恒例の年末企画、第2弾は2019年のベスト映画です。フランス映画を中心に、アメリカ映画から日本やアジア圏の映画まで、幅広いセレクションになっています。老舗仏映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』は2010年代の映画のTop 10を発表しています。ちなみにベスト1は Twin Peaks:The Return (David Lynch, 2017)、仏映画は2位に Holy Motors (Léos Carax, 2012)、5位に Le livre d’image (Jean-Luc Godard, 2018)が入っていました。
1. 真実(是枝裕和監督)
ドヌーヴ、ビノシュ、セニエ…。このキャストを見てみると、もう「フランス映画」としか呼びようがありませんが、にもかかわらず「是枝裕和にしか撮れない作品」と思えるところが不思議です。それにしても、是枝は女優の「老い」に焦点を絞るのが好きな監督です。樹木希林に続き、この映画のドヌーヴは限りなく「地」に近い、老齢の女優として姿を現します。ビノシュも含め、女優たちが「虚構」と「現実」の境を越えたかのような表情をしてしまうところが是枝映画の最大の魅力であり、彼の映画の「真実」なのです。
2. ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(クエンティン・タランティーノ監督)
タランティーノがマンソン・ファミリーの事件を扱うと聞いたとき、一体どういう映画になるのかと誰もが訝しく思ったのではないでしょうか。あのような陰惨な事件が果たして映画の題材になるのか、と。しかし、タランティーノはいつもながらの自分の世界を崩すことなく見事な娯楽大作に作品を仕上げ、あっけにとられるような結末を準備しました。やはり才能のある監督であることは間違いないようです。ブラッド・ピットも近年では一番良い演技を披露しているように感じました。
3. ナポリの隣人(ジャン二・アメリオ監督)
イタリア映画と言えば、2018年にベルトルッチ、オルミ、そしてタビアーニ兄弟の兄ヴィットリオが亡くなってしまい、巨匠と言える監督はもう皆いなくなってしまったように感じます。そんな中で、ベテランのアメリオ監督は世間の流行などには目もくれず、自分だけの作品を撮り続けようとしているように思われます。ナポリに住むある老齢の男の周辺に起こった悲劇を描いたものですが、この淡々としたタッチはネオ・レアリズモを受け継ぐイタリア映画ならではのものでしょう。こういう映画を撮る監督がまだ世界にはいるのだと思うと、少し安堵した気分になります。
4. 旅の終わり、世界のはじまり(黒沢清監督)
この映画は、黒沢清の作品としては必ずしも水準の高いものではありません。『クリーピー 偽りの隣人』(2016)や『散歩する侵略者』(2017)のような強烈な緊迫感はありません。路線としては『岸辺の旅』(2015)に近いような気がしますが、それともまた異なる領域へ黒沢清は足を踏み出そうとしているようです。今回は必ずしも成功したとは言えないかもしれませんが、この方向での黒沢清がどこまで行くのか見たいような気がします。そんな期待を抱きたくなる不思議な映画でした。
5. アイリッシュマン(マーチン・スコセッシ監督)
スコセッシ監督によるマフィア映画。ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシ、アル・パシーノ、ハーヴェイ・カイテルという濃い面々を主要キャストに配し、実話を基にしたアイルランド系マフィアの物語が三時間以上にもわたって続きます。しかし、長さを感じさせることが全くないのは、何と言ってもデ・ニーロとパシーノの秀逸な演技の為でしょう。彼らがこれほど深く絡んだ作品は恐らく過去にはなく、二人にとっても近年のキャリアのなかでは間違いなく代表作の一つになるでしょう。
(番外)ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト[オリジナル版](セルジオ・レオーネ監督)
1968年の作品が51年振りに劇場公開されました。かつては『ウエスタン』という邦題が付けられていたこの西部劇を大スクリーンで見るのは今回が初めてです。しかも、2時間45分のオリジナル版での上映。C・カルディナーレ、H・フォンダ、J・ロバーズ、C・ブロンソンという4人の俳優の素晴らしさは言うまでもなく、脇役やセットも含め、細部に至るまで緻密に作り込まれた作品です。改めて、「傑作」という以外に言葉が見つからないと感じました。タランティーノが「この映画を見て映画監督になろうと思った」と語ったというのは、あながち嘘ではないと思います。
その他、海外の作品では『運び屋』(クリント・イーストウッド)、『ブレードランナー・ファイナルカット』(リドリー・スコット)が印象に残りました。話題になった『ジョーカー』(トッド・フィリップス)ですが、あらゆる点で『ダークナイト』(C・ノーラン)には及ばないと思います。日本映画では『記憶にございません』(三谷幸喜)が無難な作り、『決算 忠臣蔵』(中村義洋)はアイディアの勝利でした。大ヒットした『天気の子』(新海誠)は、前作に比べると様々な点で気持ちが入って行かないように感じました。
1. 『きみの鳥はうたえる』(三宅唱)
これまで観た佐藤泰志ものではいちばん好きな作品かもしれない。恋人と親友と3人で、酒をのみ、クラブで踊り、たわいのないことで笑いあう、そんな至福な時間の表現がすばらしく、その時間のはじまりと終わりの描き方も含め、青春映画の傑作といえるのではないだろうか。特にクラブでのシーンが秀逸で、音楽に身ををまかせる佐知子(石橋静河)に見惚れてしまった。
2.『バーニング 劇場版』(イ・チャンドン)
先にNHKで放送されたドラマ版を観ていたのだが、ドラマ版が村上春樹の原作に近い仕上がりになっているのに対して、劇場版は監督独自の解釈をより大胆に盛り込み、現在の韓国の若者たちを取りまく社会背景をふまえたものとなっており、特にラストは衝撃的だ。米ドラマ「ウォーキング・デッド」に出演していたスティーヴン・ユアンをはじめ、主演の3人がみんなよい。
3. 『ライオンは今夜死ぬ』(諏訪敦彦)
映画を作ること、映画を観ることの楽しさ、そして生きていることのよろこびが南仏の明るく美しい景色のなかでのびのびと表現されていて、観ていて幸福な気分に包まれる。自由奔放な子供たちもよいが、彼らとほんとうに対等に接しているジャン=ピエール・レオーのなんとすばらしいことか。赤いグラジオラスを抱えて歩く姿を見ているだけで涙が出た。
次点:『泳ぎすぎた夜』(五十嵐耕平、ダミアン・マニヴェル)
『若き詩人』のダミアン・マニヴェル監督と日本の若手の五十嵐監督が、共同監督という形で青森で撮影した作品。雪景色はもちろんのこと、青森の街や魚市場、そして暗い家の中にいたるまで、すべてのショットが構図も含めて美しい。幼い少年の演技も実に自然でドキュメンタリーかと思うような演出がすばらしい。
番外編
監督賞:ホン・サンス
『夜の浜辺でひとり』をはじめ、今年複数の作品を観て大ファンになりました。いつも同じような設定で、ちょっとダメな感じの人たちが飲み食いしながらしゃべっている話ばかりなのに、なんでこんなにおもしろいんだろう。
珍作賞:『凍える追跡』(クリスチャン・カリオン)
原題 Mon garçon。説明の多い映画は苦手だが、これはそれを真逆に行くような作品で、息子の失踪を皮切りに次々と謎が提示されるのに、その答えが何ひとつ見いだせないまま終わってしまい、こんなに無意味な謎を残す映画も珍しい。一方であまり事件と関係ないところがやけに丁寧に描かれたりしていて、制作者の意図がまったく読めないのである。そういう意味で妙に心に残る作品だった笑。
『シュヴァルの理想宮 ―ある郵便配達員の夢』
フランス南東の僻地に位置する穴場スポット“シュヴァルの理想宮”にかねがね行きたいと思いつつそのままになっています。理想宮は、僻村で郵便配達員をやっていたシュヴァルという男が、突然思い立って、19世紀末から33年かけて作った謎建築で、ご存じの方も多いかと思います。本作は、そのシュヴァルの生涯を元にした劇映画です。変人シュヴァルが何もない田舎で淡々と土木作業をする話をどう映像化するのだろうと思ったら、これがけっこうちゃんとした作品になっていました。明快に整理されたペーソスのただよう物語、アルプス山脈を舞台にしてシュヴァルと同時代の画家ファンタン・ラトゥール風に色調を合わせた屋内外の風景、そして地方劇団出身の名優ジャック・ガンブランの繊細な演技など、いろいろ総合力が高かったです。見ていると、シュヴァルの奇行が、なにやら人生一般の寓意に思えてきたりもします。まだ青くささの残る時代から最晩年までこまやかに演じ分けられているのですが、終盤にリヤカーで石を運ぶ姿を見て、これはもう一つの『運び屋』のようにも見えました。
とはいえ、主役はシュヴァルよりも、理想宮そのものかもしれません。現地の全面協力の下、実際の理想宮を3Dでモデリングした上で、いったんそれを消してそこに石を積んで固めてゆく様子を撮影しているようで、最終的に劇場の大画面に現れる理想宮の迫力を考えると、これはむしろもう一つの『ファースト・マン』とも言えそうです。ラストでは普段はお目にかかれないたいへん美しい理想宮の姿を目にすることができました。本作を観るなら大画面がオススメです。
https://youtu.be/UNNcvUg-d34
『名もなき生涯』
本作はテレンス・マリックの新作です。映像がいつものマリック以上に奇妙な感じでした。
監督は、マジックアワーの自然光での撮影にこだわることで有名ですが、今回はいつもの浮遊感のある映像に加えて、やたら横長の超広角フィルムで、ジャンプカットが多用され、セリフが少なくてボイスオーバーだらけ、とはいえ基本的には静かな作品です。役者に演技をさせずに、おおよその場面設定を説明したあとは役者たちに好きにやりとりをさせる…そんな映像をつないで作ったのが本作です。
およそ掟破りだらけの特異な作品であるにもかかわらず、ちゃんとアクションがあってストーリーがあるのに驚きます。しかも実話ベースで、反戦・反ナチスの重厚なヒューマンドラマ。第二次大戦中のドイツ占領下で、ナチスへの忠誠を拒否して村八分に遭い、軍部に逮捕・監禁された男を描いています。作中に出てくるオーストリアの山村風景は息を飲むほど美しい一方で、当時の過酷な農作業の再現にも手を抜いていません。
さらに本作は、実は宗教映画で、監督が作品の随所に聖書の寓意をちりばめています。しかし、メル・ギブソンみたいにイエスを描くこともなければ、スコセッシみたいに水面にイエスの顔を映すこともなく、その他よくあるように磔刑みたいなポーズを使ったりもしなければ、ブニュエルやアロノフスキーのごとくシュールな挿話を挟んだりもしません。麦の穂や山の頂の光景、何気ない日常の言動のなかに聖書の寓意をしみ込ませるその手つきがたいへんクールで、いたく気に入りました。3時間という尺はかなり長いですが、主人公の内省と苦悩を体感させようという作り手の意図もあるかと思います。
https://youtu.be/iXxenGBt40Y
『コンゴ裁判 ―演劇だから語り得た真実』
本作は2017年に制作された作品ですが、今年、ふじのくにせかい演劇祭とあいちトリエンナーレで上映されました。レアメタルの争奪を背景にしてコンゴで起きた虐殺事件をめぐる「模擬法廷」のドキュメンタリーです(が、本作は、ウェブのアーカイブも含めた大きなプロジェクトの一環でもあります)。
かつてサルトルは、「アフリカの飢えた子供たちを前に、文学は何ができるのか」と問いましたが、本作はそれに対する応答なのかもしれません。というのも、この模擬法廷の直後に大臣二人が更迭され、国際的にも注目を集めることになったのですから。舞台芸術でも、社会を動かすことはできる、と本作の監督なら答えるでしょう。監督のミロ・ラウはスイスの演出家、映像作家にしてジャーナリストです。彼は、アフリカの紛争地域をたびたび取材していて、『Hate Radio』では、コンゴの隣国ルワンダの虐殺事件を扱いました。
本作の尺はおよそ100分です。模擬法廷のすべてを淡々と見せるわけではなく、法廷を題材にした独自の映像作品だと考えた方がよさそうです。模擬法廷のドキュメンタリーであると同時に、そのメイキングのような形をとっています。法廷の主要なシーンのほか、ミロ・ラウがコンゴに行って、本作の提案や交渉をする辺りから、スタッフがカチンコを鳴らして撮影が始まる光景、あと撮りとおぼしき関係者のコメント、事件の現場となった山村でのロケ、政府関係者へのぶらさがり取材まで、さまざまなシーンが織り込まれており、一歩引いた目線で模擬法廷を包括的に提示している印象を受けます。
演劇という体で、事件の関係者、法曹関係者、有識者などを集めて、本人役で出演してもらっているのですが、驚くべきは、責任を問われている大臣や大企業の人間が、ノコノコと法廷に現れ、問い詰められていることです。彼らを同じテーブルにつかせるができた時点で、この模擬法廷は成功していたのでしょう。この試みを足がかりとして、いつかコンゴで正式な裁判が実現することを願わずにはいられません。
https://youtu.be/xMK6O4tshKs
次点:今年は豊作だったように思います。フランス制作の『シティハンター』がエンタメ作品としては会心の出来栄えでしたし、アニメ映画では『ロング・ウェイ・ノース』の陰に隠れましたが、BD原作の『アヴリルと奇妙な世界』も、ジブリが配給してもおかしくない秀作でした(それに比べるとミシェル・オスロの『ディリリとパリの時間旅行』はやや見劣りします)。ゴダールの新作『イメージの本』も、『不滅の女』のようなロブ=グリエの日本での劇場初公開作品たちも、手がかりとなる情報さえちゃんと確保すれば、ずいぶん観やすくなりました。比較的低予算のアメコミ映画『ジョーカー』は、ホアキン・フェニックスの演技がすばらしく、短編コミック『キリングジョーク』をベースにしながら、チャップリンの『殺人狂時代』と『独裁者』をニューシネマ風にマッシュアップしたようなメタ(レプシス)な逸品でした。その他、『真実』『ワンハリ』『女王陛下のお気に入り』『マリッジ・ストーリー』『アイリッシュマン』など数え上げるとキリがありませんね。
セドリック・クラピッシュ監督「おかえり、ブルゴーニュへ」
この映画の原題 Ce qui nous lie は「私たちを結びつけるもの」という意味だ。前作の Ma part du gâteau (私のパイの分け前)には「フランス、幸せのメソッド」という意味不明なタイトルがついていたが、これは原題が正確に示すように、グローバル化した世界の中での「個人の分け前」がテーマだった。一方、この作品は「土地に根ざして生きる」決意がテーマになっている。内田樹が『ローカリズム宣言』(2018年)で書いているように、日本で農業に帰る若者が増えているのは、農業が「例外的に生産性の低い産業で、多くの人手を要する」からだ。また賃労働以外にも土地の生命力を維持する活動にも参加しなければならない。都市部でのデラシネ労働に嫌気がさした若者たちが、むしろ農業が要求する濃密な人間関係を求めてくるのだ。
「おかえり、ブルゴーニュへ」では父親の残したブドウ畑を引き継ぐか、売却してしまうか、残された3兄弟は選択を迫られる。売却すれば5億円が手に入り、ブドウ畑を引き継いだ場合、重労働のあげく年間でその1%しか稼げない。しかし、あえてその1%を選ぶのである。さらに、あえて農薬を使わずにブドウを育てる。大地とがっぷり四つに組み、途方もない面倒を引き受けるのである。そうやって入念に手当てされ、守られるブドウ畑は、かつての日本の里山のように美しい。循環するブドウ畑の四季をクラピッシュは執拗に映し出すのが印象的だ。
ウエルベックの『セロトニン』でもフランス農業の苦境が描かれていて、全く救いようのない話だったが、一方でウエルベックは、新自由主義は宗教にすぎないと看破していた。「土地に根ざす生き方」は『私のパイの分け前』から『私たちをつなぐもの』のあいだにクラピッシュが見つけた、ささやかな希望なのだろう。
※この映画は日本公開が2018年11月、DVDの発売が19年6月でした。
2. 『真実』是枝裕和監督
『こんな雨の日に』という是枝監督のエッセイを読んだ。これは監督が以前ボツになった脚本のタイトルなのだという。それが『真実』の原型となった。やはり主人公は老女優で、若尾文子をイメージしていたようだ。是枝監督が描き続けてきた家族が、どれだけ普遍性のあるものなのか、問いかけてみることも『真実』のひとつの試みだったと思うが、日本の相互依存的なウエットな親子関係とは違って、フランスの親子関係はクールである。親とは介護どころか、同居も絶対しないし、親もそれを子供に求めない。子供は早くから自立をうながされる。『こんな雨の日に』にも書かれていたが、『真実』の中でシャルロットが両親と同じベッドに寝ているシーンについて、「この子は何か精神的な問題を抱えているのか」と不思議がられたそうだ。フランスでは確実に6歳の子供は別室でひとりで寝るからだ。それゆえファビエンヌとリュミールの親子の葛藤(特に過去にこだわり続けるリュミール)が何か不自然に思えたのは私だけだろうか。その不自然さがフランス映画として演じ切られることが、この映画の妙味なのかもしれないが。
とはいえ、ドヌーヴ様の演技にはひきこまれてしまう(私自身、あの劇中劇というやつが苦手にもかかわらず)。是枝監督自身がドヌーヴを撮り続けていくあいだにどんどんファンになり、一挙一投足から目が離せなくなったと言うのだから。
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