是枝裕和がついにカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した。2004年の『誰も知らない』では柳楽優弥が史上最年少で主演男優賞、2013年の『そして父になる』が審査員賞と来ているので、いつかは受賞してもおかしくないと思っていたが、ついに2018年に栄冠を手にした。
1995年に『幻の光』で長篇映画の監督としてデビューから23年。是枝はついに日本を代表する映画監督の地位に登り詰めたと言っても過言ではない。だが、その道は必ずしも平坦だったわけではない。
是枝が『幻の光』でデビューした際、多くのシネフィルはほとんど黙殺したのではないかと記憶する。その理由は、この作品が宮本輝の小説を原作としていることにあったのかもしれないが、何かその朴訥な映像を俄かには信じることが出来なかったように思われる。『誰も知らない』がカンヌで大変な話題になっても、我々はまだ懐疑的だった。「これは柳楽の演技力の賜物ではないのか?是枝の演出がここにあるのか?」という具合に自問し、是枝を映画作家として認めることを留保し続けたのである。
少なくとも私が是枝を意識せざるを得ないと感じたのは、2008年の『歩いても 歩いても』を見たときからである。医者であった父(原田芳雄)と、その父の期待を裏切って家を出た息子(阿部寛)が妻(夏川結衣)を連れ、久々に実家に戻る。当然ながら生じる父との葛藤。母(樹木希林)、姉(YOU)との穏やかな語らい。そして、家族の中で封印された過去…。ここには間違いなく「家族」をテーマにして現代の人間の姿を描き出す映画作家がいた。作品を見るものは、一瞬でも画面から目を逸らすことが出来ないほど、登場人物の一挙手一投足に夢中にさせられたはずだ。
あまりにも話題になった『そして父になる』が「家族」の問題と言うよりも「親子」の問題に収斂したのに対し、『海街diary』(2015)は原作ものとはいえ、再び「家族」に焦点を当てる。普通に考えれば、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆の三姉妹が暮らす家に異母妹の広瀬すずがやって来るという物語など、商業映画以外の何物でもないだろう。だが、この作品で四人は間違いなく「家族」としての在り方を模索する姉妹として存在しており、そこに母(大竹しのぶ)や大叔母(樹木希林)も加わることで、常に不安定なままの彼女たちの行く末を我々も思いやらずにはいられなくなる。やはり是枝の作品が光輝くのは「家族」をテーマとする時なのだ。
そして、再び阿部寛を主演に据えた『海よりもまだ深く』(2016)では、是枝のオリジナル脚本によって、崩壊した「家族」のつながりを取り戻そうと苦悶する男の姿が描かれる。売れない小説家(阿部)が別れた妻(真木よう子)と息子との関係を振り返る中で、失ったものの大きさをようやくにして悟るという物語であった。普通ならば悲哀を感じさせる主人公を演じる阿部寛は、持ち前の喜劇性を持ちこむことで崇高なまでの域に達している。だが、これは「家族」(とその崩壊した姿)をアンサンブルで造形する是枝の奇跡的な演出力があるからこそ成り立っているに違いない。
そして、最新作は『万引き家族』。仏語タイトルは « Une affaire de famille »。ついにタイトルに「家族(famille)」の文字を入れ、正面から「家族」とは何か?という問いに向かおうとしている。この作品にパルム・ドールをもたらした審査員、女優ケイト・ブランシェットが「圧倒させられた」と言い、映画監督ドゥニ・ヴィルヌーヴが「魂を鷲づかみにされた」とまで言う映画は一体どういう映画なのか、それは見るまでは分からないが、我々の期待を裏切ることはないであろう。そして、「対立する人と人、隔てられている世界と世界を映画によって繋ぐことが出来るのではないか」と受賞時のコメントで語る映画作家の真摯な姿勢を疑うことはもはや誰にも出来ないだろう。
小津安二郎、そして木下恵介。日本映画には「家族」をテーマに作品を撮る系譜が確実に存在していたが、そこに是枝を加えることが出来るだろう。彼らは東洋の島国だけの小さな世界を撮っていたはずだったが、いつのまにか普遍的なテーマに辿り着いていたのかもしれない。是枝の映画は、家族を求め続けたトリュフォー、そしてそのテーマに周期的に回帰するヴェンダースのような大作家たちと同次元にあり、そして一層現代的であろうとしている。世界のシネフィルたちは今後も是枝の作品から目が離せないであろう。
Top Photo By Georges Biard, CC 表示-継承 3.0,
普段はフランス詩と演劇を研究しているが、実は日本映画とアメリカ映画をこよなく愛する関東生まれの神戸人。
現在、みちのくで修行の旅を続行中