できなかったと。だから、セザール賞の主演男優賞を受賞したクロード・ルルーシュ監督の『ライオンと呼ばれた男』でのベルモンドは衝撃だったという。心もちは相変わらず若いけれども、白髪の年相応のベルモンドがそこにいたからだ。

1985年に撮影現場で大けがをし52歳にしてアクション映画から遠ざかったベルモンドは、全盛期の自分のイメージを守り続けることを選んだ。違うタイプの役に挑戦したこともあったけれど(観客はついてこなかった)、ジャン・ギャバンのように「みんなの親父」的な存在を目指すこともなく、日焼けした愛すべき老タフガイとして生きた。銃の代わりに愛犬ーちっちゃなスコティッシュ・テリアを抱きかかえて。

今見直されるべきベルモンドの映画としてマチューが取り上げているのが、1962年のコスチューム活劇 “Cartouche” (『大盗賊』)だ。監督は、翌年『リオの男』で再びタッグを組むフィリップ・ド・ブロカ。こそ泥転じて金持ちからだけ盗む盗賊団の頭となり運命に翻弄される若者ドミニクを演じることで、当時30歳のベルモンドは等身大のみずみずしい魅力をいかんなく発揮している。ナチュラルに引き締まったウエストにすんなりした体つき、後年の総毛立つようなスタントはないものの18世紀の優雅な衣装に身を包み縦横無尽に動きまくるその姿には胸がすく。マンガチックに誇張された殴り合いの場面ですら、景気のいい音楽のように軽やかに見せてしまう。マチューいわく「華やぎ」に満ちた映画だ。

痛快娯楽作とは少し違うところをこの映画が目指していたおかげで、演技派俳優ベルモンドの側面も見ることができる。ヒーローはハッピーで痛快な男のままでいることができない。次第に心変わりし、致命的な過ちを犯し、起きてしまったことを自ら引き受けて映画は終わる。そうした変貌してゆく若者を、ベルモンドは自分を役に重ねるかのように細やかに演じている。権力に中指を立てる心意気、軽薄、心からの笑顔、勇気、倦怠、身勝手、慢心そして喪失感。様々な表情をごく自然に見せるベルモンドに、観客は素直に心を寄せたのではないだろうかー人気俳優としてではなく、愚かささえも魅力的な一人の若者として。

最愛の人の亡骸を貴族たちから奪った宝飾品の山で覆い、豪奢な馬車を柩にして葬る場面は特に印象的だ。仲間たちと立ち去る時のベルモンドの何ともいえない表情、姿は経験や技巧を超え今その時の彼にしかなしえないものだ。カメラはそれを捉え、フィルムに閉じ込めた。

死によってベルモンドは老いることから解放され、スクリーンの中で永遠の若さを生きることになった、とマチューは追悼文を結んでいる。ベルモンドはこの世を後にした。しかしベルモンドの輝く姿は今も、これからも映画の中にあり続ける。

文中の場面を含む“Cartouche”の一部はこちらで見れます。

活気に満ちた街の様子など端々に盛り込まれた極彩色の時代風俗も、この映画の楽しいところです。



posted date: 2021/Dec/14 / category: 映画

GOYAAKOD=Get Off Your Ass And Knock On Doors.

大阪市内のオフィスで働く勤め人。アメリカの雑誌を読むのが趣味。
門外漢の気楽な立場から、フランスやフランス文化について見知った事、思うことなどをお届けします。

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